第53話「中隊長」

 三月末ごろ、陸軍少年学校の学生たちがテロに巻き込まれたということを聞いた。

 幸い、学生たちの命に別状はなかったという。

 学生たちの命だけは。

 私が出国した後、国内の各地でテロが起こったという。

 そのため国民の間で厭戦気運えんせんきうんが立ち込めていると聞いていた。

 それは前哨戦だったのかもしれない。

 いくさは相手の戦う意思崩せば勝ちである。

 日本人の弱点をついてきたテロだったと言える。

 二十年前の戦争は西の大国と東の大国の間で行われた代理戦争だったと言われている。

 もうそんなものに巻き込まれるのは散々だと思う人々が多くいた。

 彼らを狙うのは簡単だ。

 だから、国民の弱点を狙ったテロが多発していった。

 そんな国内情勢のなかであっても三和や少年学校の学生たちは元気にしていると、伊原からの連絡で聞いていた。

 私が所属した二中隊。

 そこではないがテロの現場にいたお隣の中隊長が身を挺して学生を救ったという。

 彼も負傷し入院していたが、後日その怪我が元で帰らぬ人になった。

 私よりも歳が若い中隊長だった。

 何事も学生のため。

 平時からそれを体現しているひとだった。

 ひとのために命を使う。

 自己犠牲。

 二十年前、そんな人々をたくさん見てきた。

 そんな人たちがいいように使われたのもたくさん見てきた。

 俺の命は自分のために使う。

 あの頃は本気でそう思っていた。

 そうでなければ、あの戦場で生き残ることができなかったかもしれない。

 卑怯者。

 私はそういうたぐいの人間だ。

 だが、今は違う。

 中隊長がなぜ学生のために命を使ったのか……今ならわかるような気がしていた。

 私も中隊長になって。

 戦場に出て。

 改めて思う。

 この命は自分のためだけにあるものではない。

 あの中隊長はいい死に方をした。

 今ならそう思えるようになっていた。

  


 走る。

 吐きそうになりながら。

 走った。

 酸欠で手先が痺れる感じを味わいながら。

 立ち止まらない。

 姿勢を低くしながら。

 走る。

 銃声が聞こえる方向からできるだけ遠く。

 ふと思う。

 ああ、これは。

 あの時と似ている、と。

 二十年前。

 わけもわからず、走った時と。

 怖かった。

 ひとりでいることが怖くて。

 敵がいるとわかっていたが、味方もいる場所へ走っていった。

 今ならまだ、仲間外れにされないと思って。

 いや。

 やっぱり、あの時とは似ていない。

 今はひとりでいることが怖くない。

 誰かに頼る必要もなかった。

 逃すべき部下たちは逃がした。

 私はもう。

 あの時と違って言い訳をする必要がなかった。

 それに。

 今は明確に。

 生き延びたいと思っている。

 会いたいから。

 中隊の部下たちに。

 少年学校のあいつらに。

 三和に。

 月光が輝いていた空は白くなりはじめ。

 荒野に瞬いていた星々が消えたころ。

 私の背中で鳴り響いていた銃声はいつのまにか消えていた。



 まったく情けない。

 最後の最後でへまをした。

 私は苦痛に顔を歪めながら、止血帯しけつたいを縛り上げ、止血棒を固定する。

 不思議と冷静に、私は腕時計を確認し、その縛り上げた布に今日の日付と時間を油性ペンで記入した。

 心臓の鼓動とともに噴き出していた血液が、ゆっくりとした流れに変わる。

 左足首だったものからあふれていた赤黒い液体。

 笑うしかなかった。

 味方の弾でやられるなんて。

 やっぱりダメおっさんはダメおっさん。

 鼻で笑う。

 走った方向は味方の反撃部隊の方向。

 友軍相撃になる可能性があるため、普通は避ける方向。

 賭け。

 敵も馬鹿ではないから、わざわざ反撃部隊と遭遇するようなへまはしない。

 だからこそ、そっちに逃げてみた。

 だが、賭けは負け。

 友軍相撃を受けてしまった。

 撃った相手に罪はない。

 彼らは正面にいるものがすべて敵だと認識していた。

 そんな味方の前に……わざわざ撃たれるため、正面に現れるアホな友軍はいない。

 事前の通告もしていなかったし

 だから、きっと敵の斥候か何かと間違えられたんだろう。

 もちろん、そのリスクの覚悟していたから、注意を払って動いていた。

 なるべく低い場所を。

 なるべく見方から見えない経路を。

 でも、あっという間の出来事だった。

 遠くでポンポンと聞こえたと思ったら、ピュー、ドーンで砲弾が数発落ちてきた。

 運良く八〇ミリ級の迫撃砲弾だったから、即死はしていないが、榴弾の破片で足首がえぐられた。

 左足首あたりは、もう半長靴はんちょうかともども原型をとどめていない。

 止血はしたが、もちろん完全に止まらなかった。

 情けない。

 戦場で二十年ぶりの負傷。

 でも、不思議と落ち着いていた。

 二十年前のことはあまり覚えていない。

 ひどすぎる記憶は曖昧になっていた。

 ヒステリックに叫び、うろたえたということは覚えている。

 強く、理由もなく死にたくないと思ったことも。

 だが、今回は違う。

 わけのわからない圧迫を受けた時に、貧血を起こすような感覚を覚えた。

 それから、ケツの穴が縮こまるような緊張感と、ピリッとした恐怖。

 一瞬、パニックっぽいものが来る気がしたが、ふと部下たちの顔を思い出した瞬間、すうっと何かが消えていった。

 それから救急品が入った腰の袋の中から包帯なんかを取り出し、応急処置を淡々をした。

 不思議と痛みはない。

 まあ、骨も何も砕け散っているから、神経が麻痺しているのだろう。

 私は痺れてきた指先をなんとか動かし、腰に一発だけ入れていた筒状の信号弾を取り出す。

 手のひらサイズの打ち上げ花火みたいなもの。

 それを打ち上げ、ここに味方がいることを知らせる。

 砲弾はあれから落下してこないから、一応味方がここにいることを認識したのかもしれない。

 私は体を横に倒す。

 やれやれ。

 雲ひとつない青空なはずなのに。

 今日は暗く感じる。

 それに眠い。

 このまま眠ったら、きっと気持ちいんじゃないかと思う。

 だが、私は眠たくなる気持ちを必死に堪えた。

 ああ。

 そうだ。

 死ぬ気がしない。

 眠ってはいけない。

 私は重たいまぶたをこじ開け、必死に目を覚まそうとする。

 だれかの声が脳内で響いた。

 それは伊原のようで、頭山のようで。

 三和の声かもしれない。 

 ああ。

「死にたくない」

 私は呟く。

 でも、それがあまりにも情けない言葉だったので自虐気味に笑った。

 いい天気なのに。

 なぜか。

 なぜか肌寒かった。


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