四、

 翌日テレビは『人喰い惨殺通り魔事件』の話でもちきりだった。昨日たかねが言った通り、三人目の被害者である佐々木麻奈は、隣町の旭町の公園近くで発見されたらしい。詳しくは報道されなかったが、第一発見者は同じ高校の生徒―――たかねだ―――で、しかも血まみれで被害者に縋って泣いているところを発見されたらしい。若干高校生にして、人の血を浴びるなんて、きっと心に深い傷を負ったに違いない。夏芽は朝十時くらいになってから、やはり心配になって、たかねに電話をした。

 心配していた通り、たかねの声に力は無かった。余程ショックだったのだろう。

「たかね、今からそっち行こうか?」

『ほんとに?来てくれるとうれしい。でも、通り魔事件のことがあるから、危ないし……』

「大丈夫。お母さんが送ってくれるから。何時なら行っていい?」

 少し間を置いて、たかねは、

『いつでもいいよ。実は、今親居ないから。心細くて』

「そっか。じゃあ、すぐ行くよ」

 夏芽は電話を切った。

「お母さん」

 皿洗いをしていた春代が振り向く。

「なあに、なっちゃん」

「ちょっと、たかねの家に行きたいんだけど、送ってくれない?」

「行きたいんだけどって、たかねちゃん、大丈夫なの?」

「うん……。今親が家にいなくて心細いんだって。だから、ケーキでも買って行って元気づけてあげようと思ってさ」

 春代は微笑んで、それから夏芽を抱き寄せた。

「なっちゃんはいい子ね。優しい子に育って、お母さん、本当に幸せよ」

「もう高校生なんだから、子ども扱いしないでよ、お母さん」

 照れくさくなって、頬を膨らめる。しかし、褒められて、夏芽は少し嬉しかった。

 二人で家を出、車に乗る。途中で行きつけのケーキ屋で二人分のケーキを買うと、再び車を走らせる。

「夕方には迎えに来るからね」

 春代は、たかねの家の前に夏芽を下ろすと、窓を開けて言った。

「うん」

「しっかり励ましてあげるのよ」

 夏芽はインターホンを押す。すぐにドアが開いた。たかねは、昨日とは比べ物にならないくらい、落ち窪んだ目をしていた。きっと、ショックと恐怖で寝られなかったのだ。夏芽はたかねを抱きしめた。

「たかね、大丈夫。もう大丈夫だからね」

「ありがとう、夏芽」

 たかねもすがるように、強く夏芽を抱き寄せた。それから夏芽は、

「たかねが元気出ればいいと思って、ケーキ買ってきた!」

「わー夏芽、流石親友、わかってるぅ」

 二人は元気よく家の中へ入っていった。

 居間で、たかねの祖母が茶を飲んでいた。

「あ、おばあちゃん、お久しぶりです」

「夏芽ちゃんかい。去年の冬以来だねえ。わざわざ、今日は、たかねのために来てくれたんだろう?ありがとねえ」

「いえいえ、そんな」

「おばあちゃん、私たち、二階にいるから」

 たかねは祖母の返答を聞く前に、たかねの手を引いて階段を上り始めた。祖母が茶をすする音が聞こえる。たかねは小さい声で、

「おばあちゃん、ちょっとボケちゃってるの。それに、あんまり心配かけたくないしさ」

と言った。

 部屋に着くと、早速ケーキを開けた。

「じゃーん、たかねの大好きな、チョコレートケーキ」

「わー!うれしい」

 二人でケーキを食べていると、たかねの方から、昨日の事件の事を話し始めた。

「初めて、あんな怖いものを見たよ」

 たかねは遠くを見るように言った。

「絶対に、人間じゃなかった、と思う」

「……そうだよね」

 妖怪は人間に手を出せないんだよ、ということを夏芽が力説しても、何の説得力もないし、何よりたかねの気持ちを思うと、言い出せなかった。

「幽霊って、お化けって、本当に居るんだね……」

 たかねは上の空だった。

「夏芽の言ってたこと、信じておけばよかった」

「そ、それがね」

 夏芽は気まずくなって切り出した。

「私の勘違いだったみたい。お化けなんて、やっぱりこの世には存在しないよ」

 歪な笑顔は、たかねに勘付かれないだろうか。しかし、綺堂の話した内容を切り出しても、たかねには―――通常の人間には―――理解できるはずがない。夏芽だって、あの世界に入っていなければこんなこと信じられなかった。

