第13話 双面の男

 夕刻、マルセルは部下一名を連れて宿泊先を後にした。残してきた部下たちは、もちろんアナスタージアの護衛にあたる。

 自分が王女から離れることに不安がないわけではないが、大事な交渉を任された身では致しかたないことだった。元よりマルセルにとってのエレバス訪問は、その交渉が主たる目的であり、慰安はついでのようなものなのである。


 当初アナスタージアが直々に交渉にあたるという案もあったが、リンザールの要となる王女を軽々に表に出すわけにはいかないと、これだけはマルセルが退けた。どこで誰が目を光らせているやもしれないのだから。

 彼にしてみれば、王女をエレバスに連れて来ることも、危険だからと反対していたのだ。この頃気分の優れない王女を元気づける為に、祭り見物でもなされれば良いでしょうと進言したのが、王女の大叔母にあたる老公爵夫人だったから、強く反対できなかっただけなのだ。

 しかも昨日は、一人歩きなどして良からぬ男を呼び寄せてしまったではないかと、アナスタージアを連れてきたことを頭を抱える程に後悔している。

 

 出かける前、ヨアンナは今日は絶対にアナスタージアから目を離さないと請け合ったのだが、念には念を入れて王女本人に一人歩きはなりませんよと、何度も言い含めたものだった。

 もちろんアナスタージアは昨日のことを猛省していて、部屋にヨアンナと籠って、マルセルが帰るまでは一歩も出ないと約束してくれた。

 後は、信じるしかないだろう。


 マルセルは、これから祖国の明暗を握るともいえる交渉に向かう。

 王より預かったエレバスの司教のへの手紙――書いたのはアナスタージアなのであるが――を携え、賑やかな市街地から離れた古い旧聖堂へと赴くのだ。

 マルセルらは、町の雰囲気に溶け込むように商人風のいで立ちをし、徒歩で向かっていた。これは隠密の行動であり、リンザールの人間であることは決して誰にも知られる訳にはいかなかった。

 内心は緊張し祭りを楽しむ余裕などないのだが、人ごみの中を屋台を見分しながらゆっくりと進んでゆく。そして、いつか祖国にもこのような賑やかな祭りを催せる平穏をもたらせたい、と感慨を胸に抱くのだった。

 しばらく進み、大聖堂から旧聖堂へ続く大通りが、途中で極端に細くなった。マルセルがその路地に踏み込もうとしたところで、前方より馬車が勢いよく走ってきた。


「どけ! 道を開けろ!」


 乱暴な走りではなかったが、居丈高に御者が叫ぶのに、マルセルは眉をひそめた。

 貴人用の馬車だが、マルセルが普段見るものからすれば格段に劣る質素な馬車だった。こんな所でしか威張れない、どこぞの貧乏貴族がいきがっているのだろうと、鼻で笑って見送くるのだった。

 脇を走り抜けてゆく馬車の窓に、一瞬赤い髪が揺れるのを見た。見事な赤毛の男だった。

 マルセルの眉間に深い皺が刻まれる。嫌なものを見てしまった。

 赤は一番嫌いは色だった。それは血の色であり、憎きエルシオンの色であり、戦の色なのだ。

 そういえば、昨日アナスタージアを宿泊先に送って来た、バートとかいう男も赤毛だと言っていたなと思い出す。まさか国境警備兵ごときが、今の馬車に乗っていたとは思えないが、増々嫌なものを見てしまったと顔を歪めるのだった。


――赤毛もエルシオンも、呪われてしまえばいい! ……次こそリンザールが完全勝利する! 必ず決着をつけ、不可侵を結ばなくては……アナスタージア様をこれ以上戦場に立たせる訳にはいかないのだから。


