第50話「捜索隊」

 結局。

 次の日。

 私は死んでいなかった。

 今日の朝。

 夜空の星が薄くなるころ、敵の砲弾が降ってきた。

 敵の攻撃前にやる制圧射撃だろう。

 そう思った。

 応急的に掘った穴の中に装甲車を突っ込み、砲弾の直撃に怯える。

 破裂音と地響き、そして榴弾りゅうだんの破片が装甲に弾かれる音を聞くたびに、生きていることを実感した。

 痛み、恐怖心による確認。

 榴弾の破片が装甲車に当たり響く金属音はおぞましいし、近くに弾が落ちたときは頭が割れそうなぐらいの衝撃をくらう。

 何度か身近に起こるそれに耐える。

 こんなのを、あと数日間受けていたら頭が狂ってもしょうがないんじゃないかと思う。

 いや、すでに狂っているのかもしれない。

 二十年前に。

 永遠に続くと思える着弾の音。

 だが制圧射撃はいつもより早く終わった。

 その後、いつものように敵は堂々と正面から突撃してくるものだと思っていたが、敵は潮が引いたようにいなくなっていた。

 そう、敵は俺たちを攻撃すると見せかけて、まんまと安全に後退していたのだ。

 どうも敵の主力は昨日のうちに離脱をしていたようだ。

 目の前にいたのは敵の殿しんがり部隊。

 しかも朝の射撃で我々が穴に引きこもっている間に、その殿部隊もうまく逃げ出したようだ。

 我々は見事にはめられたらしい。

 私は一応「敵が後退のための離脱を始めたようなので追撃しますか?」と、やりたくもないことを大隊長の横尾に意見具申しようとした。

 そんなことは十分承知しているのだろう、横尾は『部隊は動くな、追尾斥候を出して、接触を維持』という指示を先にしてきた。

 お腹いっぱいなのは上も同じだということだ。

 私はさっきまでの射撃で受けた中隊の損害を確認する。そして並行的に追尾斥候と二小隊長の創作部隊を出す指示を出していた。

 そうしているうちに、戦場の状況が断片的に判明してくる。

 味方の反撃部隊がやっと到着し集結しはじめたらしい。

 どうやら本当に敵は後退をはじめたらしい。

 そのふたつが確認できた。

 その頃になると、大隊長の横尾から新しい命令が下達かたつされ『現在地において警戒』という任務を付与された。

 下がる敵に追い回しす追撃でもなければ、付かず離れずの接触線の維持でもなくただの警戒。

 気力も補給も尽きた状態。

 まあ、旅団長も懸命な判断をされたようだ。

 とりあえず気は抜けないが、派手なドンパチはない。

 部下を失う確率も低い。

 態勢を整えるにはちょうどいい任務。

 私は各小隊まわり、警戒の態勢をあれこれ指示しながら、元気な奴を選び捜索隊を派遣する準備した。

 迷子の二小隊、未だ見つかっていない小隊長以下二名を探さなくてはならないからだ。

 大隊長には「ちょっと離れたとこまで斥候してきます」と言って許可をもらい、中隊のことは副中隊長に委任して出発することにした。

 ケツは明後日の朝。

 反撃部隊の攻勢開始までに見つけなければ、味方の弾でやられるかもしれない。

 なんにしても、時間との勝負だった。

 だから今、私たち捜索隊は暗闇を利用して敵中に潜り込んでいる。

 敵も馬鹿じゃない。

 我々の反撃が来るとわかっているから、斥候を狩ったり、私たちがやったように反撃を遅滞させるための部隊がうめこまれている。

 こっちは六人。

 優先するのは捜索。

 誰一人残さない。

 必ず連れて帰ると約束した。

 なんというか。

 安っぽいが……そのためには中隊長として死ぬ覚悟があった。



 どこまでも続きそうな平原。

 昼間はさすがに動けないので森林内に隠れ夜を待つ。

 その間は交代で昼のうちに眠ったり、軽歩兵補助服の整備をしていた。

「ああ、例の彼女さんか?」

 古谷こたに伍長がじっと見ていた写真を覗く。

「まあ、正確には妻ですが」

 と爽やかに彼は笑った。

 出発前にいろいろもめたので『例の』なのだ。

