第4話
朝。教室に入ると心なしか鋭い視線が増えているような気がした。
もし、この視線が自分に向けられているものなのだとしたら。
僕は理由をひとつしか思い浮かべることが出来なかった。
昨日真奈美先輩と喫茶店に行ったことは、それほどまでに罪深いことだったのだろうか。
そうかもしれない。
もし自分が見送る側の人間だったら、朝から相手の男を睨んでしまうだろう。
「なんだよなんだよなんだよ〜!」
朝から機嫌の良さそうな宏哉が、にやにやしながら近寄ってきた。
気持ち悪いヤツめ。
「お前、昨日美人の先輩と一緒に帰ったんだろ? 結構みんな見てたみたいだぞ」
「べ、別に、先輩とデートなんかしてないし」
「マジで? デートしたのかよ?! 羨ましすぎる!」
「ホントに何もしてないんだって!」
情けなさすぎる。
デートだって胸はって言えるならいいけど、昨日のあれは本当になんでもない。
……と、自分で言って悲しくなった。
「ナニってナンだよ。ほれ、この恋愛マスター宏哉様に相談してみな!」
「いつから恋愛マスターになったんだよ、このエロマスターが!」
欲望にまみれて溺れてしまえ。
いつまでもからかってくる宏哉を羽交い締めにしようとしたが、さすが相手は野球部、簡単に逃げられてしまった。
「なんだ? なんか、すげぇ見られてる気がするんだけど?」
宏哉が急に素に戻って言う。
「実はさ、こないだから気になってたんだよ」
僕は先日から感じていた視線について説明した。聞いているんだかいないんだか、宏哉は「へぇ〜」と、まるで生あくびをするような相づちを打つ。
「今頃、俺の魅力に気づいた女子がいるのかもな」
「あーはいはい、そーですね」
棒読みで返したが、宏哉の言っていることも一理ある。
なにしろ宏哉が野球部のスタメン入りしたのはこの春からだ。今頃から急にファンが増えてもおかしくはない。
それに比べて、草食系男子の典型である自分に注目する女子は万が一にもいないだろう。
……と考えると、もし見られているのが自分だとしたら、相手は真奈美先輩と一緒に下校したのを逆恨みする男子くらいだろう、と僕は推測した。
「なんかさ、変な音も聞こえるよな」
宏哉に言われて耳をすましてみた。
すると確かに断続的な音がかすかに聞こえる。ペンか何かで机を叩いているようだ。
「宏哉がふざけたこと言うから、誰かがイライラしてるんじゃないのか?」
「俺は至って真面目だぞ」
「あー、もう分かったっつうの!」
視界の隅で誰かと目が合った気がした。そちらの方向へ意識を向けてもすでに誰もこちらを見ていない。数人の女子が会話をしているだけだ。
中心で席についているのは昨日話しかけてきた女子、桜井由美だった。
彼女は会話を続けながらペンで机を叩いている。あの音か。
と、と、と……ん、と、と……ん。
と、と……ん、と、と……ん、と……ん。
と……ん、と、と……ん、と……ん。
なんだ、あの規則がありそうでなさそうな叩き方は。まさか、暗号で誰かと交信しているわけじゃないだろうな。
暗号と言えばモールス信号くらいしか思い浮かばないが、僕はモールス信号など解読出来ない。
てか、今時の女子高生はモールス信号が女子力アップのための必須科目なんだろうか。
一瞬頭によぎったが、そんな訳がないだろう。
「なぁ、なぁ。やっぱみんなが俺のことを見てるだろ?」
相変わらず能天気な戯言を抜かす宏哉に阻まれ、僕はそこで思考を止めた。
*
今日が部活のない日で本当に良かった。
僕は心から安堵しながら、昇降口に向かう。と、偶然なのか待ち伏せされていたのか、下駄箱の前に美術部男子が集まっていた。
「阿部、ちょっといいか?」
ヤバい。目がマジだ。
体育館裏にでも連れて行かれてボコられるのだろうか。
「良くない! 全然良くない!」
僕は抵抗するもむなしく、両脇から掴まれて廊下を引きずられた。
行き先は体育館裏ではなさそうだが、鬼気迫る状況には違いない。
「どこ行くんだよ! 離せよ!」
「いいから黙ってろ」
どこへ連れて行くかくらい、言っても問題なかろうに。明らかに苛つきながら、一言発すると彼らは黙ってしまった。