 マルセルは、ぐっと拳を握った。

 これから祖国の命運を左右する人物と会おうというのに、不吉な赤毛に出くわしはしたが、マルセルは一層腹を据えて挑まねばと、意を固くするのだった。







 旧聖堂の一室で、マルセルは一人の司教と面会していた。

 柔和に笑うその初老の男の名はスペンサーといった。

 リンザールの王太子は、生前この司教と密かに親交していたというのだ。そしてエルシオンとの和睦の仲介を、彼に依頼していたらしい。

 王太子から厚い信頼を受けていたアイゼンシュタイン侯爵は、王太子の遺志を継ぎ、司教と連絡を取ることにしたのだが、ここで話に齟齬が生じた。


 スペンサー司教が言うには、王太子はシヴァンとの接触を望んでいたというのだ。武器商人という裏の顔をもつ彼らに、戦に勝つ為の協力を求めていたと。

 リンザール内では、まだ少数の和睦派と主力の交戦派に分かれていたが、この情報が流れると一気に交戦派に勢いがつくことになったのは当然だろう。いくらアインゼンシュタイン侯爵が、何かの間違いだそんなはずはないと説いてもその声はかき消されることになった。

 王太子が実際には和睦を望んでいたのか、徹底抗戦を望んでいたのか、今となっては知る由もない。だが現在、戦姫を頂く士気高きリンザールとしては、王太子も戦い続ける意思を持っていたのだと解釈するのが当然の流れだった。

 アイゼンシュタイン侯爵は連絡役を外され、マルセルが交渉に挑むこととなり、収穫祭の賑わいを隠れ蓑にして本日の密談と相成った訳だった。


 王からの親書を手渡し、マルセルはじっと司教を観察した。

 誠実そのものといった柔らかな微笑みを浮かべて、見つめ返して来る司教は、その声も穏やかに落ち着いていた。


「確かにリンザール王の印。貴方様にこのお話を任されるということ、私の方も異存はありません。ご依頼の者をここにご紹介いたしましょう」


 スペンサー司教は、早速と立ち上がり、続き部屋を扉を開いた。

 すると嗅いだことのない、エキゾチックな香りと共に一人の男が入ってくる。浅黒い肌の異国の者だった。


「シヴァンのベイツと申します。リンザールの名将とお会いできますこと、誠に光栄でございます。亡き王と王太子様の事は、我々も心を痛めておりました。是非とも貴方様方のお力になりたいとの願いが叶い、喜びに胸が震えているところでございます」


 ベイツと名乗った男は、両の掌を胸の前で合わせて、深々と頭を下げた。

 彼はつい先刻、エルシオン王の前ではレスターと名乗っていたのだが、マルセルにそれを知る術はなかった。

 男と司教がほんのりと笑う意味も、知りようがなかったのだが、それでもマルセルは何故か胸騒ぎを感じ、彼らからうさん臭い匂いを嗅ぎ取ってもいた。


「シヴァンのベイツ殿か。我々にご協力いただけるとの言葉、確かに受け取りました。祖国にて吉報をお持ちになられている王も、さぞお喜びになることでしょう」


 マルセルはつくり笑いを浮かべながら、決してベイツから目を逸らすことなく続けた。


「そなたらの働き如何によっては、前もって伝えていた報酬に更に上乗せしても良い。我々は武器と共に情報も欲しているということは、分かっていよう」

「……つまり、エルシオンの情報を流せと?」

「リンザールとの契約を、武器の斡旋だけだと思ってもらっては困るということだ。シヴァンは各国の中枢とのつながりを持っていると聞く。そなたらが持つあらゆる情報を、我らに対してつまびらかにしてもらいたい。我らに与するならば、言葉だけでなくその証を、今ここで示さなければ、信用はできない。そう、スペンサー司教、貴方のことも」


 ギロリと司教を睨むと、彼はホウっととぼけた声を上げた。


「リヒター少将様は、何やらお疑いであられるようですが、私は王太子殿下がご健在のころから、貴国への力添えをしてきたのです。こうしてシヴァンのベイツもご紹介致しているというのに、何が信用に当たらないのでしょう」

「公にできぬ密書を交わしていたくらいで、信用などできるはずもなかろう。亡き王太子殿下の言と、あなたの言も違っているというのに。……それに、教皇様はご存知ではなかった」


