012

 マイクロフト・ホームズとピンカートン探偵社一行は、ニューメキシコ準州ソコロへとやって来た。テキサス州のソコロと同じ名前でややこしいが、正真正銘べつの町である。そもそもプエブロ・インディアンの反乱で、ニューメキシコから追われたスペイン人入植者たちが、テキサスで新たにソコロを作ったらしい。

 町に近づいたところで、一種異様な光景に気が付いた。町はずれに牛の大群がたむろしているのだ。今の位置から見ると、まるで町が牛の軍勢に征服されようとしているみたいだった。おそらくカウボーイたちが寄り道しているのだろう。しかしロングドライブするカウボーイたちは普通、休息はできるかぎり最小限にして、ひたすら牛を追うハズだが、何かトラブルが起きたのかもしれない。

 群れに近づいてみると、ちょうど牛の見張りをしているカウボーイがいたので、事情を聞いてみるコトにした。

 するとカウボーイは怒り心頭な様子で顔を真っ赤にして、「それがさァ、聞いてくれよォ。たまたま行き倒れを見つけてな。銃で撃たれてケガしてたのを、せっかく助けてやったってのに、あのヤロウめ、馬を一頭盗んで逃げやがった。まったく、恩を仇で返しやがって。……とまァそういうワケで、一番近場だった町へ訴え出に来たワケだ。今、グッドナイト隊長が保安官事務所まで出かけてる」

 その話に、三人は思わず顔を見合わせた。どう考えても、自分たちが追っている人物のコトとしか思えない。

「ナルホド。ひでえ話だ。そいつは災難だったな。ところで、その恩知らずのクソ野郎ってのは、こんな顔じゃなかったか?」

 エドワーズが広げて見せたエドワード・ハイドの手配書を、カウボーイはわずかに一瞥するなり、アッサリ首を横に振った。

「いいや、全然違う。馬を盗んだのはコイツじゃなかった」

「ホントか? もっとチャント見てくれよ。確かに実物と人相書きじゃア、だいぶ印象が違うかもしれねえけどさ――」

「だから違うっての」カウボーイはムキになって言い張る。「絶対に別人だ。断言する。何なら百ドル賭けてもいい」

「そ、そうか……」せっかく手がかりをつかんだと思ったのに、期待して損した。「ホントに違うんだな?」

「ああ。だいたい、こんな見るからに悪人ヅラだったら、さすがに俺たちも油断しなかっただろうし、そもそも助けたなかったかもだ。あの虫も殺せなさそうな優男ぶりに、スッカリだまされちまったぜ。名前だってエドワード・ハイドなんてやたら韻踏んだカンジじゃなくて、もっとこう頭が良さそうで学者っぽかったし」

「フーン。ちなみに、ソイツはなんて名乗ってたんだ?」

「あァ? 確かヘンリー・ジキルとか言ってたぜ?」

 何の気なしの問いかけへ対する答えに、一同はおどろきを通り越して寒気が走った。いくらなんでも、偶然にしては出来すぎている。あるいは神の悪戯だろうか。ハイドが偽名として名乗ったのならば理解できるが、間違いなく別人だという。かと言って、同姓同名の別人をこのタイミングでたまたま見つけるなど、明らかに不自然だ。

 カウボーイは三人の様子に気付き、「なんだ。もしかしておたくらの知り合いか? それとも、あのクソッタレも賞金首だったか」

「なァ、アンタらが助けたそのヘンリー・ジキルは、どんなツラのヤツだったんだ? よければ教えてもらえると助かるんだが」

「そう言われても、俺って口ベタだからなァ――あ、そうだ。だったら保安官事務所へ行ってみろよ。保安官が俺らの訴えを聞き届けてくれてたら、今ごろはグッドナイト隊長が協力して、手配書に使う人相書きを作ってるトコじゃねえかな。それを確認したらいいぜ」

 カウボーイの勧めにしたがって、三人が保安官事務所へ出向いてみると、隊長のチャールズ・グッドナイトと保安官、そして若い絵描きがむずかしい顔をしながら雁首並べていた。

 グッドナイトは首をひねりながら、「なんか違うんだよなァ」

 絵描きは不満げに、「そうですか? チャント言われたとおり描いたつもりなんですがねェ……」

 保安官は一触即発の空気にいたたまれない様子で、「具体的にどのあたりが違うんでしょう?」

「うーん……なんていうか、もっとこう人畜無害なカンジで」

「そうじゃなくて! 例えば目の形がどうとか、鼻の角度とか、あごのラインとか、そういう部分の違いを教えてもらわないと!」

「そんなコト言われたってなァ……細かい部分なんて、そこまでチャント見てないんだよ。誓って顔はシッカリ憶えてるんだが、目だの鼻だの一個一個のパーツなんか知るかっての」

「ああ、そうですか。でもそれじゃア、こっちは似顔絵なんか描けませんって。これはもうあきらめてもらうしかないですね」

「なんだとこのヤロウ、こっちが頼んでる立場だと思って下手に出てりゃア、イイ気になりやがって。おもてへ出ろ。くだらない絵ばっか描いてるゴクツブシの根性を、たたき直してやる」

