第16話 ヨアンナの憂鬱
ヨアンナは、前をゆくバートと
仮装行列を見物するのに良い場所があるのだと言って、バートが案内しているのだ。その隣には、頬を染めたアナスタージア。
彼らの後ろから、ヨアンナと護衛のハリーはぴたりとついゆく。後続の二人に会話は無く、とても気まずかった。
いけませんと反対したものの、目を潤ませながらに懇願するアナスタージアに、結局負けてしまったのだ。
マルセルが帰ってくるまでは絶対ダメだと、初めは強硬に反対していたが、警護役ならハリーにいるのになぜそこまで警戒するのか、とバートにも訝しまれてしまった。アナスタージア一行は、エレバスの中流貴族で大して目立つことのない子爵家の名を騙っていたから、その偽りの身分を越えた警戒は、過剰だと捉えられて返って不信を呼び寄せてしまいそうだった。
そして煩悶するヨアンナに、ハリーは「私がしっかりお守りします」などと景気よく言うものだから、殴ってやりたくなった。
喜ぶアナスタージアを、もう止めることはできなかった。
――リヒター少将なら、頑としてお止めしていたのでしょうに……
ヨアンナにはそれができなかったことが、どうしようもなく悔しいというか、無力感を感じてしまうのだった。
このバートという男を信用しても大丈夫なのだろうかと、胸がざわざわとしていた。アナスタージアを見つめる眼差しは優しく真剣なものだと思ったし、キザな印象はあるものの真面目そうにみえる。
しかし、彼がこちらの事を何も訊こうとしないのは何故なのか。もちろん訊かれたくはないのだが、家名を質問してもよさそうなものだ。訊かれたくないという自分たちの表情を読んで、訊かずにいるのだろうか。それとも何か考えがあるのだろうか。
アナスタージアが、すっかり彼を信用しきっているのも心配だ。恋する乙女といった夢見るような熱い瞳が、ヨアンナに不安を抱かせる。
――それでも、私を
マルセルは今、バートの身元調査に出かけているのだ。もしも、その調査でバートが危険であるとなったら、どうすればいいのか。
自分だけでなく護衛のハリーもいるのだから、ぴったりと一緒にいれば大丈夫なはず、そう胸の中で何度も繰り返していた。
それでも、マルセルのいない間に外出してしまったことを、後悔せずにはいられなかった。伝言を読んだ彼が、一刻も早く駆けつけてくれることを、切に願うヨアンナだった。
バートがそっと差し出した腕に、アナスタージアは恐る恐るというように腕を絡ませた。そしてちらりと、隣の男を見つめ上げる。その頬は先程からずっと朱に染まっていて、瞳はウルウルと潤んでいる。初めて見る主のその顔を、とても美しいとヨアンナは見惚れてしまうのだ。
同性なのに胸はドキドキと鳴り、そして無性に悔しくて悔しくてならず、ついギリギリと歯噛みしてしまった。
――田舎貴族の警備兵風情が、気安く姫様に触るものではないわ! 汚らわしい! 今日だけよ! ええ、今日だけですとも! 明日には国に帰るんだから!
姫様も姫様よ。どうして、こんな武骨な輩に! ああ、私のアナスタージア様が!
思わず、くぅっと声を漏らすと、ハリーが怪訝な顔でどうしましたかなどと尋ねてくる。王女を部屋から出したお前が悪い、とばかりに彼を睨むヨアンナだった。
歩むうちにどんどんと人が多くなってきた。一昨日とは比べ物にならない程の人出だった。それに、華やかな仮装の衣装をまとった者たちが大勢混じっている。
思わず、そちらに注意が逸れそうになるのだが、はぐれないようにとヨアンナは懸命についていった。と、不意にバートが立ち止まった。
「俺たちも仮装してみないか?」
店を指さし、アナスタージアに囁いていた。
そこは、様々な趣向を凝らした仮面や華やかな衣装を売っている店だった。通りに並ぶ露店とは違って、大きな店舗を構えている。入口には羽根飾りのついた仮面が幾つも飾られていた。
「見るだけでなく、参加すればもっと楽しいぞ。飛び入りで行列に加わってもいいんだ」
「まあ、素敵……」
アナスタージアがうっとりと返事をする。すると、バートはよしと頷き、さっさと店に向かっていった。
慌ててヨアンナが声をあげる。
「ちょ、ちょっと! 仮装するなんて話、聞いてません!」
「ん? 今、決めたんだが? お前たちも一緒に仮装すればいい。祭りとは楽しむものだぞ」
バートはハハハと笑っている。
冗談じゃない、気楽に笑って面倒を増やさないで欲しいとヨアンナは思う。
「人込みを避けた場所で、見物するだけでも十分楽しめますわ!」
「何をそんなに警戒しているんだ。実は俺は、剣も槍も弓も得意でな、そんじょそこらの戦士には負けいない自信がある。もちろん、体術もいけるぞ。もしも、不審なヤツがアンナに近づこうものなら、返り討ちにしてやるから安心しろ」
バートはニヤリと豪胆に笑う。宣言通り、自信のみなぎる顔つきだ。眉の上の傷さえも、勇ましさの象徴に見える。
彼が返り討ちにすると言った瞬間、ヨアンナは戦場を駆ける彼を見てしまったような気になり、少しばかり震えてしまった。
「…………」
お前がその不審者で信用ならないのだとは、とても面と向かっては言えなかった。全く無礼な上に面倒な男だと思う。
結局、ヨアンナもハリーも仮装することになってしまった。
日頃凛としている王女なだけに、涙を貯めた瞳で懇願するその落差に思わずたじろいでしまう。ヨアンナはアナスタージアの涙に弱かった。
ハリーまでもが頬を赤くして困ったなあなどと頭を掻く始末だ。もっとしっかりしてくれと、自分を棚に上げて若い護衛の脚を蹴とばすヨアンナだった。
アナスタージアは、喜々として店の中を見回していた。
普段着るドレスとは違って、少し滑稽なほど派手なものが多く、ヘッドドレスがまたこれでもかと華やかであるのだ。
仮面で顔を隠して、少々破目を外すには、このくらい賑やかな装いの方が良いのだろう。通りをゆく人々も、色とりどり趣向を凝らした衣装で楽し気に歩いているのだ。
「アンナ、これはどうだい? ほら、俺とお揃いにできる」
バートは白と金色を基調とした衣装を差し出した。それは男女ペアになっていた。
周りに比べれば、色味はさほど派手ではないが、金糸の刺繍が艶やかで、レースもふんだんに使われている為、他に負けぬほど華やかである。
大きなコサージュと羽がついた、つば広の帽子がセットになっている。共布のスカーフで頭を包みこみ帽子をかぶり、そして仮面をつけるのだ。
女性用の衣装はアナスタージアが普段王宮で着るような、スカートの裾がふわりと広がるタイプではなく、胸の下からストンと生地が流れ落ちるデザインだった。長袖で手袋をつけれは肌の露出はほとんどない。
男性用はマント付き軍服のようで、胸もとに男女で同じ飾りがついてる。
白が基調なので、見ようによっては婚礼の衣装のように見えた。
「素敵。こんなの来たことないわ」
「俺もだ」
アナスタージアは、バートが勧めるままにその衣装を選び、仮面を手に取っていた。真っ白な仮面の縁を、金と黒で花の文様が彩っている。
では着替えようと、バートは店の主人に声を掛ける。
店主が早速案内を始めたので、ヨアンナは慌てて自分の分を適当に指さし、アナスタージアと共に着替え用の部屋へと入ったのだった。
少しして従業員が二人の衣装を持って入ってくると、自分が選んだものが紫と赤のブロック柄のドレスで、長い円錐の尖がり帽子付きであったことに驚き、唖然としてしまった。ちょうちん袖は顔の二倍以上ありそうだ。
これは目立ち過ぎだと頭が痛くなる。
「まあ、ヨアンナも素敵ね。かっこいいわ!」
皮肉ではなく、本気で言っているらしいアナスタージアは、もう夢心地でふわふわしていて、何もかもが素敵に見えてしまうようだ。
ヨアンナは、頬を引きつらせて笑いながら主の着替えを手伝い、溜息をつきながら自分も着替えるのだった。主の心が一時でもほぐれるのなら、この冒険のことは少しだけ目を瞑ろうと思う。
そして、四人は華やかな衣装に着替え、仮面をつけて通りに出た。
白と金のペアと、紫と赤のペア。
ヨアンナは、こっそりとまたハリーの足を蹴った。彼は何の気を使ったのか知らないが、ヨアンナと同じブロック柄の衣装を選んでいたのだ。尖がり帽子も同じ。何故、ペアにしたのか意味が解らない。
――う、浮かれてるんじゃないわよ!