 マルセルがピシャリと言うと、スペンサーは顔に笑みを張り付けたまま凍り付いた。部屋の空気は一瞬で、冷たく重いものに変わっていた。

 アイゼンシュタイン侯爵は、スペンサーとのやり取りを始めると同時に、教皇へも直接和睦の仲介を打診をしていたのだ。侯爵はあくまでも、和睦推進派なのだ。

 教皇からの返答は、司教とは全く違った内容だった。つまり、教皇は何も聞いていなかったのだ。リンザールの内に和睦を望む声があることも、反対に徹底抗戦をするという話も、また一人の司教がシヴァンを紹介しようと動いているらしいことも。

 教皇は両国が停戦に合意するならそれを歓迎するが、自らがその話し合いのかじ取りをすることには難色を示した。片方に利するような動きは一切しないのが、教皇の絶対的な姿勢であり信念なのだ。

 スペンサーはリンザールに与するのは、エレバスの総意のような顔をしていたが、実際には独断だったのだ。しかもシヴァンの裏の顔とのつながりも持っている。

 

 教皇はその司教とは誰かと、アイゼンシュタイン侯爵に問うたらしいが、それは伏せたということだ。良い判断であったとマルセルは思う。

 スペンサー司教の行為は、確実に教皇とエレバス教皇領の在り方への裏切りである。この事実を元に、リンザールは彼を利用することに決めたのだ。アイゼンシュタイン侯爵も、最早和睦の道を探ることはしなかった。


 スペンサーは教皇に己の行状を知られたことに、唇を結びグッと拳を握ったが、負けじとマルセルを見つめ返していた。

 まだこのぐらいことでは、司教にとっては痛手ではないようなだと、マルセルもじっと司教の目を見た。

 裏切りの匂いのするこの司教は、確実に押さえておかなければ、足元をすくわれることになる。だから、マルセルの緊張もいやがおうでも高まるのだった。


「エレバスが混乱することは、我々の本意ではない。そなたたち二人が、リンザールと命運を共にすると約束しその証を見せれば、お互いの利につながると伝えているだけのことだ」


 目の前の二人の男をじっくりと見つめて、マルセルは言うのだった。


「エルシオンには何を売った?」


 絶句するスペンサーだった。かまかけが効いたようだ。

 しかし、ベイツは大きく目を見開き、白い歯をたっぷりと見せて笑った。


「さすがでございます。それでこそ、我々の命のかけ甲斐があるというもの」

「ベイツ……」

「お答えいたしましょう。ただ、誤解無きようにお願いいたします。エルシオンから強引な打診があったのはかなり以前のことで、無理に品を納めさせられてしまったのも随分と前のことなのです。貴国からお話がくるのが、もっと早ければ決して……」

「前置きはいい!」

「銃を百丁ほど」

「……確かか」


 百という数に、マルセルの眉が歪んだ。

 リンザールにもエルシオンにも、今まで銃はほとんど無かったのだ。それが一気に百もとなると、戦の内容はがらりと変わってしまうことだろう。


「はい、私が納めさせていただきましたので、間違いございません」

「シヴァンであれば、先年の西方の大戦で使われたという新兵器も手に入れられるのではないのか?」


 ゴクリと唾を飲み、慎重に訊ねた。

 大量の銃だけでもリンザールには打撃だが、そこに新兵器まで加わっていたとしたら大変だ。


「大砲のことでございますか? よくご存知でいらっしゃる。しかし残念なことに、あれはまだまだ数が少のうございまして。まして西方のどの国も決して手放そうとはしないのです」

「なるほど……で、売ったのか?」

「…………一台」


 ベイツの口の端に浮かんだ笑みに、チッと舌を打ち、マルセルは居住まいを正した。そして、ままよと言い放つ。


「では、五百丁だ!」


 敵を余裕で凌駕する量の銃を手にいれるのだ。

 金はかかるが、致しかなたない。


「……了解いたしました。銃を五百、でございますね」

「大砲も何がなんでも手にいれろ!」

「分かりました。お時間を少々いただきますが……」


 答えながらベイツは曖昧な笑みを浮かべていた。


「裏切りは許さない」


 低い声でマルセルがつぶやいた。


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