第8話 銀朱の闘王

 山を駆け下りてくる赤い騎馬軍の中に、一際目立つ銀の甲冑の男がいた。その男は、泥に汚れた軍馬の群れの中でも燦然と輝くようで、周りの誰よりも強い気迫と圧力を放っていた。

 銀朱の闘王と呼ばれる、エルシオン王だった。冑の下でカッと目を見開き、歯を剥いてひたすらに馬を駆っていた。


「おのれ! おのれぇ!」


 王は激しく鞭を鳴らし、まるで馬に翔べと命じるかのようだった。山越えの街道から急ぎ、砦へと引き返す。すでに奪還されたことは覚悟すべきかもしれない。ギリギリと屈辱を噛みしめていた。

 体格に恵まれた彼は、為政者というよりは屈強な戦士と言った方がしっくりとくる。戦においては常に戦場に身を置く王だった。


「小賢しいリンザールの小娘め!」


 子供騙しのような計略にまんまと乗せられたことが、口惜しくてたまらない。これまでに経験したことのない恥辱だ。

 麓に降りてきた所で、遠く砦には瑠璃の旗が憎らしくはためいているのが見えた。

 そこへ、リンザールの軍勢が鬨の声を上げて襲いかかってきたのだった。

 敵軍は、以前あの砦を攻略した時とは、まるで別の軍勢かのように勇敢で精強だった。僅かな時間で、ここまで彼らの士気を高めたものはなんなのか。噂では王女が、幼王に代わって国政を担っているという。自らを戦姫などと名乗るその女は、一体どんな女なのか。


 エルシオン王は苦々しく顔を歪める。

 尖兵が次々と敵の前に倒れてゆくのが見えた。チッと舌を打ち、彼は馬を止め近くの騎士から弓を奪い取った。大きく引き絞り矢を放つ。

 ビュンと風を引き裂いて矢は飛び、敵兵の喉を貫いた。すると、その後を追うように次々に矢が放たれてゆく。

 しかし、勢いづくリンザールに対し、エルシオンの動きは後手に回っていた。飛び出した兵団の先端は、既に左右に展開していたリンザール軍に挟まれて、矢を雨のように浴びるという無様さを晒していた。

 苛立ちと焦りにまみれた軍勢は、いくら数で圧倒しようとも、士気の高い兵団の前ではただ人死にを増やすばかりだった。勝利は遠いばかりでなく、大敗を呼び込みかけない。

 エルシオン王は、苦渋の思いで撤退を決断した。進路を南西に取り、本国への帰還を命じるのだった。

 長い隊列が途中で折れるように向きを変え、側面を護りつつ走り出した。



 その動きに、おぉぉとリンザールの歓声が上がった。

 そして、進路を変えつつある敵の横腹に、更に追撃を加えようとしていた。その時、彼らは敵軍の中に真紅の旗印を見つける。

 赤く染めた馬の尻尾を飾った三叉の槍を、幾人かの兵士が掲げているのだ。彼らの中央にいる、ひときわ体格の良い、輝く甲冑の男。腕を振り上げて何事か指示を出している様子だ。

 リンザールの兵士は、ギラリと目を光らせ、頷き合う。あれがエルシオン王に違いないと。

 やはり、神の加護は我らにある。戦姫のある限り、リンザールは永遠だ。この好機を逃してはならない。兵士たちは、猛然と馬を駆った。


 



 闘王は自分を目掛けて、敵兵が突進してくる事に気付くとキュウっと口角釣り上げて、白い歯をほころばせた。

 側近達が、ザッと彼の回りを固める。

 闘王は弓を長槍に持ち替えた。


「溜まった鬱憤を、ここらで少し発散しようか! どけぃ、貴様らぁ!」


 リンザール兵と側近達の刃が交わると、闘王は槍をブルンと振り回し、自ら敵兵に襲いかかっていった。


「うおおおおぉぉぉぉ!!」


 両手持ちの槍を構える。

 があと雄叫びを上げる敵の胸をドンと突き刺すと、そのまま右方向に槍を回転させるように思い切り捻る。貫かれた兵士の体がぐったりと傾いで、すぐ横の兵士にを巻き添えにして地面に落下した。二撃目の突きは、敵の首を遙か後方に跳ね飛ばしていた。続く闘王の攻撃のことごとくが敵を死に至らしめた。

 闘王の振るう長槍の前に、敵は後ずさり始めた。しかしその目は闘志を失ってはいない。

 何故、これ程に士気が高いのか、苦々しくそして不思議に思った。


「幼き王に何ができる? 亡国は目の前だというのに、愚かな悪あがきだ!」


 リンザール兵たちは、それがどうしたとばかりに目をギラつかせていた。王と王太子を失ったばかりの国の悲壮さは微塵も感じられない。

 絶対的な大きな力に突き動かされている、王はそう感じた。


――戦姫とやらの存在がそんなに大きいのか?


「リンザールの小娘は、男を悦ばせるのが余程うまいと見えるな。どんな手管を使うのか興味がある! お前たち、いかにして淫売姫に籠絡された?」


 わざと下卑た事を、大声で言い放った。

 途端にリンザール兵の顔色が変わる。怒りの色だ。言葉にならぬ怒りの咆哮を上げて、彼らは剣を振り上げた。

 ほほうと、闘王は笑う。

 国家への忠誠というより、王女個人への忠誠に近い。小娘の求心力は本物なのだと確信した。

 敵の将はたかが女であると、これ以上侮ってはならないことに気付いた。将器とは人心を掴むことであり、大勢を見極めることだと彼は考えている。そこに男も女もないのだ。


 だが、敵の王女に思いを馳せたほんの僅か、闘王に隙ができていた。

 一人の敵兵が、側近たちの刃をかいくぐり眼前に迫っていたのだ。

 王は、突き出される剣を槍で跳ね上げる。しかし、その敵は二刀流で、一瞬の間をおいて次の刃が彼に襲い掛かっていた。

 闘王はのけぞってかわしたが、下から斜め上に走りぬけた白光が、彼の兜を跳ね上げていた。

 燃えるような赤毛が陽光の元に晒される。


「ぐっ!」


 兜はギラギラと日の光を反射させて地に落ち、闘王の額付近から血が噴き出していた。切っ先がかすめていったのだ。

 それでも、王の槍は確実に敵の心臓を貫いていた。どっと敵は地に伏した。


「陛下ぁ!」


 左目を押さえる王の指の隙間からは、真っ赤な血が滴っていた。

 側近が、闘王に駆け寄った。その間に、別の騎士たちが王の前に壁となって塞がり敵を退けていった。


「陛下! お目が?!」

「ダリオか、大事ない。血が目に入っただけだ!」

「では、こちらへ!」


 その側近は安堵の息を吐き、王を誘って馬を走らせた。

 撤退を決めた以上、これ以上長居は無用だった。

 追いすがる敵を蹴散らしつつ、エルシオン軍は自国へと引き返すのだった。







 リンザールとの国境にほど近い、居城というより要塞に近いバチス城に、エルシオンの軍勢は入城していた

 銀朱の闘王ことバルトロメオが王位につく以前は、一時リンザールの手に落ちていたものを、二年前取り戻していた。

 バルトロメオの表情は険しい。敗戦を喫したのはこれが初めての事だった。

 ダリオは王の前に跪く。


「陛下、傷のお手当を……」

「要らぬ。もう血は止まった」


 血に汚れた布を放って、衛生兵の差し出した水を一気に飲み干した。その左眉の上に、生々しい傷がパックリと口を開けていた。

 彼の頬と甲冑を汚した出血量ほどには、傷は深くなかった。しかし、バルトロメオの顔は少々青ざめている。

 それは傷のせいではなく、怒りによるものだった。


「リンザールの兵を捕らえていると言ったな」

「はい」

「その者に会おう」


 足早に部屋を出ると中庭へと向かった。彼のギラつく瞳に浮かんでいるのは、先程の青い騎馬軍の憎らしい程の勇敢な姿だった。苦虫を嚙み潰したような顔で、彼は大股に歩いていった。

