ほどくひと⑧ ~彼女より~

「ナンパです」

 不安そうな男の子に、不審者のような言葉をかけてしまいました。

「一緒に、お茶しませんか?」


 中学生くらいの男の子を連れて入ったのは、富岡製糸場へ行く途中にある、ケーキ屋さんです。童話に出てきそうな可愛い建物のお店です。

 シュークリームを買い、2階のカフェでお茶をします。

 その前に、男の子と写真を撮っておきました。

 新田先生の電話番号は知っていましたが、メールも無料通信アプリのアカウントも知らないので、写真のデータを堀越店長に送っておきました。

 もしも新田先生がお店に来ていたら、お捜しの男の子“解人カイト”くんで間違いないか確認して頂きたいのです。

 店長から、すぐに返事が来ました。



『この子で合っているそうですー。』



 ……さて、これからどうしましょう。

 新田先生は、堀越店長のお店にいらっしゃるようです。

 この男の子を連れて行くことは、物理的に可能です。

 しかし、何か事情がありそうなのです。

 男の子の中でくすぶっているものがあるのでしたら、解消されてから連れて行くのでも、遅くないでしょう。

 男の子は、シュークリームにも紅茶にも手をつけません。

 警戒モードに入っています。

 くりくりした瞳で、私をちらちら見ます。

 笑えば可愛い子なのでしょう。

 私にショタコンの嗜好はありませんが、この子を放っておくことはできません。



「すみません。俺、行きますね。ここにいたら、悪いですから」

 意外にも低い声です。男の子は席を立ってしまいます。

 いけません。コートも持っています。

「悪くないですよ。外は寒いですから、休んでから行きましょう。お金のことでしたら、お気になさらないで下さい」

「なんで……」

 男の子は、コートを持ったまま手を下ろします。

「なんで、見ず知らずの俺のことなんか、気にするんですか。俺なんか放っておけば、あなたは迷惑しないのに。俺なんか……」



 ――俺なんか、生まれてこなければよかったのに。



 やっと聞こえる声で、男の子は言葉を絞り出しました。

 泣いていません。ただ、俯いています。

「ごめんなさい。こんなこと、人様の前で言っていいことじゃないのに」

 男の子は、おそるおそる顔を上げて私を見てくれました。

 私は首を横に振ります。

「ありがとう」

 普通でしたら、ここでお礼を述べるのは変です。でも、言いたいのです。

「言ってくれて、ありがとう……カイトくん」

 なぜでしょう。

 男の子を、ぎゅっと抱きしめたくなります。頭を撫でたくなります。

 男の子とは、会ったばかりです。

 でも、男の子が小さな声でこぼした、壊れてしまいそうな心の叫びを、放っておくことができないのです。

 男の子に何があったのか、わかりません。

 今まで誰にも言えなかったのでしょう。

 よく耐えてきたね、頑張ったね、もう大丈夫だよ……そう伝えたくなります。

 私も席を立ち、失礼を承知で男の子の手を握りました。

 男の子は、口を真一文字に結びます。

 くりくりした瞳から、涙がひとすじこぼれました。

 嫌がらせてしまったのでしょうか。

 男の子の手は、するりと抜けてしまいました。

 しかし、その手は私の腕を掴みます。

 男の子は、堰を切ったように泣き始めました。

 すがりつく力に負けないよう、私はしっかりと男の子を支えます。

 お店の2階に、私達以外誰もいなくて良かったのです。



 男の子はひとしきり泣いた後、席に着いて紅茶をこくこくと飲みます。

 シュークリームにかじりついたら、カスタードクリームが変なところからとび出てしまい、慌てています。

 微笑ましい光景です。癒されます。

 私はというと、特にやることもないので、手仕事をします。



「兄に楽になってもらいたかったんです」

 男の子は唐突に話し始めます。タイミングを見計らっていたのでしょう。

「隠すことじゃないので、話します。俺は養子なんです。兄にあたる人と18歳離れていますが、こんな俺にも優しくしてくれます」

「お兄様は」

「塾の先生をしています。以前は、高校の先生だったらしいです」

 なんと、そうでしたか。

 中学生の年齢プラス18歳。

 以前は高校の先生。

 今は塾の先生。

 男の子の言う“兄”は、新田先生のようです。

 男の子は、新田先生のお父様の養子でしたか。

「兄は、休みの日によく遊びに連れて行ってくれます。今日も、用事の前に富岡製糸場に連れて行ってくれました」

「優しいお兄様なのですね」

「はい、優しいです。だから、俺なんかにかまけていないで、楽になってもらいたかったんです」

「それでカイトくんは、おひとりで駅へ?」

「はい。どこか遠くへ行って、山中さんちゅうに迷いたかったんです。俺がいなくなれば、皆が幸せになるから」

 男の子のくりくりした瞳には、また涙が溜まっています。

「俺はおかしいですよね。いつも間違えるんです。何をやっても人並み以下で、人並みになって人の役に立てるように努力をしているつもりなのに。いつも自分のことばかり。いつも考えてしまうんです。俺なんか、生まれてこなければよかったのに」



