第3話

スピーカーから鐘が鳴り定時を知らせる。最近は労基に怒られたこともあって、サビ残はせずに帰れるようになった。本当に通報者に感謝している。ただ働き程面白くないモノもないから、解放された時は歓喜したものだった。

 体中の関節がギシギシと音を立て、疲労が蓄積してると主張している。8時間で限界が来る仕事に、数時間のタダ働きは精神的にも肉体的にも限界に達するが今では家に帰って、炊事と洗濯が出来るようになった。風呂と寝る以外の行動がとれなかったころに比べれば、随分と人間的な生活が出来ている。

 仕事を終えるために持ち出していた工具を棚へと並べなおして、箒を取り出して掃き掃除にいそしむ。序にデスクの掃除まで終わらせると、15分は足が出るのだけれど明日の朝楽になると思えば苦ではない。他の人は一切掃除しないんだけれども。

 管理職以外誰もいなくなった工場で、一人蛇口をひねって手を洗う。前は一緒に帰ろうと声をかけられたんだけど、今では居残り君として定着してしまって誰も声をかけてこなくなった。

 帰る足取りは重い。自転車を取りに行くまでが辛いのだ。防寒着を着ているから寒さが堪えることは無くても、疲労と帰ってからの家事に気が重くなる。

 買い物客で賑わうスーパーに、一人だけ作業服で自転車を取りに来る人間は僕位なものだろう。作業服で買い物に来ている人はチラホラみかけるけれど、態々自転車だけ置きに来る酔狂はきっといない。

この時間だと、小さな子供とお母さんが手をつなぎながらスーパーの中へ続々と入っていく。みんな一様に笑顔で、きっと今日の晩飯の献立や学校で何があったかを話しているのだろう。あの笑顔は人生の絶頂ではなく、当然あるものだと思っているのだ。そんな幸せを見ていると不意に息苦しくさを覚えた。初めに気まずさを覚え、次にいたたまれなさを感じ、自分の存在が場違いだと思った。あの出来事とは関りがなく、現実だろうが虚構だろうが構いはしない距離なのに、TV超しの出来事の様に僕とあの人たちは断絶しているはずなのに。

 態々日常生活の何に突っかかりを覚えているのだろうか。定時で上がって、疲れが溜まらなくなったのが良くない。この時間に仕事が終わるようになって、時間を余らせているのも良くないのだろう。小人閑居して不仁をなす。暇になるとろくなことにならない。訳の分からないことを考えるのは暇だからに違いないのだ。ちょうど哲学なんかが暇人の酔狂だと言う様に。

 あれ? 小人閑居して不全をなすってそんな意味だったっけ?下らない志向を追い払って、僕は自転車にまたがって帰路に就いた。

 夜風がビュウビュウと耳元で鳴き叫ぶ。耳当てをせずに自転車に乗っていると、冬の冷気に耳が苛め抜かれてしまって痛みすら感じさせられる。手袋をした手も、防寒着を着た体も寒さには勝てない。冬の夜風に突撃し続けて帰宅するのだから当然と言えば当然だ。挑戦者に一切の慈悲もなく叩き潰そうとするこの季節は、余りにも慈悲のない季節という比喩がぴったりな気がする。なにせ5時だと言うのにすっかりと暗闇を用意するのだから。

 冬風に殴打されながら自宅まで自転車を飛ばすと家事が待っている。炊事は最悪コンビニで良いんだけれど、薄給にはコンビニ弁当は「高価な外食」だ。と言っても、適当に炒める以外の料理ができるわけでもない。疲れ切った体に多彩な料理は意欲が湧かない。産業革命期のイギリスの労働者みたいなものか。

 洗濯はサボれないのっぴきならぬ理由がある。作業服が二着しかないのだ。一日サボったら最後着ていく服がない。どれだけ苦しくてもやらなければならない。義務感じてしまってどうも気が滅入る。まるで、労働を強制されている奴隷の作業のようだ。

