千羽鶴、承ります①
まだ午前中だというのに、8月の太陽は容赦なく下界に照りつける。
富岡市役所の庁舎を出た俺は、建物の陰を縫うように南の通りに進み、赤信号で仕方なく歩みを止めた。
信号が青に変わり、人の波は横断歩道に流れ始める。
その中のひとりに目が止まった。
小柄で痩せた女性だ。長い髪を耳の高さでひとつに結わえ、カールした毛先がふわふわと揺れている。
その女性は、高校時代のある人を思い出させた。
小柄で、長い髪をおろして、人に迷惑をかけないように早足で歩く彼女を。
女性の向かう先と俺の目的地までのルートは同じだった。
車2台がぎりぎりすれ違えるような道を南下していたが、観光案内所の辺りで右に曲がり、西に進む。
しばらく歩いて遠くに見えてくるのは、
平成26年にUNESCOの世界文化遺産に登録された物件「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産のひとつ、富岡製糸場である。世界遺産の登録基準をクリアーしたこの物件は、今日も来場者をあたたかく迎え入れる……と、誰に対してでもなく語りたい俺。
そんな独白をしてみたけれど、女性は富岡製糸場には行かずに、ひょいと向きを変えた。
一軒の店のドアノブに手をかけ、動きが止まる。
俺も「だるまさんが転んだ」のように動きを止めてしまった。
女性はドアノブから手を離し、俺の方を振り返った。
動きに合わせて髪が揺れ、耳のピアスか何かがきらりと光る。
黒目がちの大きな双眸に見つめられ、俺は確信した。
彼女だ、と。
「花村さん」
彼女は小さく頷いた。丸顔だとばかり思っていたが、4年ぶりに会う彼女は、顎のラインが大人っぽくなっている。
フローラルな苗字の彼女には、「
否、フローラルなのは苗字だけではない。
彼女の名前は「みづき」。
氏名ともにフローラルなのだ。
咲きかけの花を思わせる口元が綻んだ。
「田沢くん」
自分の頬が熱いのがわかる。
スーツのジャケットを脱ぐのもネクタイを外すのも忘れ、体の内側は熱がこもりにこもっているのだ。
富岡市役所に公務員試験の願書を提出しに行き、今頃になってようやく緊張が解けたのだ。
原因はそれだけだと思いたい。
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