 中庭に出ると、腕を背中できつく縛り上げられたリンザール兵が二人、城詰めの警備兵に囲まれてうずくまっていた。すでに折檻を受けたか、その顔は赤黒く腫れ上がっていた。

 警備兵達は、王に気づくとさっと囲みを開け、平服する。

 バルトロメオは無言のまま近づき、手前のリンザール兵の顎を蹴り上げ、顔を上げさせた。


「リンザールの姫について語れ!」


 冷徹に命令を下す。

 だが、その兵士は満身創痍であるのに気をくじかれることなく、睨み殺してやるとばかりに、王に鋭い視線を投げつけて来た。そしてぐっと口を噤むのだった。

 もう一人は、身なりからしてその兵士よりも身分が上であるようだったが、目は虚ろでガタガタと震えていた。

 近くにいた警備兵は、反抗的な男を殴り付けた。


「無礼者め! 国王陛下にお答えせよ!」


 警備兵の言葉に、男の目が大きく開かれる。


「……お前が、名高き銀朱の闘王か……。ほほう、顔に我らの刃を受けたとは、これまた滑稽な!」


 はっはと嗤う男に、再び警備兵が拳を振り上げたが、バルトロメオはそれを制した。


「おお、そうよ……この俺に傷をつけるとはなかなかの強者、故に死をくれてやったわ! 過日、王太子を破った時とは一転した貴様らの戦いぶり、これは王女の為せる業なのであろう?」


 兵士はニヤリと腫れあがった唇を吊り上げる。

 名のある戦士であるのか、彼は堂々と胸を張り、恐れること無く敵の王と向かい合った。王直々の質問であるなら応えてやっても良いと、言わんばかりだった。


「いかにも! 我らが、瑠璃の戦姫アナスタージア様は、勝利をもたらす女神だ。お前の命が潰えるのも、そう遠くない!」


 不敬な台詞に回りの兵達は気色ばんだが、王はやはりそれを制して話を続ける。


「巫女姫であったと聞いている」

「その通り。姫がお仕えしていたは、我が国を守護する戦の神。そのご加護を一身に受けておられるのだ」

「なるほど、それで戦姫か。で、誰が今回の策を立てた」

「無論のこと! アナスタージア様だ!」


 誇らしげに男は言った。

 闘王バルトロメオは口を歪めて笑う。この男だけでなく、恐らく全軍が王女に心酔しているのだろう。となりで震えている男は腰抜けだったが、このような惰弱者の方こそ数少ないとみるべきだと思った。彼らの今日の戦いぶりを見れば明らかだ。

 男の目は爛々として、バルトロメオを見据えていた。

 死を目前にしても決して怯まぬこの蛮勇は、最早狂信的でさえあったが、ここまで男たちを惹きつけ動かすカリスマに、俄然興味が湧いた。

 女とはいえ素晴らしい敵だと、バルトロメオは満足気に頷くのだった。

 話は済んだ。


「ダリオ、剣を」

「……はい」


 差し出された剣を受け取り、リンザール兵を見下ろす。

 兵士は毅然と王と睨み返していた。


「良い顔だ。神のおわす天に還るといい……」


 勢い良く剣が振り下ろされると、兵士の首は土の上を転がっていった。

 情けなく悲鳴を上げ失禁したのは、隣の男だった。


「瑠璃の戦姫か……相まみえる日が楽しみだな。必ず、俺の手で息の音を止めてやろう」


 バルトロメオは、拳を握りしめ呟いた。

 自分にこれ程の煮え湯を飲ませた相手は、他にはいない。この屈辱は、戦姫の死をもってしか払拭することはできないだろう。腹の底から闘志がわく。良い敵を得たと歓喜していた。

 王の唇は、自然に笑みを描いていた。


「そこの屑は牢に放り込んでおけ」

「……お手打ちなさらないのですか?」


 ダリオの言葉に、バルトロメオは露骨に嫌な顔をした。

 先程の男の首を落としたのは、怒りや報復ではなく、彼を戦士として認めたからだ。虜囚に落ちるを潔しとしない、その誇りを守ってやるためであり、バルトロメオにとってはただの処刑ではなかった。

 もう一人の捕虜は見たところ貴族のようだったが、死んだ男の爪の先ほどの勇気も矜持みられない。そんな男を、なぜ王である自分が切ってやらねばならんのだと、憤慨するのだった。


「俺は戦士しか切らん! ……まあ、屑は屑なりに使い手があるやもしれん。とりあえず飼ってやれ。死に時を誤ったことを、後悔できる程度の頭は残してな」

「……はい」


 殺されないと知って、あからさまに安堵の息を吐く男に、バルトロメオは軽蔑と憎悪の視線を投げて、踵を返した。

 これから、死んだ方がマシだと思う目に合うというのに、本当にバカな男だと思っていた。

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