 なぜでしょう。

 昔の自分を思い出してしまいます。

 私も中学生のときでした。

 風邪をひいて家事ができなくて、「反省しろ」と雨の中に放り出されたのです。

 兄に言ってしまいました。

「私なんか、生まれてこなければよかった」と。



 男の子のことを、おかしいとは思えません。

 この子はおそらく、昔の私と似ています。

 でも、きっと大丈夫。

 泣くことができます。悩みを打ち明けることができます。

 見守って応援してくれる人だって、いるはずです。男の子のお兄様・新田先生も、そのひとりでしょうから。



 思いつきで制作を始めた小物が完成しました。

「カイトくんにあげます。これと、千羽鶴も」

「そんなもらうわけには!」

 男の子は遠慮してしまいました。

「だって、千羽鶴って、あげる人がいるんでしょ?」

「そうだったのですが、約束が延期になってしまいました。お嫌でなければ、あなたに受け取ってもらいたいのです。

「全然嫌じゃないですけど、俺なんか」

 男の子はつばをとばしてしまい、「しまった」という顔をします。

 そんな顔をしなくてもいいのに。

「あなたがご自分のことをおかしいと仰るのなら、私はもっとおかしいですよ。初対面のあなたに、千羽鶴をあげてしまうくらいですから。でも、あなたのことを応援したいのです」

「……全然おかしく見えないですよ」

 男の子は、しばらく黙ってしまいます。

 次に口を開いたとき、こう言いました。

「この千羽鶴、兄にあげてもいいですか? 兄の勤める塾の、高校受験の人達に、見てもらいたいんです。合格祈願のつもりで。せっかくもらったのに、ごめんなさい」

「いいえ、素敵ですね」

 誰かが千羽鶴を必要としてくれるならば、千羽鶴を喜んでくれるならば、私は何も言及しません。



『そろそろ行きます。新田先生はお店にいらっしゃいますか?』



『いらっしゃいますよー。』



 堀越店長からの返信を確認し、ケーキ屋さんを出ます。

 お店の近くまで来ますと、外に出た男の人がふたり、こちらに気づきました。

 ひとりは新田先生。もうひとりは、なんと彼です。

 男の子は、「あんちゃん、ただいま! ごめんなさい!」と新田先生に駆け寄ります。

「これ、千羽鶴! あんちゃんにあげる! 俺がもらったんだけど、あんちゃんの塾に持って行ってあげて。俺はこっちももらったから」

 “こっち”と新田先生に見せるのは、私が思いつきで制作した“二羽鶴”です。

 手帳に挟んでいた折り紙を折鶴にして、糸で綴りました。その糸を編み、リングに通します。

 男の子が掲げる“二羽鶴”は、さくらんぼみたいにゆらゆらと揺れます。

 新田先生は、男の子の髪をぐしゃぐしゃに撫でます。

 今にも泣きそうな、笑った顔で。

 高校の先生だった頃は、新田先生はこんな表情はしませんでした。

 “兄”としての顔なのでしょうか。

 ふたりに血のつながりはなくても、ふたりは兄弟なのですね。



 ふたりを見送りしますと、彼はハグしたそうに腕を広げます。

 いけません。道の真ん中です。

「洋也くん、お仕事が決まったのに、色恋にうつつを抜かしては駄目でしょう」

 いけません。

 彼に謝るつもりが、説教をしてしまいました。

 言い過ぎました。反省です。

 でも、仕事は大切です。始めが肝心なのです。

 彼を前にしたら、すねていたのが嘘のように、どうでもよくなりました。

 いけません。頬がだらしなく緩んでしまいます。

 顔を伏せて「ごめんなさい」と頭を下げると、彼にも「俺もごめんなさい」と謝られてしまいました。

「寒いから、お店に入ろうか」

「うん……また洋也くんのピアノが聴きたいな」

「『最愛』?」

「『枯葉』!」

 いつかと同じやりとりをしてしまいました。



 本当にぎゅっと抱きしめて頭を撫でてあげたかったのは、昔の自分なのかもしれません。

 当時がつらかったとは思いません。もっと上手く立ちまわることだってできたでしょう。

 よく耐えてきたね、頑張ったね、もう大丈夫だよ、これからはもっと良いことがあるんだよ……そうやって、昔の自分を励ましてあげたいのです。



 灯油ストーブの温かい店内で、彼の優しいピアノの演奏に耳を澄ませ、コーヒーで一服します。

 私は幸せです。

 素直に思える自分がいます。



 【第7章「ほどくひと」終】

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