 しかしたかねは大きく首を振って、

「いや、本当に見たのよ」

力強く言った。

「あれは、まさしく妖怪だったわ」

「たかね……」

 現実を受け入れられないのだろう。目の前で、友人を失ったのだ。

「私ね」

 たかねは続けた。

「人喰い女が麻奈ちゃんを散々食べ散らかした後、居ても立っても居られなくて、どうしようもなくて、麻奈ちゃんに駆け寄って抱き上げたの。そしたらね、麻奈ちゃん、まだ生きてた。息があった。私、麻奈ちゃんに声をかけながら、急いで救急車を呼んだ。でも、まなちゃん、私の腕の中で、動かなくなった」

 たかねの肩が震えていた。

「人って、こんなにあっけなく死んじゃうんだね。私、何もできなかったよ。人工呼吸とか、すればよかったのかな。でも、声をかけるのに、それだけに必死で、私、何もできなかった。その所為で麻奈ちゃんは」

「違うよ、たかねの所為じゃない。それに麻奈ちゃんは……」

 予想だが、たかねが何をしようと、麻奈は出血多量で死んでいただろう。きっと、たかねが駆け寄った時には既に虫の息だったに違いない。

 夏芽はたかねの肩に手を置いた。

「麻奈ちゃんはきっと天国に行ったよ。今、私たちに出来ることは、犯人が逮捕されることを願う事だけ。それに」

 夏芽は肩をすくめた。

「私、心の中で思っちゃった、襲われたのが、たかねじゃなくてよかったって。麻奈ちゃんで、よかったって。私、酷い人間だよね」

「夏芽え」

 たかねは夏芽に抱きついた。

「そう思ってくれる親友がいるだけで、私は幸せだよ」

 夏芽はたかねの頭を撫でた。いつもと逆の立場に、歯がゆさを感じる。しかし、少しでも親友の力になれているのだ、そう思うことが出来ただけで、夏芽は嬉しかった。

「それよりたかね、彼氏には連絡したの?」

「ああ、彼氏?まあ、ね」

 たかねは彼氏からもらったエメラルドのネックレスに触れながら、

「すごく、心配してくれた」

と言った。

「でも、彼、旭町に住んでるから、家から出られなくて」

「そっか。会えなくて、寂しくない?」

 たかねは、ううん、と少し悩んでから、笑顔で、

「ぜんぜん!」

と言った。

「私たちはね、心で繋がってるの。だからほんの二、三日会えないくらいじゃ、どうってことないよ」

「そっか」

 夏芽は笑った。

「それより、夏芽、最近いいヒト出来た?」

「え?何を言うの突然」

「なんか最近、顔つき変わってきたなって。朝寝坊もしなくなったし、寝癖もないし……彼氏でも出来たんじゃないの?」

「彼氏だなんて!べ、別にそう言う関係じゃ!」

「あ!やっぱり思い当たる人いるんだ」

 たかねはにやりとした。親友の幸福を祝っての笑みでは無い、たかねはただ、恋愛経験のない夏芽をついにからかう日が来たことを喜んでいるのだ。

「で、どんな人なの」

「だから、好きとか、気になっているとか、そういうのじゃないよ。ただ、最近お世話になっているって言うだけでね」

「うんうん」

「背は、そうだなあ、百八十センチくらい?で黒髪で色白で、いつも着物姿でね、あ、凄く優しい。頭が凄く良くてね、実はこの事件の相談も、その人にしているの」

「褒め殺しじゃん」

「でも、そういうのじゃないって。だって、多分すごく年上なんだ。二十五、六?もっと上かな?三十手前位?」

「意外!夏芽って年上派なんだね」

「そ、そういうわけじゃないけど……」

 笑い声で満ちた部屋は、いつも通りのように思われた。たかねは、まるで昨日の事件などなかったかのように明るい様子だ。夏芽は安心した。たかねの笑顔がもう一度見られただけで、夏芽は幸せだった。