 この時期は瞬く間に陽が落ちる。秋の日は釣瓶落としと言うけれど、冬の日は更に早く落ちていく。まるで土石流のように暗闇が押し寄せ、何もかもを一瞬で飲み込んでいく様に陰鬱で陰惨だ。容赦もなく食い荒らし、飲み込み、運よく中州にいたとしても濁流に囲まれて死を待つ仔羊になるしかない。

 街灯もない田舎道を通れば、景色が真っ黒色に塗りつぶされていくのがありありとわかる。家も田んぼも神社も宵闇に飲み込まれてしまって、自分だけが存在して何もなくなってしまったかのような暗闇だ。朝眺めていた景色を跡形もなくしまった夜は、僕すらも飲み込んで消してしまうんじゃないだろうか。まるで―――塩酸や硫酸に溶かされてしまったものが初めからなかったように扱われるみたいに。

 自転車を我が家ことボロアパートの駐輪場に停め、部屋の鍵を取り出すために鞄の中を引っ掻き回す。上下左右、まるで泥棒が家捜しをするように荒らし回ったのだが手ごたえがない。鬱陶しいな。そう呟いてスマホのライトで鞄の中を照らす。荷物と言っても財布と水筒そして鍵、弄れば直ぐに見つかる筈なのに見つからないのに腹が立つ。・・・・・あった。逃げ回った挙句に隅へと避難していたらしい。

 老いぼれ鍵の機嫌を損ねない様に、優しく丁寧に鍵を差し込んで回す。会社では上司に頭を下げ、同僚後輩に気を使い、家では鍵にまで労りの気持ちを持たねばならない自身の境遇に気が遠くなる。貧者は金の奴隷らしいが、現実は鍵の執事にもなるんじゃないだろうか。実例はここにいる。

 扉の中は外と変わらない温度のはずだが、部屋の中は外以上の冷たさを感じる。ぽっかりと空いた穴倉にぎっしりと詰まった暗闇は体温を一切感じさせず、温もりも人影もない無明長夜の中に望んで入らなけばいけない人生が永遠と続くことを予感させているみたいで、一歩を踏み出すのにいつも逡巡する。明るさを持たない僕には暗がり以上のモノにも感じてしまうのだ。

 温もりは感じられなくても電球の明かりは明るさがある。明るさは穴倉を部屋に変え、恐怖の代わりに独りぼっちのボロや住まいを鮮明にする。孤独が真に迫ってくるとでもいうべきなのだろうか。明瞭にされた孤独と、暗闇の孤独は一体どっちの方が質量があるのだろうか。何処までも重く、どこまでも苦しいのは。

 いつものようにヒーターを付け、着替えを目の前に置いて寒さへの抵抗を試みる。様式。作業服を脱ぎ、着替えを済ませて防寒着を着こむ。様式。洗濯をするために外に出て、寒さに震えながら洗濯ものをドラムに叩き込む。様式。

 あかぎれを起こしたようにひび割れ皺を湛える自分の手が目についた。漫然と様式をこなす、農夫の様にボロボロで、惨めな手。様式をこなすことしか用立てることのない手だ。分厚く盛り上がった皮膚は、余りにも距離を取り過ぎてしまって誰かを包み込んでも温もりを伝えられない、それどころか痛みを与え、醜さを伝えてしまう。仕事で薬品や熱を相当に受け続けこうなったんだろう。何度も何度も、毎日毎日受け続けた痛みにもならない日常は人を変えてしまう。捻じ曲がって、ひび割れて、醜く朽ち果てる。そのうち手だけじゃなく、考えることもできなくなってしまうのじゃないだろうか。もしかしたらそうなってるかもしれない。

 なんて価値のない問答なんだとウィスキーの瓶を引っ張り出しつつ自嘲する。寝る事すらコイツが無ければ儘ならない。だが、だから何だと言うのか。

「誰だって様式で生きていて、誰だって意味がある一生を送ってなんかいないだろ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ストレイシープ モイラ @onigashima5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