花は微笑む⑦

『花村みづき様

 突然このような手紙を送りつけたことをお許し下さい。

 堀越さんより、しばらくお店に来られないとお聞きしたのですが、すぐにでもお伝えしたいと思いまして、筆を執らせて頂きました。

 貴女から作って頂いた千羽鶴ですが、亭主に隠しきれず、本当のことを話してしまいました。

 亭主は怒りもせず、「お前にこんなに優しい友人がいたのか」と嬉しそうでした。

 片品村から富岡に嫁いできた私には、友と呼べる人がおりませんでした。

 近所の人は近所の人でしかなく、職場の人は職場の人。それ以外の何者でもなかったのです。

 亭主は、私のそのような感覚に気づいていたのですね。

 話が逸れました。

 亭主は今年の3月に肺がんのステージ4と診断され、余命半年と言われていました。

 奇しくも、宣告された時期を過ぎた今も生きております。

 がんは全身に転移し、手のほどこしようがなく、疼痛緩和の点滴をしてもらっています。

 亭主は今でも「お前と友人のために頑張らなくちゃだな」と口癖のように言っております。

 貴女と千羽鶴のお話を、風の便りで知りました。

 若い子は大変冷静に物事を考えるのですね。

 私のような年代の者が申し上げて良いのでしたら、千羽鶴は心の薬のようなものだと言いたいです。

 千羽鶴で病気は治りません。しかし、心を穏やかにしたり前向きにする効果はあると思います。

 亭主は、貴女の千羽鶴のお蔭で今日も生きております。

 大変遅くなりましたが、御礼を申し上げます。

 ありがとうございました。

 貴女とは数回しか会っていませんが、おばちゃんは直感しました。

 貴女は人を恨まない、心根の優しい人です。

 貴女に千羽鶴をお願いして、本当に良かったと思っております。

 貴女の人生が、実りと幸福に満ちたものでありますよう、お祈り申し上げます。

 勝手に貴女の友人兼ファン・富田よし恵より』



 封は閉じられていなかった。

 興味本位で読んでしまったことは悪いと思っているが、この手紙は一刻も早く彼女に渡したい。



 手紙を預かった次の日、俺は彼女が入院している病院へ向かった。

 アパートからは車で10分。

 田畑の真ん中にそびえ立つ、大きな病院だった。

 北には群馬県庁と赤城山、西には浅間山が見える。

 近くに視界を遮るものがないから、病室からの眺めは良いのかもしれない。



 面会時間は13時から。

 午前中でも面会できるらしいよ、と秋瑛には言われたが、怪しまれたら嫌だから、面会時間は守る。

 実は今日、14時から卒論指導を受けることになっているので、それまでに大学に行かなければならない。



 ナースステーションで彼女の病室を訊ね、病室の入り口で彼女の名前を探す。

 「花村みづき」の名はなかった。「花村美月」になっている。

 窓際の、カーテンが閉まっているところのようだ。

 入室して、おそるおそるカーテンを開けると、確かに彼女がいた。

 あおむけで、あまりにも綺麗な体勢なので、死んでいるのかと疑ってしまった。

 近づいて見ると、掛布団がわずかに上下しているのがわかった。

 耳を澄ませると、かすかに寝息が聞こえる。

 それにかぶせるように、俺は深く溜息をこぼしてしまった。

 彼女は、柔らかい日差しと布団に守られるように、午睡している。



 目をそむけたくなるような、耳をふさぎたくなるような、おそろしい誹謗中傷を彼女は受けた。

 それでも、彼女は健気に生きている。

 彼女は無防備に寝顔をさらして、口元を綻ばせている。

 夢でも見ているのだろうか。

 きっと、心も体力も消耗していたはずだ。



「ごめんね」



 俺は謝罪の単語をこぼしていた。



 つらかったのに、気づかなくて、ごめんね。

 無理やり間接キスをさせて、ごめんね。

 無理してキスをさせて、ごめんね。

 誹謗中傷から守れなくて、ごめんね。

 多胡の説得を他の人に託した馬鹿な彼氏で、ごめん。

 ごめんなさい。

 でも、好きです。

 理解者でいたいです。

 これからも一緒にいたいです。



 “富田さん”からの手紙を彼女の枕元に置いて、病室を出る。

 帰りがけにナースステーションで、「花村みづき」が「花村美月」になっていると伝えたが、「電子カルテは正しくなっておりますので」とあしらわれてしまった。



 病院の周りの田んぼは、刈り遅れた稲穂が自己主張のように揺れている。

 じきに稲は刈られ、冬になると麦がかれる。

 駐車場の、とある縁石えんせきのそばに、黄色い花が咲いているのが見えた。

 近くで見てみると、マリーゴールドだとわかった。種がとんできて、アスファルトの割れ目で発芽したのだろう。

 もしも彼女がこれを見つけたら、「すごいね」と顔を綻ばせるに違いない。

 急激にこみ上げてくるものが抑えきれず、鼻の奥がつんとする。

 俺は不格好にも鼻をすすり、車に乗り込んだ。

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