千羽鶴、承ります③

 俺の実家は、埼玉県熊谷市にある。

 高校生のときは、JR高崎線の籠原駅から本庄駅まで電車通学をしていた。

 本庄市内の私立高校で、俺と彼女は2年間同じクラスだった。

 3年生のときに、彼女だけ違うクラスになってしまったが、彼女の話はよく耳にした。



 高校卒業後、俺は群馬県の大学に進学した。

 1年生のときは実家から通学していたが、アクセスの悪さを理由に実家を出て、2年生からひとり暮らしを始めた。

 「大学を卒業しても車は乗るでしょう」と親がおせっかいを焼いて、軽自動車を買ってくれた。中古だけど、ありがたい。就職したら、お金を返してゆくつもりだ。



 今は大学4年生の夏季休暇中。

 公務員試験を来月に控えている。

 喫茶店の店長・堀越千博さんに当てられたように、今日は富岡市の職員採用試験の願書を提出すべく富岡市を訪ねた。

 市役所の帰りに、半年ぶりに富岡製糸場を見学しようと思っていたが、店長の助言を聞いて今日は諦めることにした。

 次の機会に。近いうちに、試験対策の一環でリベンジするつもりだ。



 有料駐車場で温められた軽自動車マイカーに乗り、高崎市へ向かう。

 高崎駅から離れたところにあるアパートに帰宅すると、スーツから私服に着替え、また出かけることにした。

 行き先は、高崎駅の近くの予備校。公務員試験対策講座に通っている。

 今日は講義の日ではないが、冷房の効いた自習室で勉強するつもりだ。

 真面目だと思われるかもしれないが、俺はそんなに真面目ではない。

 中学時代、部活動はさぼりがち。勉強もそこそこ。ピアノを習わされていたが、ブルグミュラーさえ途中までしかできなかった。

 公務員になることを漠然と思い浮かべていたが、大学4年生になるまで何も準備しなかった。

 大学の勉強以外でやったことといえば、アルバイトと世界遺産検定くらいである。

 高校の担任の先生から世界遺産検定のことを教えてもらい、自由に使える時間が増えた大学生の間に、できるだけ級を取るつもりでいる。

 現在は、1級まで取得している。その上の「マイスター」は今年度中に受験できるか微妙なところだ。

 今は、世界遺産検定よりも公務員試験の勉強を優先させなくては。



 予備校の自習室で机を確保し、スマートフォンをマナーモードにしようとしたところ、メッセージの受信があった。

 彼女からである。



『こんにちは。花村です。

 先程はお見苦しいところをお見せしてしまいました。申し訳ありません。

 田沢くんが市役所で働いていたら、きっと恰好良いのだろうな、と思います。

 根を詰めず、どうか健やかにお過ごし下さい。』



 絵文字ゼロ。文面が硬い。俺と同じ22歳とは思えないくらいしっかりしている。

 それなのに、ふわっとした空気感がある。

 その空気感が、すぐに返信させてくれた。



『田沢です。

 見苦しいなんて、とんでもない。

 花村さん、高校生のときより綺麗になっていて、びっくりした。

 公務員試験、頑張ります。

 花村さんも体に気をつけて。』



 すぐに返信できたのは良かったものの、その日の夜に読み返してみたら恥ずかしくて気絶したくなった。

 「綺麗になって」なんて、ストレートにも程がある。

 彼女がその部分をスルーしてくれたのが幸いだった。



 メッセージのやりとりは、結構進んでいる。



『試験の前に富岡の有名なところに行っておこうと思うんだけど、おすすめの場所とかある?』



貫前ぬきさき神社とか、自然史博物館とかはいかがでしょうか。

 私で良ければ案内しますが。』



「まじすか!」

 俺はスマートフォンの画面につばをとばしてしまった。

 返事は決まっている。



『よろしくお願いします!』



 本日の群馬県南部の天気は、晴れ。

 最高気温は35.6度。夜遅くの気温は28.1度。

 いつもとほとんど変わらない夏の一日。

 されど、何かが大きく変わった夏の一日。

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