「言いましたね? 絵描きをナメると後悔しますよ? 人体解剖スケッチで培った急所位置の知識を見せてあげましょう」

「まァまァおふたりさん! ここは落ち着いてくださいって! ふたりがケンカして何になります?」

 どうにも割って入りづらい雰囲気だったが、マイクロフトは意を決して、「失礼。チョットよろしいですか?」

「アンタ誰だ? 悪いが取り込み中でね、あとにしてくれ」

「スコットラ――いえ、単なる通りすがりの紳士です。すみませんがそこの絵描きさん、紙とペンを貸してもらっても?」

「アンタも絵の心得が? べつにかまわないけど、ムダだと思うよ。カウボーイの貧困な語彙力じゃア、悪党の顔を表現しきれない」

「言わせておけばこの――」暴れようとしたグッドナイトを、新十郎が羽交い絞めして抑え込む。小柄な日本人にいともたやすく身動きを封じられ、ほかのふたりもおどろいている様子だ。

「とにかく紙とペンを」

「わかったよ。――ほら、コイツでいいのか?」

「ありがとうございます。これで問題ありません」

 マイクロフトは紙とペンを受け取るやいなや、すさまじい素早さでペンを走らせて、みるみるうちに一枚の似顔絵を描き上げてしまった。絵描きの口から感嘆のため息がこぼれ出る。

 似顔絵を一目見たグッドナイトは目を見開き、「そうだよ! コイツだよコイツ! すごいなアンタ、でもどうしてわかったんだ?」

「実はわれわれも、この男に一杯食わされたものでして。ところで、ヤツがどの方角へ逃げたかわかりませんか?」

「馬の蹄は、西のほうへ跡が残ってたな。あいにくそのくらいしかわからん。俺たちは牛追いがあるからムリだが、アンタらが代わりに追ってくれるってんならありがたいね。とっちめてやってくれ」

 ふいに絵描きがマイクロフトの手をつかんで、「お願いします! 僕をあなたの弟子にしてください!」

 マイクロフトは狼狽して、「いや、あの――で、弟子はとらない主義でして!」「そこをなんとか!」「なんともなりません!」

 若い絵描きはマイクロフトに心酔しきってしまい、何を言っても聞き分けず、結局新十郎の手で強制的に落ち着かされたのだった。

 保安官事務所をあとにしてから、エドワーズはあらためて賞賛を述べる。「やるじゃねえかマイクロフト。正直おどろいたぜ。まさかアンタにあれほどの絵心があるとは。ひとは見かけによらねえな」

「私の祖母は、フランスの芸術家ヴェルネの姉妹でね。自慢ではないが、その才能をいかんなく受け継いだのだろう」

「ナルホドな。……しかしそれにしても、なんだかますますワケがわからねえコトになってきやがったぜ……」

 エドワーズは保安官事務所に残してきた人相書きを思い出しながら毒づく。マイクロフトが描き出してみせたのはまぎれもなく、失踪していたヘンリー・ジキル博士の人相だったのだ。

「ようするにジキル博士の失踪先も、アメリカだったってコトか?」

 マイクロフトはなぜか口ごもりながら、「……まァ、フツーに考えれば……そう考えるのが自然だろう」

「このタイミングでニューメキシコに現れたというコトは、ハイドと合流するつもりでしょうか?」

「だったらそもそも、なんで今の今まで、ふたりはいっしょに行動してなかったんだ? 少なくともこれまでハイドの周囲に、ジキル博士の存在なんか影も形もなかったんだぜ?」

「ひょっとしたら、ハイドはずっとジキル博士を捜していたのではないかね? そしてジキル博士のほうも、指名手配によってハイドがアメリカへ来ているコトを知り、彼に会いたくなって捜し始めた。ジキル博士は銃で撃たれていたという話だから、あるいは再会したハイドと仲たがいして、襲われたのかもしれん」

 新十郎は深々とうなずいて、「それでもジキル博士はあきらめず、ハイドを追いかけている――と。確かにそれなら辻褄が合います」

「ハイドに関する手がかりは現状途絶えてしまっているし、ここはひとまず、ジキル博士のほうを追跡するべきではないかね? 博士が向かう先に、おそらくハイドもいる可能性は高い」

「…………」

 確かにマイクロフトの推理は一見、筋が通っている。けれども、それがエドワーズの耳には何か都合がよすぎるというか、妙に空々しく聞こえてしまうのだった。いかにももっともらしい理屈で、肝心な部分を覆い隠そうとしているかのようなに感じる。

 押し殺していた疑念が、ふたたび墓から這い上がってくる。ハイドと薬の件もそうだが、実を言えばロンドンにおけるハイドの行状を事前調査したとき、まだひとつ気にかかっていた点がある。これまでは単なる情報不足に過ぎないと思い込んでいたが、もしかしたらそこにこそ、重大な事実がまぎれ込んでいたのかもしれない。

「……まさか……いや、いくらなんでもそんな……」

「どうしたエドワーズ? 何をブツブツ言っている?」

「……べつになんでもない……単なる独り言だ……」

 あまりにも狂人じみた発想が、エドワーズの脳髄を支配していた。

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