004
すぐさまバージニア州ニューオーリンズへ取って返した三人は、ユニヴァーサル貿易ニューオーリンズ支店の社屋兼支店長の屋敷を訪れた。思えば最初に港から出発したとき、馬車で門の前を通った覚えがある。イッキに徒労感が押し寄せてきた。
事前に電報で会う約束を取りつけておいたので、訪問するとすぐに応接室のほうへ案内された。
メイドが部屋のドアをノックして開く。「ご主人様、ピンカートン探偵社のご一行が到着いたしました」
「ようこそおいでくださいました。ささ、どうぞこちらへお座りに」
応接室は、贅沢のかぎりを尽くした内装が施されていた。床にはバラ模様の白いベルベットの絨毯がしきつめられ、窓には絹のカーテン、壁には金と銀の錦のタペストリーかけられており、家具はマホガニーだ。ソファーにも豪華な絹のクッションが山ほど置いてある。
そしてそのソファーに、うるわしの女主人が上品にもたれかかっている。スラリとした長い手足、一国の女王のように堂々とした態度、白いレースの長いガウンを身にまとい、胸元には真珠の十字架、髪飾りも真珠、その髪は真夜中の暗闇のごとき漆黒を冠のように編み込み、肌は象牙のように白くなめらか、暗く輝く瞳は見ていると吸い込まれそうになる。さしずめギリシャ彫刻に魂が宿り、そのまま動き出したかのような美貌だった。
――レイディ・コーデリア・フィッツジェラルド。ユニヴァーサル貿易ニューオーリンズ支店の女主人。嘘かまことか、かつてアイルランド全域を支配していた、フィッツジェラルド家の末裔を自称している。もしも時代が違えば、本当に女王陛下だったかもしれない。そう思わせる気品が彼女にはあった。
「スカーレット、お客様がたにコーヒーを。――ああ、そちらの英国紳士は紅茶のほうがよろしかったかしら?」
「アメリカで紅茶が飲めるとはおどろきですね。東インド会社から輸入された茶葉は、すべてボストンの港に沈んでいるのかと」
「何でしたら、アメリカン・ティーをお試しになりますか? 少々塩味が利いているのが特徴ですの」
「……いえ、今回はコーヒーに挑戦するとしましょう。ローマではローマ人のするようにせよ、と言いますから」
「では、お三方ともコーヒーでよろしいですね? かしこまりました」メイドのスカーレットは一礼して、部屋を出て行った。
しばらくして運ばれてきたコーヒーは、寸暇を惜しむ商人にふさわしく浅煎りで、色が薄く苦みよりも酸味が強い味わいだった。
「いかがかしら? 当家のメイドが淹れたコーヒーは」
「けっこうなお点前で」エドワーズは鼻の下を伸ばして、「見た目もなかなかのベッピンですし――ああ、もちろんレイディほどではありませんが。何なら彼女をうちの嫁さんに欲しいくらいだ」
「それはよかったですわ。ぜひもらってやってください。――ただし子持ち二人の未亡人でもよろしければ、ですが」
エドワーズは思わずコーヒーにむせてせき込んでしまった。新十郎にかいがいしく背中をさすってもらう。
「加えてジョージア州にある彼女の実家の農園が、先の内戦のおりに北軍の駐屯でスッカリ荒廃してしまって、ロクに税金も払えない始末。今はわたくしが支払いを肩代わりしているんですの」
「あー……いやはや、タイヘン魅力的なご提案でキョーシュクですが、あいにく今は仕事が恋人でありましてからに」
「あら、そう。それはザンネンですわね。せっかく彼女を厄介払いできると思っていましたのに」
コーデリアは、日本の浮世絵で貴婦人が持っているのと同じような非常に細長いパイプに、刻んだタバコの葉を手ずから詰め、メイドのスカーレットに火を点けさせると、肺に深く煙を吸い込んだ。そしてゆっくりと、蛇の舌のように煙を吐き出す。
「――さて、ご用件は二ヶ月前にわが商会を訪れた、ドリアン・グレイを名乗る人物についてでしたわね」
エドワーズはハイドの手配書をテーブルに広げて見せた。「現れたというのは、この男で間違いありませんか?」
