第5話 ファースト・コンタクト


『私はその人のことをほとんど知らないのに、その人は私のことをよく知っている。そんなとき、私はどんな風に接すればいいんだろう?』


 スマホの画面とにらめっこをしながら、唇を尖らせて眉間に皺を寄せる。

 ウォンスとは初対面みたいなものだから、かしこまった挨拶文にするのがいいのか? それとも、初対面だと思わせないように、砕けたものにするのがいいのか?

 あまり硬いと彼が違和感を覚えるかもしれない。でも、あまり馴れ馴れしいのは私の方が違和感がある。何せ私は、昨晩の件について又聞きでしか情報を知り得ていない「記憶喪失女」なのだから。


 あれこれ悩んでいたら、あっと言う間に三十分が経った。電話の後で入れた紅茶もすっかり冷たくなっている。残った紅茶を飲み乾すとため息が漏れた。

 寒くなってきたと思ったら時刻は六時過ぎ。パジャマの上にカーディガンを羽織って石油ストーブに火をいれた。


 考えてみたら、朝から何も食べていない。マスターに電話をかけたときは頭痛と吐き気でそれどころじゃなかったけれど、もう不快感は残っていない。

 とは言いながら、「何か食べたい」という気にはならない。きっとウォンスへの返信メールが気になっているからだろう。今の私にとって何が最優先事項なのかは明らかだ。


 迷った末に、本当のことを告げることにした。

 元彼の件では、自分を偽った結果、あんな嫌な思いをしたのだから、もう嘘はつきたくなかった。

 ウォンスとどんな会話を交わしたのか、マスターからの情報でしか把握していない私が、このままなし崩しに彼と仲良くなるのはどこかおかしい気がした。が彼の人となりをしっかり把握したうえで、少しずつ距離を縮めていくのが理に適っていると思った。


『ウォンスさんへ はじめまして。観月小百合と申します。メールを頂きありがとうございます。昨晩はとても良くして頂き大変うれしく思っています。ただ、あなたに謝らなければいけないことがあります』


 メールを打ち始めた私は、昨日の夜、自分が酩酊していて記憶がほとんどなかったこと、そして、ウォンスとのやりとりは後日マスターから教えてもらったことを正直に綴った。


『――――ウォンスさんが傷心の私に優しくしてくれたことや、私が初めて作ったチョコレートを喜んで食べてくれたこと、とてもうれしく思っています。ぜひお礼を言いたいと思いました。

 昨晩のことは理解できていません。ただ、話を聞いて、とても素敵な出会いだと思いました。おかげで私は元気になりました。本当にありがとうございました。

 悪天候の中、お仕事大変かと思われますが、お身体に気をつけてがんばってください。頂いたメールにて失礼いたします』


 タイトル欄に「昨晩のお礼」と打ち込んだ。深呼吸をして送信ボタンをクリックすると、画面に「送信完了」の四文字が表示される。

 文面は一時間以上悩んだのに送信はほんの一瞬。大切なメールなのになんだかあっけない。でも、どこかホッとした気持ち。会社で得意客にお礼のメールを送るときと同じ感覚だった。

 いずれにせよ、最優先事項は無事終了。そう思ったら、お腹が空いてきた。


 ガラス戸を通して外の様子をうかがうと、そこには、激しい雪と風が席巻する、吹雪の世界が広がっている。

 普段ならアパートの前の通りは、駅の方から流れてくる人や車でごった返している。でも、今は人はもちろん車もほとんど通っていない。

 駅前のショッピングセンターの明かりがぼんやりと浮かんでいる。どうやら営業しているようだ。


『こんな状態が続いたら、しばらく外に出られなくなるかも』


 そんな考えが脳裏を過る。もちろん、それは懸念ではなく願望――新たな世界の到来を望む、私の切なる願望だった。

 当面の食料や生活物資を買い込むため、私は吹雪の街へと繰り出すことにした。



 つづく

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