第9話 二人の世界
★
いつもより熱めのお湯を張ったバスタブに身体を沈めて、湯気に煙る天井をぼんやりと眺めた。
その日あった出来事がフラッシュバックのように蘇る。どれもずっと昔に体験した、懐かしいことのように感じられる。
『ウォンスさんとの出会いは偶然なんかじゃない』
私の中でそんな確信があった。ウォンスは、私が願った「新しい世界」の到来と同じタイミングで現れた。そして、私のことを大切に思ってくれている。もちろん、彼のことを百パーセント理解しているわけではない。良い人に見えて、実は悪い人なのかもしれない。
でも、それでも構わない。今の私は心から幸せを感じているのだから。
『ここは、私が望むことで存在し続ける世界。ウォンスさんもずっとこの世界にいてくれる』
非現実的なことを言っているのかもしれない。物語のヒロインになっている自分に酔っているのかもしれない。でも、私は信じたかった――新たな世界で彼と出会えたのが運命であることを。
三十分が経った頃、再び「A Whole New World」が聞えてくる。
アラジンと王女が魔法のじゅうたんに乗って「新しい世界」を目の当たりにするシーンが、条件反射のように浮かんだ。
湯船から飛び出した私は身体をバスタオルで
テーブルの前に座って、濡れた髪が垂れてこないようにバスタオルをターバンのように巻きつける。姿勢を正して高揚した気持ちを抑えながら、ウォンスからのメールを開いた。
『To小百合さん こんばんは。メールありがとうございます。とてもうれしいです。ただ、無理はしないでください。小百合さんのペースでお願いします。
それから、小百合さんのメールの最後の言葉が気になりました。願いが叶ってよかったですね。僕もこの世界はとても美しいと思います。ずっと小百合さんの世界が続いて、ずっとこんな風に話せたら良いですね。おやすみなさい。Fromウォンス』
思ったとおりだった。ウォンスもこの世界のことを私と同じように考えている。ずっと続くことを望んでいる。二人にとって必要不可欠な世界であることに間違いはない。
ベッドに横になってメールを何度も読み返した。読めば読むほど、幸せな気持ちが強くなっていく。
ウォンスにはまだ話したいことがたくさんある。でも、彼には重要な任務がある。私とのメールで睡眠時間が奪われ、結果としてミスを犯すようなことになったら目も当てられない。
韓国の法律はよくわからないけれど、大統領の身に何かあれば、彼は重い罰を受けるだろう。「夜中のメールは厳に慎むべき」。私は自分に言い聞かせた。
私は、普段早い時間に寝かされている、小さな子供が大晦日などに夜更かしを許されたときのような気分だった。寝るのが惜しくて堪らなかった。
とは言いながら、体調が万全ではなかったのだろう。横になってウォンスのメールを読んでいるうちに、いつしか眠りに落ちた――人の話し声や車の音など全く聞こえない、雪が舞い落ちる音まで聞こえてきそうな、静かな夜に抱かれて。
★★
次の日の朝、会社の上司から電話があった。主要な交通機関が止まっているため特別休暇が適用されるとの連絡だった。
テレビでは、どの放送局も首都圏の降雪に関するニュースを流している。韓国の大統領の帰国が延期になったことも報じられていた。
その瞬間、半分眠っていた、私の脳が覚醒した。条件反射のように口元が緩む。
『今日の大統領はどんな予定なの? もしホテルに缶詰だったら護衛のメンバーの何人かはオフになるんじゃない? ウォンスさんが非番になって、ずっと私とお話ができたら……でも、難しそう。だって、彼はチームの要だから』
熱い紅茶を入れていたら、立ち昇る湯気といっしょに妄想が湧きあがる。
紅茶を呑みながら、今日一日、ウォンスと何を話そうか考えた。
空は相変わらず鉛色の分厚い雲に覆われ、真っ白な粉雪が空間を覆い尽くしている。まるでケーキに振り掛ける粉砂糖みたいで、この街と私の心に甘い味付けを施しているようだった。
つづく
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