「ええ。この両目が節穴でなければ。わたくしもあとになってから、スカーレットに言われて気がつきましたわ」
「ヤツから何か、相談事をされたとうかがっていますが」
「相談事というか、ようするにおカネの無心でしたわ」
「ユニヴァーサル貿易は金貸しも営んでいるんですか?」
「いいえ。とんでもない! 金貸しなど、厚顔無恥なユダヤ人の所業ですわ。誇り高きケルトの民がするコトではなくてよ」
「こいつは失礼。しかし、だったら、なぜあなたに借金を?」
「当人いわく、借金ではなく投資だというコトでした。しかも対象は彼自身ではなく、IRBに対して」
マイクロフトは苦虫をつぶしたように顔をしかめる。それはエドワーズも同様だった。ただひとり新十郎だけが首をかしげている。
「どうしたんですかふたりとも? 今さらコーヒーが苦すぎるなんて言いませんよね。IRBっていうのは何です?」
「そうか、日本人のおまえは知らなくて当然だよな。IRB――アイルランド共和主義同盟。まァ平たく言っちまえば、大英帝国からアイルランドを独立させたがっている連中が集まった組織だ」
「あの男は、アイルランド系で成功しているわたくしに、祖国と同胞を救うためIRBを支援しろ、としつこく迫ってきましたの。むろん、その場でことわりましたけど。ただでさえ黒人奴隷解放のせいで、農場も貨物船の荷下ろしも人件費がかさんでいるというのに、これ以上ムダづかいしている余裕など、当商会にはビタ一文ありませんわ。鼻面に猟銃を突きつけて、追い返してやりました」
「ナルホド。……しかし、となると、ハイドはアイルランド人だったってコトか? そこんトコどうなんだマイクロフト?」
「……まァ可能性はゼロではないな。そもそも素性は不明だったワケだし。アイルランド人でもスコットランド人でもおかしくない」
シカゴで偽札作りに関わっていたコトも、すべてIRBの資金集めが目的だったと考えれば、一応のつじつまは合う。ロンドンでヘンリー・ジキルの財産を狙っていたのも同様だ。
「貴重な情報をありがとうございますレイディ。もうひとつだけ、追い返されたハイドの行き先に何か心当たりは――」
「チョットお待ちになって!」コーデリアは淑女らしからず声を荒げる。「勝手にまとめないでくださいまし! わたくしの話はまだ終わっていませんわ! まだ続きがありますのよ!」
「これは失礼。IRBへの支援をことわったので終わりかと」
コーデリアは気まずそうにせき払いして、居住まいを正し、「むしろ問題は、そのあとですわ。わたくしに追い返されたハイドは、次に港のアイルランド系労働者たちを焚きつけたんですの」
「南部にアイルランド系は少ないと聞いていましたが」
「ニューヨークやシカゴに比べれば、確かにたいしたコトはありませんけれど、このニューオーリンズはいくらか多いほうですわ。スカーレットをはじめ、当家の使用人はアイルランド系がほとんどですし。それに、黒人の元奴隷に賃金を払うよりはと、同胞であるアイルランド系を積極的に雇うようにしてましたの。だというのに……あの男ときたら、わたくしへの当てつけか置き土産に、悪しき資本家を打ち倒せなどと何だのとストライキをそそのかしたり、アメリカで増えたアイルランド系が祖国へ舞い戻れば、レコンキスタは容易だとか大言壮語してリヴァプール行の貨物船に密航させたり、もうやりたい放題でしたのよ。それこそ、いいかげんピンカートン探偵社に事態の収拾を依頼しようか、と思っていたくらいで」
「もし依頼していただいていれば、いろいろと話は早かったでしょうがね。……ところで、その焚きつけられた労働者たちのなかに、奇妙な言い訳をするヤツはいませんでしたか?」
「奇妙、というと?」
「例えば、ハイドに何か薬を飲まされた――とか」
コーデリアは目を見開いて、「――ッ! ええ! ええ、そうです! ハイドに緑色をしたヘンな味の酒だか薬だか――たぶんチンキ剤のコトでしょうけれど、頭がよくなると言われて飲まされたとか。彼らのなかには、禁断症状みたいなものが出ている者もいて。でも、どうしてそのコトがおわかりに?」
