本日は傲慢になります⑤

 FM上州じょうしゅうのスタジオ――愛称・クラブエアー――は、前橋市の若宮町というところにあります。

 専用の駐車場はないので、近くの有料駐車場をお借りします。

 朝のラジオ番組は、平日の朝7時半から11時までの放送です。

 「クラブエアー」の開場は8時なので、ガラス越しに放送の現場を見ることができるのは、早くても8時からです。

 私達は、8時を少々過ぎて、「クラブエアー」に着きました。



「すげえ……“さとっちゃん”、本物だ」

 ガラスの向こうのスタジオで、メッセージを読むDJ・伊東いとうさとるさん――通称・さとっちゃん――が見えたらしく、彼は控えめながら静かに興奮しています。

 別に怪しい意味ではありません。

 クラブエアーには、見学のかたがたくさん来ています。椅子は全て埋まっていて、私達は後ろの方で立ち見です。

 ラジオ番組もリアルタイムで放送中です。

 彼は、周囲を邪魔しないように声を小さくしているのです。



 この群馬県は、自動車大国だといわれています。

 平成26年時点では、人口1000人あたり900台の自動車が保有されているそうです。

 交通手段は、ほとんどの人が自動車。

 自動車での移動中にできることといえば、ラジオかCDを聴くことくらいです。

 そのため、通勤時間に車のラジオを聴いている人は多いと思われます。

 数年前に、FM上州の番組が再編成され、群馬県出身の“さとっちゃん”が朝の番組のパーソナリティーを務めることになりました。

 すると、番組も“さとっちゃん”も爆発的な人気に。陽気なトークとにじみ出る人柄で、リスナーの心を掴んでしまったのです。

 上手く説明できませんが、そういうわけで、群馬とラジオは切っても切り離せない関係なのです。

 そして、“さとっちゃん”は今日もラジオの電波に乗せて、県内外に元気を届けてくれます。



 すみません。ラジオの放送中でした。“さとっちゃん”はリスナーからのメッセージを読み上げています。



 ――メールが届いています。ラジオネーム「小幡のハナミズキ」さんより。

『さとっちゃん、おはようございます。

 今日は彼氏と一緒にクラブエアーに遊びに行きます。

 私は5時起きです。8時に着けるかなあ。

 さとっちゃん、ご都合が悪くなければ、このメールを8時過ぎに読んで頂けませんか?』

 ……ハナミズキさん、ありがとう! 無事に着いたかな?



 わわわ! びっくりです。私のメッセージが読まれてしまいました。

 初めてではないのですが、ガラス越しとはいえ、目の前で読んでもらえるなんて感激です。

 これは、“さとっちゃん”に「着いたよ」アピールしなくてはならないのでしょうか。

 私は手を上げようとしましたが、止めました。他の人が、嫌な思いをするかもしれません。

 でも、隣から伸ばされた手に掴まれ、挙手してしまいます。



――おお! ハナミズキさん、来てくれてありがとう! お兄さん、元気?



 “さとっちゃん”のよく通る声が、大音量ではじけます。

 私は“さとっちゃん”に見えるように、親指を立てて「グッジョブ」サインをします。

 いけません。

 彼に楽しんでもらいたかったのに、私が出しゃばっています。

 それに、先程手を上げさせてくれたのは、彼です。またまた気を遣わせてしまいました。



 ――続きまして……ラジオネーム「心臓が筋肉痛」さんから。

『初メールです。彼女と一緒にクラブエアーに向かっています。

 生でラジオが聴けるなんて、楽しみです。

 連れ出してくれた彼女に感謝です。彼女にも楽しんでもらいたいです』



 俺だ、と彼が呟きました。

 お互いのラジオネームがわかってしまいました。



 CMの間に、彼から「違ってた?」と訊かれました。

「手を上げかけていたから、メッセージが読まれたのかと思ったんだけど、悪いことをしたかな」

「ううん、全然。あの……ありがとう」

 彼と目を合わせることができませんでした。

 偶然とはいえ、手をつなぐような感じになったのは、初めてかもしれません。



 CMがけます。



 ――伊東悟が生放送でお届けしています! FM上州から――



 “さとっちゃん”と一緒に、「クラブエアー」の皆でタイトルコール。

 彼もテンションを上げて参加しています。

 朝早くから叩き起こして連れ回して、申し訳ないと思っています。

 でも、元気な彼に戻ってほしかったのです。

 ごめんなさい。

 車に乗ったら、寝ていて下さいな。

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