 正午を知らせる鐘が鳴る。

「あ、夏芽来るって言うから、おばあちゃん、張り切って昼食作っるって言ってたよ!」

「わ、楽しみ」

 たかねの祖母は元定食屋の“おばちゃん”らしく、彼女の作る料理はまさに絶品であった。

「今日はオムライスって言ってたっけ」

 たかねは、「持ってくるね」と言って階段を駆け下りて言った。その時、誰かに見られたような気がして振り向く。しかし、後ろには押し入れがあるだけで、何もない。

 少しして、たかねがオムライスと麦茶をトレーに乗せて部屋に入ってきた。

「おかえり。あ、やっぱりおばあちゃんのオムライス、すごくおいしそう」

「でしょう?私も楽しみ。いただきまーす」

「いただきます」

 手を合わせて、二人はオムライスを口に運んだ。柔らかな卵とトマトソースで味付けられたライス、それにデミグラスの香ばしさが二人の舌を唸らせる。たかねの祖母は料理に関しては文句の付けどころがない。春代にも見習ってほしいものだ。

 食べながら夏芽は、

「そう言えばこの家、いつまでたっても変わらない安心感あるよね」

「うん、座敷童が住んでるからね」

 夏芽は一瞬、オムライスをのどに詰まらせて咳込んだ。

「大丈夫?」

「う、うん。へ、へえ、今どき座敷童なんて、珍しい家もあるんだね」

「うちは旧家だからね。今でも年に一回、座敷童に感謝するお祀りみたいなものをやっているんだよ。お父さんの会社の成功も、そのおかげだっておばあちゃんは言ってた。まあ、あたしや他の家族は半信半疑だったけど、実際に良いこと尽くしだし、私も今は座敷童って本当に居るんじゃないかなって思ってるんだ」

 居ます。と夏芽は心の中で呟いた。おかっぱ頭で、後ろの髪は耳まで刈り上げ。背は低くて小学一年生位だけど、本当は六年生……。夜には綿飴屋さんでバイトをやっている。それが、座敷童だ。

「夏芽、信じてないでしょ」

 たかねが夏芽を覗き込む。夏芽は慌てて、

「い、いや、居るかもね」

と言った。

 たかねの父は、祖父の代から大きな会社を引き継いでいて、所謂お金持ちだ。それなのに家を建て替えずに、ここに住み続ける理由が分かった気がした。座敷童は古い家に住みつくという。全ては座敷童の恩恵に肖るためだったのだ。

「妖怪なんて信じないって言ってたくせに、たかねだって、座敷童の存在は信じてるじゃん」

 夏芽は言う。

「まあね。だって、本当に居たら、素敵でしょ。きっと可愛い子供だよ」

 確かに、かわいい。夏芽はふと視線を感じて、再び押し入れの方を見た。夏芽は驚愕した。押し入れの引き出しを少し開けて、昨日見たおかっぱ頭の少女が、ちらりと顔を出して二人に微笑んでいた。

―――可愛いけど、やっぱり不気味!

 夏芽の頬を冷や汗が伝った。

「どうしたの夏芽?」

 たかねが押し入れの方を向く。

「あ、やだ、また閉め忘れた」

 たかねが振り向いたと同時に、座敷童はすっと押し入れの奥の暗闇に消えて行った。そう言えば、座敷童は家主に見られてはいけないと聞いたことがある。家主に見られた座敷童は、新たな家を探し住みつき、そして座敷童が離れた家は没落する。だから、たかねには見えないようにしているのだ、と夏芽は思った。

 それにしても奇妙だ。“向こうの世界”、つまり妖怪の世界は、人間に捨てられた思想やモノが妖怪となって集まる場所だと綺堂から説明を受けた。しかし、座敷童は現にこちらの世界にもいる。どういうことだろうか。こちらの世界とあちらの世界を、行き来しているのだろうか。今日会う時に、綺堂に聞いてみよう、夏芽はひそかに思った。

 その時、夏芽の携帯電話が鳴った。自宅からだった。

「もしもし、お母さん?」

『もしもしなっちゃん?実はね、ご縁のあるおじいちゃんが亡くなってね、お父さんとお母さん、急遽青森まで行かなきゃいけなくなっちゃったのよ』

「えっ!青森?」

『うん。なっちゃんも連れて行こうか迷ったんだけど、学校がいつ始まるかもわからないし、親戚でもないから、気まずいだろうしと思って、どう?ついてきたいならついてきてもいいし、お留守番でも勿論構わないわよ』

