花は微笑む⑥

「いいですねー。若い子が悩んでいる姿、おじさんは好きですよー」

他人事ひとごとのように言わないで下さい!」

 秋瑛は声を荒げた。明らかに疲れた顔をしている。

 妹を殴ったことに罪の意識を感じて、罪滅ぼしも兼ねて千羽鶴を手伝ったにも拘わらず、彼女を追い詰める結果になってしまった、と落ち込んでいる。

「兄失格だよ」

 秋瑛は、おとといと同じことを呟く。

「みづきには幸せになってもらいたいと思っていても、心のどこかで俺より幸せにならないでほしいと思ってしまう。兄でいることに優越感があるんだ」

「わかるよ」

 店長が秋瑛に同意する。

「俺は弟がいるんだけど、あいつが書道で賞を取ったときは苛立ったね。よくも俺より目立ちやがったなって」

「そうなんですよ! そういう感じなんです!」

「でも、暴力は駄目」

「反省しています」

 悪いが、俺には理解できない。

 俺が「兄でいることの優越感」を理解できないように、多胡や根岸は、千羽鶴や彼女の人柄が理解できないのかもしれない。



「今だから言えるけど、ヒデくんは年配の女の人に人気があったんだよ。市役所の窓口に来るおばあちゃん達、俺には冷たいのに、ヒデくんが対応すると、にこにこされるの。酷くない?」

「酷くないです。偶然です」

「えぐってくれるねー」

「今だからですよ」

 今から5年前。堀越店長にとっては公務員生活最後の年度。

 国保年金課で秋瑛と一緒に仕事をしていたのだそうだ。

 「須藤さんちの隣の子だよね?」「瑞樹のじいさんの知り合いですよね?」という感じで打ち解けるのも早かったそうだ。



 窓の外は、すっかり暗くなっている。もう18時になるのだ。

「田沢くん、次の日曜日に面接なんだって?」

 秋瑛に指摘され、俺は麦茶を吹き出しそうになる。

 ふたりの国保年金課時代の話を聞いて、もやもやが落ち着いてきたところだったのに。

 現役の市役所職員に話してしまうのはどうかと思ったが、模擬面接ともやもやを吐露してしまった。

「……その就職課の人、世界遺産のことを全然知らないだろ」

「知らないと思います」

「俺も知識があるわけじゃないけど、さすがに『観光地でしょ?』だけの認識はないよ。富岡製糸場を保護して、地域の宝として後世に残さなくちゃならないんだから。……これ、面接でそのまま言うなよ」

「わかっています。それと、世界遺産の魅力を訊かれて『ユネスコのブランドりょく』はわかりづらい。よほどマニアックな面接官でない限り、言わない方がいい」

「仰る通りです」



 話が途切れると、堀越店長は「いいですねー」と加わってきた。

「若い子が切磋琢磨している姿、おじさんは好きですよー」

 店長は、わざとらしく首を傾げる。

「そんな若者におつかいをお願いしたいんだけど、このお手紙をみづきちゃんに渡してくれる?」

「みづき、あさって退院の予定ですよ?」

「でもね、ヒデくん」

 店長は眉をハの字にする。

「すぐに渡した方が良さそうなんだよ。今日は面会時間が過ぎてそうだから、明日にでも持って行けるかな、田沢くん?」

「俺ですか?」

 わかり切ったことを聞いてしまった。明日も平日だから、秋瑛は仕事だ。フリーなのは俺だけなのだ。

「田沢くん、任せた」

 秋瑛に拝まれてしまった。

「また、みづきにキスしていいから。はもう殴りません」

「なぜ知っているんですか!」

 彼女が秋瑛に話したのか? 彼女はそういうことを口外しなそうだが、優越感を拭えない兄に強く問われれば、白状しかねない。

「みづきは何も言わないよ。でも、目を合わせてくれなかった。キスをした日は家族の顔さえ見られないって、『レベッカ』も歌っているし」

「ヒデくん、“家族”じゃなくて“ママ”だよ」

 店長が訂正するが、俺にはさっぱりわからない。「レベッカ」という歌手の「フレンズ」という歌を引き合いに出しているようなのだが。



 彼女に渡してほしいという手紙を受け取り、何気なく封筒の裏を見た。

 差出人の欄には「富田よし恵」と書かれている。

 富田という苗字を見て思い出した。

 先程の女の人は、8月に彼女に千羽鶴を依頼した、“富田さん”だ。

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