 所謂『でき婚』。

 出発直前の横浜。

 そこで例の彼女さんの親ともめにもめ、見かねた私は彼といっしょに相手の親に頭を下げにいった。

 ばたばたと入籍だけは済ませてここに来ている。

 彼は「俺に何かあったら悲しませるだけなので無事に帰ってから入籍したい」なんて言っていた。

 だが私は「もし、君が死んだら生まれてくる子供はどうするんだ、入籍しておけば、金の保障は付く」とひどいことを言って説得した。

 古谷はイケメンでかつ少々……いや、だいぶチャライ男で、そっちの方向では有名なのだが、写真に写る『妻』はとても真面目な感じのする女性で不釣合いに感じた。

「幼馴染というやつで……小中って同じだったんですが、向こうは頭いい高校いって、俺は、ほら馬鹿高校いったもんだからそれっきりだったんですが、たまたま地元帰ってみたら、たまたま話をしようってことになって、たまたま、あれで、やっちゃって、ま、たまたまできちゃって……」

 たまたまが多い男、古谷。

「小学校の頃とか、地味な子だったんですが、小さい頃からの付き合いでいじめとかそういうの受けてたのを助けたりとかしていたらしいんです、俺」

 ――覚えていませんが。

 と彼は笑う。

「やるな、君の嫁さん」

 私は笑った。

「え、どういう意味ですか?」

「いや、いい……気にするな、いいよ」

 キョトンとする彼を尻目に、私は水袋のチューブをくわえ水を飲む。

「ところで、中隊長がたまにチラチラ見ている写真見せてくださいよ」

 俺のばっかじゃないですか、と口を尖らせてぶーぶー言ってくるので仕方なく見せる。

 例の家族会での集合写真。

「このエロ親父!」

 間髪入れず非難轟々の古谷。

「そう言うと思った」

「なんスカこれ? 水着の女の子いっぱいの集合写真」

「前の職場で小隊長たちとプールに行ってだな、集合写真ってやつだ」

「いや、おかしいでしょう、この茶髪のおっぱい大きい人とかどう見てもシャバの人だし、このちっこい可愛い子とか高校生でしょ」

「家族会なんだ」

 小さい子供がいるからわかるだろう、いちいち大げさな……と私は文句をつける。

「にしてもうらやましい、こんなに女がいる職場だなんて」

「学校ってのはそういうとこなの」

「この背の高い人は」

「小隊長」

「この茶髪眼鏡さんは」

「学校の職員」

「このちっこい可愛い子は」

「私の娘」

「この眼鏡の美人は」

「友達」

「だれが本命ですか」

「ばっか! この」

 にししし、と意地悪く笑う古谷の頭を思いっきり叩いた。

 脳みそが入っていないのか、ポコンといい音が響く。

「娘命だ馬鹿野郎」

 ――ああ、俺も娘でも息子でも早く会ってみたいなあ。

 と古谷はポケットの写真に触れながら呟いていた。

 無事に帰れれば。

 一瞬だが、古谷は捜索隊に入れなかった方がよかったんじゃないか、と思う。

 いや……。

 遊撃もあって、体力も、そしてカンもいい。

 全員、何かしら事情を持っている。

 能力を見て決めた人選。

 私は雑念を振り払った。

 あと二時間。

 あともう少しすれば動くことができる暗さになる。

 私は目を閉じる。

 あと一時間。

 体力を温存しないといけない。

 そうだ、その前にもう一度。

 もう一度、暗くなる前にあの写真を見ておこう。

 あれから一年近く経ってしまった。

 この写真を撮った日から。

 さて……私はポケットに写真をしまう。

 いくら補助服を着ているとは言え、夜はまた歩かないといけない。

 目を閉じた。

 眠ろうとしていると、エニシのあの震えた声が頭の中で蘇ってきた。

 あの夜。

 ずっと思い出さなかったあの記憶。

 金沢を出る前に彼女と会った。

 最後の夜。

 ふと、私は眠りにつきながら、その記憶の中にゆっくりと浸っていった。

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