 両親と共に青森に行ってしまっては、綺堂の元へ行って、事件解決の手助けが出来なくなってしまう。

「私、留守番するよ。宿題いっぱいあるし」

 夏芽は言った。

『そう……心配ね。でもわかったわ。今から迎えに行くけど、大丈夫?』

 夏芽はたかねを見てから、

「うん、平気」

『じゃあ、十分くらいで着くから、待ってなさいね』

 電話が切れた。

「お母さん、どうしたの?」

 たかねが聞く。

「お父さんとお母さんのご縁のあるおじいさんが亡くなったんだって。でも、私の知らない人だから、留守番することになって、今からお母さん迎えに来るって」

「あ、そうなんだ。ご愁傷様だね」

「よりによって、こんなときにね」

 不幸は続くものだというが、夏芽の周りでこんなにも人が死に続けると、次は自分では無いかという恐怖すら生まれる。

「お母さん、今から迎えに来るって」

「そっか、わかった。もっと遊びたかったけど、残念」

 たかねは肩を落とした。

「あ、そうだ!」

 思い出したように、たかねは廊下を駆けて行った。どうしたのだろうか、と惚けていると、たかねはまた走って戻ってきて、夏芽に緑のブローチを手渡した。

「これね、この前、グアムに旅行に行ってね、その時に買ったブローチなんだけど、マラカイトって言う石で出来てるの。夏芽に、お土産」

「嘘!こんな高そうなの、受け取れないよ」

「グアムだよ?旅行先で、そんな高価なもの買う筈ないじゃん。とりあえず、受け取りなって。私からの、愛のプレゼント。それから、お守りとしてさ。毎日つけて」

 夏芽はたかねからブローチを受け取った。緑の優しい色をしている。

「マラカイトにはね、“魔除け”の意味があるんだよ」

「魔除け?」

「うん。人喰い女避けに使って」

「ありがとう、たかね」

 その場で胸につけてみせると、

「どう?似合う?」

「うん、私の見立て通りね」

 たかねは嬉しそうに笑った。

 十分後、玄関のチャイムが鳴り、黒の喪服に身を包んだ春代が、夏芽を迎えに来た。

「たかねちゃん、夏芽と遊んでくれてありがとね。それと、あんまり気を落とさないで。これ、私たちからの気持ち」

 春代は熊のぬいぐるみを手渡した。

「お母さん!ぬいぐるみって……」

「女の子はね、いつまでたっても乙女なの。泣きたい時は、このぬいぐるみに顔を埋めて泣きなさい」

 夏芽は絶句する。春代はやはり、頭がぶっ飛んでいる。しかし、たかねも同じ部類だ。

「夏芽のお母さん、ありがとう」

「たかねちゃん、いいのよ」

 二人は抱き合う。夏芽は思わず苦笑いを浮かべずにはいられなかった。


 帰宅すると、既に喪服に着替えた冬吉が、二人を待っていた。

「よりによってこんな時に、秋男さん、亡くなっちまうとはな」

「そのおじいさんって、どんな人なの?」

「私たちの仲人さんよ」

「そっか。でも親戚でもないなら、お母さんたちも行く必要ないんじゃないの?」

 思わず夏芽は溢した。

「そう思うでしょ。でもね、とってもお世話になった人だから、行かなきゃいけないのよ」

「そういう事だ。夏芽、本当に行かなくていいのか?」

 夏芽は目を泳がせながら、

「だって行ったって……」

 きっと知らない人ばかりだろう……。

「……私、留守番、良い子にしてるから、安心して」

「外に出ちゃだめよ。三日で帰ってくるけど、絶対に家から出ちゃだめよ」

「……わかった」

 夏芽は頷いた。

「じゃあ、お父さんたち、行ってくるから」


 二人を見送った夏芽は、玄関にカギをかけ、リビングに向かった。今日も勿論“向こうの世界”へ行く予定だが、まだ午後一時。バタバタしたあとだ。少しのんびりくつろぐ時間が欲しかった。

 夏芽はリビングのソファに腰を掛けると、テレビのリモコンを付けた。ふぁ、と音が鳴って、光が付く。こんな平日の昼間からやっている番組は、詰まらないワイドショーやニュース番組ばかりだ。しかし、夏芽としては、『人喰い惨殺通り魔事件』の捜査がどう進展しているのか、知りたかった。

