第12話 ブルー・スカイ



 次の日の朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。

 昨晩は布団に入ってしばらく眠れず、何度も時刻を確認した。最後に見たのは確か「4:20」の表示。そう考えると二時間も眠っていない。でも、頭は思いのほかすっきりしている。


 カーテンの隙間から陽の光が差し込んでいる。

 胸の高鳴りを押さえながらベッドから起き上がった私は、ガラス戸の前に立って、両手を左右に広げるようにカーテンを開けた――その瞬間、暖かく、眩い光が全身に降り注いだ。

 ガラス戸を開けると、空は真っ青に晴れ渡り、空気も暖かい。前日とは打って変わった、春のような陽気が漂っている。

 天気予報では、天気が回復するなんてひとことも言っていなかった。空模様からもこの状況は全く想像できなかった。


 私は、この世界が自分のために用意されたものであることを改めて確信した。


 アパートの前の通りは、水しぶきを上げる車が行き交い、たくさんの人の姿が見受けられる。スコップで雪かきをするガリガリという音と、雪遊びをする子供の楽しそうな声が聞こえてくる。

 平日の早朝にこんなにたくさんの人がいるのはどこか違和感があるけれど、ここ数日、外出することもままならず、鬱憤うっぷんを溜め込んだ人が多いのかもしれない。


 ベランダに積もった雪が融けて水が音を立てて勢いよく流れ落ちている。気温が急激に上がっているようだ。「すべてが私の思い通りに進んでいる」。そう思ったら口元が緩んだ。

 テレビ画面には「韓国の大統領の帰国日程決まる」といったテロップが流れている。


「今日の午後、羽田から専用機で帰国……大統領の宿泊先は確か銀座の『ホテル・エンパイア』だから、今から準備すれば十時には行ける。会社には午前中休むと言っておこう」


 スマホを手にとった私はメールを打ち始める。


『ウォンスさんへ おはよう。さゆりです。朝早くからゴメンなさい。どうしてもあなたに伝えたいことがあって。

 今日は朝から青空が広がっています。私が、雪が止むことを願ったからだと思います。でも、誤解しないでください。決してあなたがいなくなってしまうことを望んだわけではありません。その逆です。

 はっきり言います。私はあなたに会いたいです。会いたい気持ちが大きくなってとても苦しいです。メールで話せたことはとても幸せでした。でも、私、もっと幸せになりたい。あの夜、ウォンスさんが酔っ払った私に感じたような思いを私も感じてみたい。

 お願いです。私のために少しだけ時間を作ってください。どうしてもあなたに一度会っておきたいんです。そうすれば、私たち、もっとわかり合えると思うんです。 さゆりより』


 メールの送信を確認した私はバスルームへと向かった。


★★


 胸の鼓動が相変わらず速い。熱いシャワーを浴び始めてもその音は一定のリズムを刻みながら、降り注ぐ水流の音を抑えてバスルームを席巻せっけんしている。

 鏡の前に立った私に、一糸まとわぬ姿の私が話し掛けてくる。


(あなた、ブスじゃないよ。スタイルだって悪くない。でも、全然もてなかった。どうしてかな?)


「たぶん、自分を出さなかったから。それに、笑顔もなかったし」


(なぜ自分を出さなかったの?)


「自信がなかったから。自分を出すことでいろいろ言われるのが嫌だったから」


(でも、彼には自分をさらけ出したよね? そんなあなたのこと、彼は「可愛い」って言ってくれた)


「きっかけは酔っ払った勢い。でも、ウォンスさんには『そうしないといけない』って思った」


(彼のこと信じてもう少しがんばってみたら?)


「うん。がんばりたい」


(彼を信じて、いつも笑顔でいるの。大丈夫。ここはあなたの思い通りになる世界だから)


「ありがとう。がんばるよ」


 鏡の中の私の顔に笑みがこぼれる。

 ウォンスに会うときは、百パーセントの自分を曝け出そうと思った。

 それで嫌われたなら仕方がない。逆に、自分を出さずに嫌われたら一生後悔する。もう二度と立ち直ることはできない。


『小百合さん、可愛いよ』


 ウォンスの声が聞こえた気がした。

 熱いものが込み上げ、シャワーのしぐくといっしょになって、私のほほを流れ落ちていく。

 鏡の中で泣きながら笑っている私はとてもキレイだった。


 そのとき「A Whole New World」が聞こえてきた。

 バスルームから飛び出した私は、バスタオルで身体を拭いながら足早にテーブルの方へと向かった。



 つづく

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