本日は傲慢になります⑥

 非常に名残惜しいのですが、10時に「クラブエアー」を出ます。

 カーナビで次の目的地を検索していますと、彼が「え、藤岡?」と反応しました。

「藤岡だけど、『高山社跡』じゃないんだよ」

 と、伝えますと、彼は安堵したようにシートにもたれかかります。

 公務員試験に合格したら「高山社跡」の“落書き”を見に行こう、と彼から誘われています。

 それなので、藤岡市という地名が出ると、彼の中で「高山社跡」と変換されてしまったのでしょう。



 実は、世界遺産めぐりをすることも一瞬くらいは考えていました。

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」のうちの“絹産業遺産群”を見てまわるつもりでした。

 藤岡市の「高山社跡」、伊勢崎市の「田島弥平旧宅」、下仁田町の「荒船風穴あらふねふうけつ」。規模は小さいのですが、それぞれに大切な役割のあった史跡です。

 「高山社跡」は、上記の理由で却下。かえって彼を傷つけてしまうかもしれません。

 「田島弥平旧宅」は、今も普通に人が住んでいるので、却下。

 「荒船風穴」は、近くの道路で工事規制をしているらしいので、却下。



 世界遺産はおいておき、一般道をひたすら南下して目的地へ向かいます。

 藤岡市に入りますと、「高山社跡○km」の看板がいくつもあります。

 でも、彼は違う看板に驚いていました。

「堀越二郎って、群馬出身だったんだ!」

 実は、そうなのです。

 堀越二郎は群馬県藤岡市出身なのです。

 私も近年になって知りました。学校では習いませんでした。

 零戦を設計した人だから、小中学校では教えないのかもしれません。

 堀越二郎の看板があったのは、道の駅の前。

 観覧車ではなく、堀越二郎に目が行ったのは、とても彼らしいです。



 「金井」という小さな交差点を最後に、山の中をひたすら進みます。

 カーナビによると、道なりに7.5km。

 山に守られるように、色々なものがあります。

 今は営業していないような古い商店や、新しいデイサービス。

 一階部分が高くなっている住宅。

 白菜が丸々と育つ畑。

 小さな学校。

 川のこちらに鳥居、向こうに社のある神社。

 「蛇喰渓谷じゃばみけいこく」と看板の出ている休憩所。

 それらを通り過ぎた先にありますのが、工芸体験施設「日野の里」です。

 車から降りますと、冷たい空気が頬を撫でます。

 彼も「寒い」と身震いしました。

「でも、空気が気持ちいい」



 平日であるせいか、敷地内にお客さんらしき人はいません。

 「事務所」と木の看板が出ている建物に入り、陶芸体験をしたいことを職員さんに伝えます。でも、「陶芸体験は予約制です」と言われてしまいました。

「陶芸の日下くさかあきらさんに事前にお話をさせて頂いて、OKも頂いているのですが」

 堀越店長から頂いた「日下英」の名刺と、スマートフォンの通話履歴を、職員さんにお見せします。

 私が事前に電話でお話をさせて頂いたのは、日下英さんなのです。

 「お邪魔させて頂くかもしれません」という曖昧なお願いでしたのに、快く許して下さいました。

 しかし、職員さんからは「事務所を通していないお約束は無効とさせて頂いておりますので」といわれてしまい、それ以上は対応して頂けませんでした。



 事務所の建物を出ます。

「はなちゃん」

 彼に呼ばれ、どきっとしてしまいます。

 女の子から愛称で呼ばれるのは慣れていますが、男の人の低い声で呼ばれるのは慣れていません。

「陶芸の先生にアポとってくれたんだね」

「ごめんなさい。勝手にお約束をとりつけて、でもしっかり伝えられなくて」

「ありがとう」

 彼の大きな手が、私の頬に触れます。

「あれ、泣いてない?」

 ごめんなさい。私はこのくらいでは泣けません。可愛げのない女で、申し訳ありません。



 がこん、と。

 自動販売機の飲み物が落ちる音が耳に入りました。

 彼も私も、そちらを見てしまいます。

 ラフな格好をした男性が、自動販売機で飲み物を買っていました。

 男性も、こちらに気づいてくれました。堀越店長と同じくらいの年齢に見えます。

「もしかして、電話をくれた……花村さん?」

 俳優さんのような、耳に心地良い声の人です。

「陶芸をしております、日下英です。来てくれて、ありがとう」



 日下さんは事務所の職員さんと話をして下さいました。

 日下さんの粘り強さに職員さんが根負けし、陶芸体験をさせて頂けることになりました。

 私の予約の仕方が悪かったのに、迷惑をかけてしまいました。

 日下さんは「全然大丈夫だよ」と言ってくれます。

「何つくる? それによって、粘土の重量グラムが変わるんだけど」

 日下さんに訊かれ、彼が返します。

「マグカップってつくれます?」

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