 綺堂は、「自分が解決してみせる」と言っていたが、所詮彼は“向こう”の人間。人間世界担当は、夏芽だ。少しでも綺堂の為になる情報を仕入れたい。

 画面の右上に『恐ろしき人食い魔』と表示されている。

『本当に人を食べているんですかね』

『それがですね、安西さん、御遺体には、かじりつかれた歯形が残っており、その部分が何処からも発見されていないというんですよ』

『犯人の演出ではないですかね。しかし、それにしても、まだ未来ある少女ばかりが襲われているという事で、怒りと憤りを感じずにはいられませんね』

『今日はゲストで、ルポライターの由宇奇秋人さんをお呼びしました』

 拍手がされる。由宇奇と呼ばれたルポライターは、不服そうな表情で、ゲスト席に座っていた。茶色の背広に無精髭。無造作にはねた、光に当たると緑色にも見える茶髪。“ゲスト”にしては余りに“みすぼらしい”。

『由宇奇さんは、犯罪心理専門の記者さんという事で』

『あ、記者じゃないです、ルポライター』

『……失礼しました、犯罪心理専門のルポライターということで、今回お招きしたんですが、今回の事件、どのように考えておられますか?』

『んーまあ、その内犯人は捕まるでしょう』

『そりゃあ、捕まらないと困りますが……』

『いいですか、人を食ってるってことは、異常者です、異常者。兎に角、異常なの。人ってふつう食べないでしょ、それを食べてんだからね。死体は道端に転がってるっつったね。てことはね、衝動的な犯行な訳。急遽脳内の信号がね“人食べたい”って言って、それで食べてるの。犯行を犯してるっていう意識は、食べてるときは無いんだろうね。だって君たちもそうだろ?ハンバーガー食べたくてハンバーガーショップに行くじゃん、その時、“嗚呼この牛肉はこんなに粉砕されるまでは生きていて将来の希望を持って草食べてたんだ、俺はなんて酷い奴なんだ”なんて思わないでしょ。これやってる犯人はね、人食う事を異常だって思ってやってないんだよねー』

 態度の悪い“ゲスト”だなあ、と夏芽は思った。

『……では、由宇奇さんは、犯人は異常者で、衝動的に、罪悪感も持たずに犯行に及んでいると』

『いやだから、罪悪感がないのは“食べてるときだけ”。食べ終わったら、罪悪感あるよ。無かったら、最後まで食べつくすでしょ?骨の髄まで喰らい尽くすでしょ?途中でやめて逃げてんだよこの犯人さんは。つーまーり、“俺やベーことしちゃった”って今頃なってるから、その内捕まるよ。事件が起きてる場所も近いとこばっかだしね。だいじょーぶ。家さえ出なければ何も心配はいりませーん』

『……はい、由宇奇さん、ありがとうございました』

 アナウンサーは打ち切るように言った。

 ヒトを食べることに罪悪感がない人間が犯人……。夏芽は悪寒を感じた。しかし、あのルポライター曰く、犯人は、犯行を終えた後は、罪悪感を感じているらしい。

「ほんとに、その内捕まるのかなあ」

 夏芽はチャンネルを変えた。瞬間、衝撃的な映像が飛び込んできた。それは、被害者宅に押し寄せる、報道陣の群れだった。開かないドアの前で、女性アナウンサーが画面越しに言った。

『こちらが、昨日殺害された、佐々木麻奈さんのご自宅です。ご両親にお話をお伺いしようと、大勢の報道陣が集まっています』

―――なんてこと!

 女性はインターホンを押して、

『佐々木さん、娘さんを失った悲しみと、犯人への怒り、お察しします。犯人へひとこと、お願いできないでしょうか』

『……』

 インターホンからは何も返ってこない。

『佐々木さん、お気持ちを』

『……』

『娘さんを亡くされたお気持ちを、是非ひとこと、お願いします』

―――――――――。

 夏芽は思わず立ち上がった。昨日の母の抱擁を思い出す。親が子供を愛する気持ち、それは万国共通のものだ。佐々木麻奈の両親は、昨夜、一番大切なものを亡くした。今頃、悔しさと、憤りと、悲しみと、怒りと……抑えきれない感情の渦の中、泣き腫らしているに違いない。それをこのアナウンサーは、佐々木麻奈の家族の感情に追い打ちをかけるように、容赦なくインターホンを押し続けている。

