第6話 譲れない願い


 二時間後、私は、食料品と日用品を詰め込んだビニール袋を抱えて帰宅した。

 上五枚・下四枚の衣服、厚手のマフラーと毛糸の手袋、スキー用のゴーグルと長靴といった重装備をまとって行ったのは正解だった。


 徒歩十分もあれば余裕で行けるショッピングセンターまで、何と三十分以上かかった。外が前日までとは別世界に変わっていることを身を持って体験した。

 道路には雪が二、三十センチ積り、車道と歩道の境さえわからない。一歩一歩踏みしめるように慎重に歩かなければ、側溝に落ちたり転倒する危険がある。一つ間違えば、大怪我も免れられない。しかも、雪混じりの突風で傘は役に立たず、視界もはっきりしない。大袈裟と思いながらめていったゴーグルが大いに役に立った。


 玄関で身体に積もった雪を払い落した私は、買ってきたものを冷蔵庫と納戸へ収納した。

 ひと息ついた瞬間、脱力感と疲労感を覚え、へなへなとその場に座り込む。空腹だったこともあるけれど、吹雪の街の徘徊はいかいは思った以上に重労働だった。


 買ってきた幕の内弁当を食べながらテレビのスイッチを入れると、いつも見ているバラエティ番組が放映されていた。

 ただ、いつもと違い、画面の下の方に「首都圏大雪情報」というタイトルが付された、青い帯状のスペースが設けられ、選挙速報のように大雪関連の情報が流れている。

 テロップを眺めていた私は、そのとき初めて、世の中が大変な状況に陥っていることを実感した。


◆首都圏の上空五千メートルの地点に、マイナス五十五度の非常に強い寒気団が停滞。その影響から首都圏全域は過去に例を見ない大雪。寒気団は衰える様子はなく、この状態はしばらく続く模様。


◆首都圏の私鉄各線は一部を除いて運転休止。動いている路線も徐行運転。ダイヤは大きく乱れている。明日は始発からほとんどの路線が運転休止になる模様。


◆首都圏を発着する空の便は午前中から全て欠航。フェリーも始発から全て欠航。


◆首都圏の高速道路は、首都高速、東名高速、中央道、関越道、東関東道、東京外環道、圏央道、東関東道など全路線が通行止め。復旧の目処は立っていない。


◆雪の影響により電線が切れて停電している地域、水道管が凍結して水が使えない地域が多数あり。


◆二月十三日に来日した、韓国の金雨盛キム・ウソン大統領は、明日十六日に帰国予定。ただし、飛行機の離陸がほとんど不可能な状況にあるため滞在が伸びる可能性あり。


 首都圏は過去に例を見ない大惨事に見舞われていた。公共交通網はほとんど麻痺まひし、ライフラインにも少なからず影響が出ている。外国の要人も足止めを食っている。しかも、この悪天候がいつまで続くのかわからない状況にある。


『明日も会社にはいけない。あと三日ぐらいダメかもしれない。もしかしたら、こんな状態がずっと続くかもしれない』


 世間では、未曾有みぞうの大雪によりたくさんの人が被害をこうむっている。憂慮すべき事態であることは間違いない――が、不謹慎ながら、私は心のどこかで幸せを感じていた。


 これまで、私の願いが叶うと、代償として誰かに不幸が訪れた。その代償は叶った願いの大きさに比例する。

 首都圏の機能が麻痺したのは、まさに「そういうこと」なのだろう。罪悪感がないと言えば嘘になる。でも、今回は絶対に譲れない。


 最初は「新しい世界の到来」が私の願いだった。でも、今は違う。

 この世界の到来と同時にウォンスと出会った。彼がいてくれることが今の私の最大の願い。彼が存在する世界であれば、私は幸せになれる気がする。


 玄関の方から映画「アラジン」のテーマソングが聞えてきた。その曲「A Whole New World」は、ウォンス専用のメール着信音として、私が設定したもの。どうやらスマホを玄関に置き忘れてきたようだ。


 慌てて立ち上がった私は、一目散に玄関へと向かった。



 つづく

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