第4話 幸せの予感


 電話の向こうから、フーっと息を吐く音が聞こえた。


「……小百合ちゃんは、今回の失恋のことを『振られたことより自分自身を偽ったことが悲しい』と言った。その言葉が引き金となったみたいに、大粒の涙を流し始めたんだ。『自分を安売りして好きでもない男にびたことが情けない。そんな相手から酷いやり方で三行半みくだりはんを突きつけられたのが悔しくてならない』って。最後には『自分は女として欠陥がある』なんて言い出す始末。それまでの楽しそうな雰囲気が一変して、すごく重いものになった。

 僕は雰囲気を変えようと二人に近づこうとした。すると、彼が僕の目を見て首を横に振った。それは『来なくても大丈夫』っていう合図に見えた。その後、彼は初めて自分から小百合ちゃんに話し掛けたんだ」


『小百合さん、あなたはとても運が良かったです。もしこのままいっていたら、大変なことになっていました。神様が小百合さんのことを助けてくれたのです。泣かないでください。必ず良いことがあります。幸せになりたいという気持ちをもって自分に正直に生きれば、きっと幸せになれます。僕が保証します』


「小百合ちゃんは下を向いて黙って彼の話を聞いていた。たどたどしい日本語だったけど、その言葉には温くて優しい響きがあった。

 しばらくして、小百合ちゃんは顔をあげた。どこか吹っ切れた様子が見て取れた。ここに来たときの空元気からげんきな小百合ちゃんじゃなく、僕の知っている、いつもの小百合ちゃんだった。

 小百合ちゃんは思い出したようにカバンの中からチョコレートを取り出すと、すぐに包みを開けて彼に手渡した。最初は遠慮していた彼も、小百合ちゃんがあまりにも一生懸命に勧めるものだから『一つだけ』なんて言って食べたんだ。そうしたら、彼は目を丸くして『これがチョコレートですか? こんなに美味しいものは食べたことがありません!』と大袈裟な言い方をした。

 小百合ちゃんは気を良くした様子で『あ~ん』なんて言いながら彼にチョコレートを食べさせていた。小百合ちゃんもいっしょになって食べていたかな。僕が出る幕はなかったよ。

 彼が帰ろうとしたとき、小百合ちゃんは、名刺の裏に自分の電話番号とメールアドレスを書いて彼に渡した。勘定も小百合ちゃんが払った。『今日のお礼』とか言ってね。そして、彼の姿が見えなくなった瞬間、電源が切れたスマホみたいに動かなくなって、その場で眠っちゃったんだ。だから、家内に連絡して車で家まで送らせた。ちょうどそのときかな。雪が降り出したのは――」


 そこまで話すと、マスターは「ごめん。もう行かないと」と言って電話を切った。

 メールの受信ボックスを開いて、改めてウォンスのメールに目を通してみた。会ってはいるけれど、私にとっては「まだ見ぬ男性ひと」。でも、その短い文章を読むと胸が熱くなる。何度も読み返していたら「こんな私でも幸せになれるんじゃないか」って思えた。


 暮れなずむ東京の街には、相変わらず白い雪が舞っていた。



 つづく

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