こいつら、それほど僕の事を腹にすえかねているのか、それとも実は行き先を決めていないのか。
僕は理不尽な態度に納得がいかないながらも、ここで引き下がるのも男として恥ずかしい気がして黙ってついて歩いた。
抵抗しないと分かってからは、拘束は解かれたが目的地に着くまでずっとピリピリとした空気が漂っていた。
「なんだよ、美術室じゃないかよ」
階段を登っている途中で気がついた。
「いいから、早く来いよ」
「一体なんなんだよ……」
「俺たちの方が聞きたいよ! お前昨日、真奈美先輩と何やったわけ?」
「な、ナニって? 何もしてねぇよ!」
動揺したせいで余計に疑われてしまったが、誓って何もしていない。誤解だ。
「何もやってないなら、なんで先輩が女子にからまれなきゃいけないんだよ? 大体お前なんか俺たちと同じ地味で奥手な陰キャラのはずなのに、そもそもなんで部活サボって先輩と一緒に帰ってるんだよ!」
「そ、それは、ちょっと相談したいことがあったからだよ!」
「先輩に相談しなきゃいけないことなのかよ?」
相談内容まで言える訳ないだろ。もうやってられん。
これ以上話しても無駄だ、と無言で僕が美術室までついていくと、中から女子の声が聞こえてきた。
何を話しているかまでは分からないが、かなり興奮しているようだ。
「……って、花音?!」
「あ、阿部くん!」
「お、お兄ちゃん……」
真奈美先輩に食い下がっていたのは、なんと花音だった。
「お前の妹かよ?」
「……なんでこんなに可愛いんだよ」
女子を目の前にして、男子達の声が小さくなる。
さすがは地味で奥手な陰キャラ同志……
いや、断じて僕は同志ではない! 僕は首を振った。
それにしても花音だ。
今朝はなぜか黙って先に行ってしまったから、真奈美先輩に話しかけるのも躊躇ってしまったじゃないか。先輩の方から挨拶してくれたから、いつものように一緒に登校出来たのだが。
いや、それはおいといて。
今日は部活がない日なのに、なぜ花音が、そしてなぜ先輩が美術室にいるのだろう。
「花音ちゃんがね、昨日のこと聞きたいって言ってたから話しちゃった」
真奈美先輩はなんでもなさそうな顔で笑っている。
だったら何故男子達が血相を変えて自分を捕まえにきたのだろう。
僕は一瞬悩んだが、思い当たる節があった。
花音は頭が良いし普段は穏やかな性格だが、なんでも白黒つけたがったり物をはっきり言いすぎたりする嫌いがある。
去年不登校に陥ったのもその性格が災いしたのだろう。
兄としてはそんな妹も悪くないと思うが、確かに草食系男子には衝撃的だったかもしれない。
「そんなこと、僕に聞けばいいじゃないか」
「だ、だって……」
花音がうつむいて口に手を当てながら囁くのを見て、男子達が顔を赤らめる。
確かに、花音の動きに合わせて長くまっすぐな黒髪が揺れる姿は、兄妹じゃなければキュンとしてしまうかもしれない。
「気になっちゃったんだもんね。花音ちゃん……」
「だ、ダメーー! 先輩!」
今度は花音が真っ赤になった。
対して先輩はすごく楽しそうに見える。
もしかして、花音をからかっているのだろうか。
「じゃあ、ほら……いいよね?」
「はい……」
なんだ、なんだ?
昨日、真奈美先輩と話したことは花音にとってそんなに触れられてはいけない弱みだったのだろうか。
そんなはずはない。自分は妹が不利になるような話をした覚えなどない。
なら、真奈美先輩が嘘の情報を与えて花音に何かを要求しているのだろうか。
そんなこと、真奈美先輩に限ってありえない!
絶対、絶対花音の方に何かの理由があるはずだ。
みんなが注目する中、花音が口を開いた。
「わ、私…… 美術部に入りたいです!」
僕の妹の秘密を僕だけが知らない Mikey @m_i
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。僕の妹の秘密を僕だけが知らないの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます