第14話 支配するのは

 旧聖堂での密談の後、バルトロメオは馬車の中で、再び薄茶色の国境警備兵の制服に腕を通していた。

 ふらりと町を歩きたい気分だった。戦の話や腹の探りあいをして、殺伐としてしまった気持ちを、明るく賑やかな祭りで払拭してしまいたかった。


 できればアンナを誘いたかったが、夕暮れ近い時刻では呼び出すのは憚られる。

 あのホテルの前でアンナを迎えに出ていたのは、お付きの侍女だろう。となれば、侍女の自分への心証を損なってはならない。もしも彼女に、この男は未婚の乙女を遅くまで連れまわす、不謹慎で無礼で信用ならない悪漢だと思われたら、今後アンナに会うのを妨害されてしまうだろうから。

 他にも護衛がいるであろうし、できるだけ穏便にそして良好にアンナとの縁を結んでいきたいと思っている。

 明日、仮装行列を一緒に見る約束しているのだからと、バルトロメオは会いたい気持ちを抑えるのだった。


 アンナを迎えにゆく時のことを思いながら、馬車を降りた。

 このエレバスにいる間は、バルトロメオは国境警備兵のバートだ。バート・クレイトンという名で、急いでもう一度身分証を用意した。田舎の弱小貴族ではあるが、実在する家名を拝借している。ざっと調べた限りでは、クレイトン家にはバルトロメオと年の近い息子が複数いるようで丁度良かったのだ。

 身元を提示しておかねば、貴族であろうアンナと会うのは難しくなるだろうから、嘘で塗り固めても、バート・クレイトンを作り上げなければならないのだ。

 偽名を名乗り、アンナを欺くことに罪悪感はあったが、今はエルシオン王を名乗ることはできはしない。

 いずれ明かす時がくるまで、しばし許して欲しいと思うのだった。


 バルトロメオは、喧騒の中を歩いてゆく。

 そしてふと、仮装用の仮面を売る店の前で立ち止まった。彼の唇が緩んだ。


――買ってみようか……







 マルセルが去った後、レスターまたの名をベイツは余裕ありげにほくそ笑み、スペンサーは不安げな顔を見せていた。

 エルシオンに大砲を売ったとベイツが明かしたことに、司教は怒り、焦りも抱いていた。

 自分が両国に通じていることが、教皇にもリンザールにもバレてしまった。未だ教皇からは何も言われていないが、誰がリンザールと通じているのか既に探っているかもしれない。もしも知れたら、破門されるだろう。


「あなたは一体どういうつもりあんなことを!」

「司教よ。そもそも隠しきれるものではないではありませんか。戦に勝たんとすれば、誰しもがシヴァンに助力を求めようとするのは当然のこと。むしろ、彼らの方から接触してくるように、我々シヴァンは己の能力を喧伝してきたのですし」


 この十年でシヴァンは急成長していた。通商ルート上の国々との関りも徐々に強めている。武力を直接行使せず、国を持たずしても、商いの力で大国並みの影響力を持つことも夢ではない。いずれシヴァンは、影の支配者として幾多の国々を牛耳ることになるだろう。今回はその手始めなのだ。

 西方の戦の情報も積極的に流したし、裏の顔をちらりちらりと見せるように噂を巷に広めていったのだ。すべてはエルシオンとリンザール、両国との接触の為だった。

 ようやく、努力が実って双方とのつながりが持てたのだ。ベイツとしては、今日の成果は大満足なのである。


「エルシオンと通じていることなど、あちらも想定済みだったのだから、下手に隠して疑念を深めるより、さっさと認めておいた方がよいのですよ。私たちシヴァンは誰とでも取引をする、商人なのですから」

「しかし、何も大砲もことまでばらさなくても」

「一つの嘘を隠すためには、それ以外はなるべく本当の事を言わなくては、相手に信じてもらえませんよ。大砲はまだまだエルシオンに渡るのですからね」

「大嘘つきめ。信じてもらうなどと…」

「エルシオン王は何も仰らなかったが、我々がリンザールと接触することくらいは、きっと想定しておいででしょうよ」


 ベイツは目を細める。エルシオン王が残した言葉を思い出すのだった。

『勝つ、とは言わないのだな』

 あれは、リンザールには他の武器を与えるのだろう、という意味だとベイツは受け取っていた。実際その通りである。銃百丁を売ったという話をでっちあげて、リンザールには銃五百丁を買わせたのだから。

 エルシオン王が黙認したのは、敵に先んじて大砲を手に入れたからであり、また、まさか同じ日の内に敵国と接触することまでは、知り得なかったからだろう。大砲の話が敵に漏れる頃までには、決着をつけられると考えているのかもしれない。

 なんにせよ、王は信用などしていないだろうから、この先キャラバン隊のエルシオン通過時には荷の検査が厳しくなるのは間違いない。西からの交易ルートは、エルシオン、エレバスを越えてリンザールへと続いているのだから。敵に武器を渡さぬ為に、それくらいのことはするだろう。

 これも全て承知の上で、ベイツは微笑む。

 

「ですから、我々シヴァンはどちらともお付き合いさせて頂くが、真に与するのは貴国のみ、と彼らの前では振る舞ってゆきます。まあ、信じるかは謎ですがね」


 信じようが信じまいがどちらでもよかった。その時々で対応すればいい。


「あの赤い国と青い国は、既にどちらも疲弊している。だが、どちらも相手を叩き潰したがっている。となれば、我々の協力無しにこれ以上の戦いは不可能なのです。ですから、敵国とのつながりを知ってもなお、我らシヴァンと手を切ることはできない。そして我らは武器と情報を彼らに供給し、戦をコントロールするわけです」


 だから最強の兵器を手にしたエルシオンと、拮抗する戦いができるようにとリンザールには大砲の事を教えたのだ。その存在を知っていれば策の立てようもあろうから。ついでに銃の弾薬もたっぷりサービスするとしよう。銃は既にエレバスに用意されているのだし。

 一方のエルシオンは、大砲の情報を筒抜けにされたことを知らぬのだから、そう簡単には勝てなくなる。

 長引き、泥沼になればいい。

 最後に勝利するのはエルシオンでもなくリンザールでもなく、ましてやエレバスでもない。シヴァンだ。そう、心の中で呟いていた。


 ベイツの胸を内を知らぬスペンサーは、戦をコントロールするなどと言いながら失敗しはしないかと、苛立ちを隠しきれずにいた。

 彼らはもう、エレバスの陰にシヴァン在りと認識しているはずだ。そして、両国とシヴァンを取り持った自分が、矢面に立たされることになるだろうから。


「ああ、あなた方は稼ぎどころというわけですか……しかし、私の立場はどうしてくれる? 両国の恨みを買ってしまうかもしれない。あなた方だって、潰されるのではありませんか?」

「恨みは買うでしょうよ。それは仕方ない。しかし潰されはしませんね。先ほども言いましたように、我々無しに彼らは戦えないし、戦えなくなれば敵国に滅ぼされるのみですから。彼らが打倒シヴァン、打倒エレバスで結束するなら別ですが、それはあり得ませんし」


 ふふんと鼻で笑って、ベイツは足を組み変えた。

 その目にはスペンサーへの侮りの色が浮かんでいる。わざと放った打倒エレバスという言葉に、彼がピクリと反応したのを見逃さなかった。小心な男だと胸の中で嘲笑っていた。

 そして目を細めて呟いた。


「潰れぬギリギリのところで戦を続けてもらえれば、なお良いですね」


 退くに退けない二つの大国を消耗させ弱り切ったところで、最後の仕上げにエレバスに両国を叩かせるのだ。スペンサーを傀儡の教皇にして、裏からシヴァンが全てを手中にする。それがベイツの描く未来図だった。


 しかし、スペンサーにはまた別の絵図がある。両国が滅びるのは良いとしても、シヴァンは邪魔だ。彼らに良いように操られるくらいなら、エルシオンに勝利してもらい、自分が教皇となって同盟を結ぶのだ。そしてシヴァンを追い出してしまおうと。


「それでは話が違う。エルシオンを早々に勝たせるという、私との約束はどうなる?」

「おや? 異なことを仰る。それは司教とエルシオン王との間でのお約束でしょう。私は司教とは何の契約もしてはおりませんよ」


 フフッと笑うベイツに、スペンサーは立ち上がり思い切り舌を打った。


「勝手にすればいい! 私もこれからは勝手やらせてもらう!」

「それがいいでしょう。そうですね、スペンサー司教には毒薬でもお売りしましょうか? 教皇交代は私も歓迎いたしますよ」


 薄暗い笑みを浮かべるベイツに、スペンサーは身震いしたが、そのまま部屋を出て行った。


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