刈られる花⑤


 「Dum & Deeダムアンドディー」は、「DAYSデイズ」より3軒向こうにある雑貨屋さんです。

 カフェも併設されています。

 駐車場に車をとめてお店に入りましたが、彼の姿はありません。

 お客さんの少ない店内をしばらくうろうろしていると、小声で「花村さん」と呼ばれました。

 彼です。

「呼び出して、ごめんね」

 近いです。でも、お酒の臭いはしません。本当にお食事だけだったようです。

「私こそ、呼び出したみたいになって、ごめんなさい」

「ううん、俺が花村さんに会いたかったから」

 ずるいです。すでに交際しているみたいな口ぶりです。

 私は念のため、周囲を見回します。

 店員さんが近くにいないのを見計らって、背伸びして彼に耳打ちします。

「田沢くん」

 彼は少しかがんでくれました。



 今なら、お返事ができます。

 前向きな気持ちをそのままお伝えできます。



「私も好きです」



 恥ずかしいけど、もう一言。



「これからも、よろしくお願いします」



 いけない、いけない。

 私は得意げになっています。



 彼は顔を赤くしてしまいました。でも、「何か飲もうか」と提案してくれました。

 カフェで飲み物を買い、お店の中庭に出てみました。

 「Dum & Dee」の店舗は、片仮名のロの字の形になっていまして、真ん中は8畳くらいの中庭になっています。

 上に半透明な屋根がついていますし、テーブルと椅子もあります。

 彼は、ハンモック状の椅子を見つけて腰を下ろしました。

「また千羽鶴をつくるの?」

 彼に訊かれ、私は「うん」と答えました。でも、なぜ知っているのでしょう。

「『DAYS』って、折り紙も売っているらしいじゃん。急いで買いに来たのかと思った」

「うん、まさにそうです。……急ぎというほどではないけれど」

 私は椅子に座りました。

 中庭には、お店の蛍光灯の明かりが入ってきますが、やはり薄暗いです。それに、けっこう涼しいです。

 カフェで買った豆乳カフェラテをひとくち飲むと、体がぽかぽかしてきました。

 なぜか幸せな心地がします。

「それ、おいしい?」

 彼に訊かれます。

 私は答えます。

「おいしいよ」

「交換する?」

「うん」

 彼はカフェモカを買っていました。

 カップを交換し、気づきました。

 私は、まわし飲みが苦手です。

 実家にいたとき、歯磨きのコップはひとり1個ありました。

 兄がカレーの味見をしたいと言ったら、洗浄済みの小皿を使ってもらいました。

 料理の食べ残しを食べてもらうことがあっても、私が残りを食べることはありません。

 彼はためらいもなく、私の飲みかけの豆乳カフェラテをあおります。

「あっ、おいしい。豆乳って、こんなに飲みやすいのか」

 無防備です。ずるいです。純粋な目をしています。

「花村さん、もしかしてこういうの苦手?」

 訊かれ、私は首を横に振りました。

 平気です。平気になりたいです。

 だから私も彼のように、カップの飲み口に自分の口をつけます。意外と気持ち悪くないです。

「花村さん、ごめん。無理しなくていいよ」

「無理してない!」

 彼は心配してくれます。

 それなのに、私はむきになってしまいます。

 嫌われたかもしれません。

 彼のことが好きなのに、これでは拒絶しているみたいです。

 交際開始から10分で気まずくなりたくないです。

 でも、もうすでに気まずいです。逃げたいです。

 でもでも、逃げたらきっと、誤解されてしまいます。



 無理をしなくては、ならないみたいです。



 私は椅子から腰を浮かしました。

 彼に歩み寄るには、一歩で充分でした。

「花村さん?」

 彼の声が近く、柔らかく耳に届きます。

 彼は続けて何か言おうとします。

 ごめんなさい。

 綺麗な形をした彼の唇に、私は自分の唇を重ねました。

 一瞬触れるだけで精一杯です。

 顔から火が噴きそうで、彼の顔も見られません。

 私は彼から離れ、お辞儀をしてから、きびすを返しました。



 店内へ戻るガラス戸を開けようとしますと、後ろから手が伸ばされました。

 彼です。背が高いだけあって、前腕も上腕も長いです。ガラス戸に手をつきますが、開けようとしません。

 彼は私の顔をのぞき込みます。

 顔が近いです。

 甘めの顔立ちだとは思っていましたが、改めて目の当たりにすると、整っていて綺麗です。

 思わず息をのんでしまいます。

 その瞬間に、彼は唇を重ねてくれました。

 私は不埒です。

 嬉しいと思ってしまいました。

 嫌われなかったと安堵してしまいました。



「明日は仕事?」

「うん」

「無理し過ぎないでね。仕事も千羽鶴も」

「うん」



 駐車場で彼と別れます。

 私は運転席でシートベルトを着用しようとしても、茫然としてしまって、しばらく車のエンジンをかけることができませんでした。

 気つけに豆乳カフェラテを一気飲みします……のはずでしたが、チョコレート並みの甘さに吹き出しそうになりました。

 豆乳カフェラテだと思っていたのは、カフェモカでした。

 彼とカップを交換したまま、持ってきてしまったのです。

 カフェモカの甘さは、アパートに着いても舌に残り続けました。

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