「実を言いますと、シカゴの偽札組織で逮捕されたヤツらが、同じようなコトを言っていたそうでしてね」
マイクロフトは不満げに、「オイ、なんだそれは? 初耳だぞ」
「悪い。あんまりにも荒唐無稽で、信憑性が薄かったんでな」
シカゴの偽札組織で、ハイドは腕のいい印刷工のスカウトを担っていた。摘発後に、シークレットサービスがそれら逮捕者たちの経歴や人柄を調べたかぎり、誰も彼も今まで善良に生きていた者ばかりで、とても通貨偽造に加担するような人間ではなかったという。しいて言えば、かならずしも裕福な暮らしではなかったようだが、さすがに貧困というほどではなかった。けれどもそんな彼らを、ハイドはいともたやすく悪の道へ引きずり込んでしまったのだ。彼らはひとが変わったように凶暴で欲深くなり、心なしか顔立ちも悪人面になったようにさえ見えたらしい。
いったいどんな薬を使えば、そんなおそろしいコトができるのか。アヘンチンキの一種だとすれば、アヘン窟へ出入りしているうちに薬の調合技術を身に着けたとも考えられるだろうが。あるいは、例のジキル博士が薬学に精通していたというから、彼から教わった可能性もありえる。
ところで薬の件が事実だとすると、無視しがたい懸案事項が出てくる。マイクロフトは薬について素直におどろいている様子だが、実のところ演技かもしれない。わざわざハイドを捕まえにロンドンから出向いて来たのも、あの薬が目当てだとすれば十分に納得できる。
もしエドワーズの想像通りだとすれば、スコットランドヤードもしくは英国政府が何を企んでいるにせよ、ハイドの身柄をおとなしく引きわたしてしまうのは、何かよからぬ事態を招いてしまうのではないか――。考えすぎているのだろうか。
「……レイディ、最後にあらためて尋ねますが、この街での用事を済ませたハイドの行き先に、どこか心当たりは?」
「行き先といいますか……ハイドはあのソーヤー一味に加わったと聞いていますわ。おそらくユニヴァーサル貿易の報復をおそれたのではないかと。わたくしの耳にこの情報が届いたのも、きっと意図的なコトのハズ。いくら何でもあのソーヤー一味がうしろ盾では、さすがにこちらも手出しがしづらくなりますから」
ユニヴァーサル貿易をあとにして、馬車に乗り込んだエドワーズは、心底ウンザリして天を仰いだ。「まいったな。最悪に近い展開だ。コイツはかなり面倒くせえコトになっちまった……」
その言葉に、新十郎も同意するようにうなずいている。
マイクロフトは苛立たしげに、「勝手にふたりだけで納得してないで、私にもわかるように説明してくれ。ソーヤー一味というのは何だ? ギャングか盗賊団のたぐいか?」
「だいたいそんなところだな。ソーヤー一味は南軍の敗残兵が寄り集まって出来た、よくある犯罪集団のひとつだ」
彼らは、貧乏な南部人のあいだでは義賊扱いされている向きもあるが、ようするに単なる盗っ人だ。銀行強盗、列車強盗、馬車強盗、押し込み強盗、強盗と名のつく犯罪には、すべて手を染めていると言っても過言ではないだろう。連中はメキシコ国境と隣接するアリゾナ準州、ニューメキシコ準州、テキサス州辺りを荒らしまわってるらしい。特に頭目のトーマス・〝トム〟・ソーヤーとその右腕ジョセフ・〝ジョー〟・ハーパーには、高額の懸賞金がかけられてる。なにせあのジェシー・ジェームズも所属していた、悪名高きゲリラ部隊〈クアントリル・レイダース〉の元メンバーとあっては、どうあっても放っておくワケにはいかないだろう。
「やっかいなのは、一味は総勢三十名以上いるってコトだ。武装した元兵士。町の保安官事務所や賞金稼ぎ程度じゃアとても太刀打ちできねえ。それこそ騎兵隊でも連れて来ねえと」
つまりハイドが一味のメンバーでいるかぎり、ヤツひとりを生け捕りにするなど、夢のまた夢だ。
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