「ヨ、ヨアンナさん……」
脛に当たって痛かったのか、ハリーが腰をかがめ恨めし気に呟く。
と、仮面の下でヨアンナは舌打ちをする。アナスタージアがわざとヨアンナをジョアンと呼んだのに、台無しにする気かと、もう一度蹴り飛ばした。
そして、彼の耳元で小声でジョアンよと囁く。
するとハリーは、あっと声を上げ、うんうんと大きく頭を振って応えるのだった。
「さあ、広場へ行こうか」
バートの声が掛かり、一行は歩きだしたのだった。
人ごみを進むのに、ヨアンナのドレスはとても歩き辛かった。パニエを何重にもして大きくドレスの裾を広げているので、色々とぶつかってしまうのだ。人や露店などに。
何度か、待ってくださいとアナスタージアに声を掛けるのだが、追いついてもすぐに離れてしまう。歩きやすそうな、主の細身のドレスが妬ましかった。
遅れがちになるヨアンナを見かねて、ハリーが腕を掴んできた。遅れるんじゃない、と強引にぐいぐいと引っ張るのだ。
仮面の下で、ヨアンナがムウと膨れる。ハリーの笑い声が聞こえたような気がして、更に不機嫌になるのだった。
どんどんと進んでゆくと更に人が増え、ついに白いカップルと紫のカップルの間に何人もの人が入り込んでしまった。懸命に追い越そうとするが、なかなか進めない。見失う訳にはいかないので、連れが前にいるので先に行かせてくれ、と頼もうとしたその時、思いがけないことが起こった。
少し前の露店の天幕を張っている柱が、突然ずるずると傾いてきたのだ。
丁度、アナスタージアとバートのすぐ横だ。
露店の陳列台が崩れる大きな音がして、朱色の天幕が通行人目がけて、ばさりと被さる。二人もそれに巻き込まれてしまった。
ヨアンナが、ああと悲鳴を上げた。周りからも驚きの声がわき上がる。
アナスタージアたちは倒れてきた柱の向こう、天幕の下に倒れてしまったようだ。
ハリーが目の前の通行人を押しのけて、駆け出す。ヨアンナも続いた。
主らの姿が天幕に隠れる寸前に、バートがアナスタージアを庇うように覆いかぶさったのが見えたのだが、怪我はしてないかと不安だった。
「大丈夫ですか! お怪我は、お怪我はありませんか!」
ハリーが勢いよく天幕をめくると、アナスタージアを守るように包み込んでいるバートがいた。彼はハリーを見上げ、短くつぶやく。
「大丈夫だ」
二人の元にたどり着いたヨアンナは、跪き主の手を取った。
「ほ、本当にご無事ですのね?」
「ええ、平気よ」
仮面の下から聞こえてくる主の震える声は、少し籠っていて別人のように聞こえたが、キュッと彼女の手を握り返して頷いてくれたので、ヨアンナはホッと息をついた。
怪我は無く、ただ驚いただけのようだった。
バートが優しくエスコートして、アナスタージアを立たせた。
ヨアンナとハリーは、露店の主にガミガミと注意して、それからアナスタージアにどうか離れないでくれと懇願したのだった。
そしてその後は、四人はしっかりと固まって歩いていったのだった。
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