『佐々木さん、佐々木さん!』

「やめてあげて!」

 夏芽は叫んでいた。テレビを消す。佐々木麻奈の笑顔が脳裏を過る。夏芽の頬を、涙が伝った。

「酷い……酷過ぎる……」

 被害者は、被害者家族は見世物では無い。佐々木麻奈は昨日まで生きて、笑っていたのだ。

「娘さんを亡くした気持ちを言えって?」

 夏芽は怒りでソファのクッションをテレビに投げつけた。

「そんなの、考えれば誰でもわかるでしょ!馬鹿!」


『夏芽ちゃん、たかねちゃん、私たちとダブルスしない?』

『えー!また、麻奈ちゃんたちとー?麻奈ちゃん元バド部でしょう?絶対、私たちが勝てないの分かってて言ってる!』

『違うよー!ふたりってね、とっても素敵なチームだと思うの。だから、ふたりとやってると楽しいんだあ』

『とかなんとか言っちゃってえ。でも、今日は負けないんだからね!』

『うふふ、ありがと、いつも一緒にやってくれて』

『こちらこそ』


 夏芽は拳を固く握った。佐々木麻奈の死を弄ぶような報道陣が許せなかった。そして、何よりも一番許せないのは犯人だ。

―――絶対捕まえてやる。

 夏芽はいつの間にか疲れも忘れて、家を飛び出していた。向かうのは、あのトンネルだ。綺堂壱紀は何か掴めただろうか。いや、彼ならきっと、この許せない犯罪の波を止めてくれる。

 トンネルはいつものようにぽっかりと口を開けている。夏芽は迷わず飛び込むと、異世界に身を投じた。







「由宇奇さん、今日はありがとうございました。由宇奇さんの毒舌っぷり、反響がありましたよ。また是非番組に」

「あ、急いでるんで、詳しい話はあとで電話ください」

 生放送のワイドショーが終了すると、ルポラーターの由宇奇は即座に席を立ち、会場を後にした。

「はい!連絡させていただきます!」

 後ろから番組製作者の声が聞こえる。全く、なんて日だ。由宇奇は溜息をついた。つまらないワイドショーに出演オファーがかかり、カネが貰える上に好きなように意見を言えるというから来てみれば、カンペを渡され、『こんな内容で喋れ』と指示され、服装や髪形まで弄られそうになった。

「人は人形じゃねえんだよ。二度と出てやるか、こんな糞番組」

 由宇奇はカンペをくしゃくしゃに握りつぶすと、後ろへ放った。何が異常犯罪者だ、この野郎。人間なんて、みんな異常なんだよ。特に犯罪を犯している奴は、その時点で、異常だ。人が人を殺した時点で既に異常だ。

「全く。妖怪の世界じゃ“妖怪殺し”なんてねえっての」

 溜息をつきながらテレビ局を出ると、目の前に停まっているタクシーに乗り込んだ。

「えっと、青森まで」

「はい?」

「行けねえの?じゃあ、新幹線の停まってるとこまで良いや」

「……わかりました」

 タクシーが走りだす。窓の外を見る。東京っていうとこは、どうしてこうもごちゃごちゃしているのか。由宇奇はタクシーが信号につかまるたびに、苛々して貧乏ゆすりをした。由宇奇のただならぬ様子を見て、タクシーの運転手が気を利かせる。

「随分と、ごきげんななめの様ですね。何かあったんです?」

「ああ。嫌なことだらけだ」

「人生、嫌なことだらけですよ。それに、仕事してれば誰だって嫌になる時はあります。そんなに気を焦らせないで、このタクシーに乗っているときくらいは、もう少しまったりとしてみてはいかがです?座っているだけでいいんですからね」

「ああ」

 穏やかな声音に、少しだけ怒りが和らいだ。

「駅まで大分ありますし、お話お聞きしましょうか?」

「ああ、それがよう、糞つまんねえテレビのワイドショーなんかに出てきたとこでよ。自由に喋れって言われたから来てやったのにカンペ出してきやがった。だからカンペを裏返して番組に出てやったよ。アナウンサー、焦ってたな」

「あなたもしかして、さっきの番組に出てた記者さん?」

「ルポライター」

「ああ、失礼しました。ルポライターさん。確か、変わった名字でしたよね」

「ああ。由宇奇ってんだ」

「テレビ番組に出た後に、青森に行くなんて、ルポライターさんもお忙しいんですね」

「いや、今回は仕事は関係ねえんだ」

 由宇奇は遠くを見るような目で言った。

「糞じじいが、死にやがった」

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