ブレザーを着ていた頃の自分達は (e)

 10月の空は、どこまでも青く澄み渡っています。

 しかし、そのような感傷にひたっている場合ではありません。

 人様にぶつからないように気をつけ、足早に学校に向かいます。



 午前8時。3年6組の教室には、まだ誰も来ていません。

 朝のホームルームまでの40分間でやらなければならないことがあります。

 千羽鶴の制作です。



 一週間前、入院している久留米さんに千羽鶴を贈ろう、とクラス皆で動き始めました。

 今は、千羽鶴がつくれるキットが売られているのですね。

 今日は、キットの糸とビーズを使って折鶴を糸に通してゆきます。

 放課後までに完成したいのですが……



 ……できませんでした。

 門限のせいで放課後に残ることはできません。

 しかし、担任の寺岡先生はそれをよしとしませんでした。

 今日の夜に久留米さんの病室に行って、千羽鶴を渡したいのだそうです。

 寺岡先生は、花村家の事情を知っています。

 私の家に伝えてくれると言ってくれました。

 寺岡先生はなぜかうちの祖父母にも両親にも一目置かれています。

 確かに、寺岡先生は壮年でベテランで、皆のお父さんのような先生です。

 でも私は、去年までお世話になった新田先生の方が良かったです。

 そのような我が儘を言うことはできませんが。



 気がつくと、教室には私ひとりしかいませんでした。

 窓の向こうは夕焼けが広がっています。

 紅色に染まった空に紫色の細い雲が薄く横たわっているのです。

 オレンジ色の夕焼けとは異なる夕焼け空に、つい見とれてしまいます。



 教室の引き戸が静かに空きました。

 寺岡先生が来たのかと思いましたが、違いました。

 彼です。

 昨年まで同じクラスだった男子生徒です。

 目立つ人ではないですが、若手俳優に多そうな甘めの顔立ちの人です。身長も180cm近くあるのではないでしょうか。

 恰好良いと思いますが、浮いた噂を聞いたことはありません。



「花村さん、勉強? ……じゃないね。うわ、すごく綺麗。折り紙の鶴?」

 彼は、つくりかけの千羽鶴に気づいて近づいてきます。

 私は足がすくんで動けませんでした。

 彼が怖いのではありません。怖くないのです。

 急に距離を詰められて驚いただけです。

「おつかれさま」

 彼は、ブレザーのポケットから小さなペットボトルを出してくれました。

 中身はミルクティーです。まだ温かいです。連日折鶴をつくり過ぎて痛い指先に、自販機のぬくもりを感じます。

「でも、田沢くんの分は」

「あるよ」

 反対側のポケットから、レモンティーが出てきます。

 思わず笑ってしまいました。



 千羽鶴の完成は、間近。

 彼は完成まで見守ってくれます。

 彼に見られていると、緊張してしまいます。

 でも、嫌ではないです。次第に心地良くなってきます。

 この時間がずっと続けばいいのに……じゃなかった。



 皆の思い、どうか届いて――



 【第2章「お好きな羽数を承ります」終】

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