第48話「潮時」

 夜は砲声が止んでいた。

 ずっと鳴り響いていたため、初日は仮眠を取らなかったという兵士もいた。

 三日経つと慣れるもので、そういう声は聞こえなかった。

 眠ることは大切だ。

 しっかりローテーションを組んで、戦いつつ眠らせないといけない。

 戦場であっても眠らないと三日以上持たず、判断力を失って意味不明な行動をとるものを何人か見てきた。

 逆に、暇さえあれば眠る奴は強かったし、歩哨――監視役――に立ってもしっかり起きていた。

 幸いそんな被害を受けたことがないが、疲れ切った兵士が歩哨に立っていて、眠ってしまい、敵の襲撃を受けて壊滅状態になったとか聞いたことがある。

 二十年前の戦場では、私がいた部隊でも『歩哨で眠った』ということで銃殺刑にされた者もいる。

 静かな夜。

 三分の一に仮眠を取らせている。

 私もその三分の一なのだが、なんだか静かすぎて眠れなかった。

 二十年前もそうだ。

 もっと長い時間、あの地獄の騒音の中にいた。

 負傷して、後送された野戦病院で不眠症になったことを思い出す。

 静かな夜というのは、不安にさせる。

 死んでしまったんじゃないかとかん違いさせる。

 ……病んでるな。

 そう思う。

 まったく敵も『当たりにくい』夜は、タマを節約しているようだ。

 空挺作戦が成功した当初は、どんどん弾薬も空輸できていたせいか、敵は湯水のように射撃をしていた。

 ここ最近、連合軍の航空作戦が有利に進んで、敵の輸送機を完全に遮断したため、敵は補給ができない状況になっているらしい。

 効果が低い夜間射撃はやめているようだ。

 その夜、私はけっきょく眠れず、中隊を離れ横尾のところに顔を出していた。

 若い大隊長伝令が「軽歩けいほ一中隊長の野中少佐がこられました」と横尾が乗っている装甲指揮車の中に伝える。

 何かしゃべった後「どうぞ」と言われ、装甲車の狭いハッチをくぐり中に入った。

 途中、鉄帽越しだったが、ハッチのでっぱりで頭を思いっきりうち「痛った」と言いながら笑うと、伝令くんも笑っていた。

「狭いな、ここは」

 私は鉄帽を脱ぎながらそう言って頭を撫でる。

「気を付けろよ、と言おうとしていたんなだが」

 横尾は笑った。

 それから私は真面目な顔をして中隊の状況を報告する。

 そうしているうちに、伝令くんが温かいコーヒーを出してくれた。

「あんまり長居をするわけには」

 私が遠慮しようとしたが、横尾は少し情けない笑顔で遮った。

「まあ、そう言うなよ」

 コーヒーに口をつけると、私が事務室で何度も失敗した、あのまずいインスタントの味がした。

「まずいだろう?」

 横尾が笑う。

「ああ、まずい」

 私は苦笑して頷いた。

 横尾はこういう飲み物にはうるさい人間のはずだ。

「あいつは、他のことはよく気が利くが、コーヒーだけはだめなんだ……」

「指導しないのか?」

「モスクワにきたら、こういう味のコーヒーが合ってる気がしてね」

 私は笑った。

 同じことを考えていたからだ。

 同期、中佐と少佐――しかもなりたて――との違いがあるが、そういう共通した感覚があるのはうれしい。

 私はコーヒーを一気に飲み干して、ありがとうと言って小さなテーブルの上に置く。

「まだ、来ないのか?」

 そして一番聞きたかったことを聞いた。

「旅団もわからないと言っている」

 予定の五日間はとっくに過ぎ、今日で八日目だ。

 反撃部隊はまだこない……私はため息をついた。

 しょうがない。

 二十年前と同じ。

 絶対に戦場でしてはいけないこと。

 期待。

 願望。

「明日が潮時だな」

 私がそう言うと、横尾は布張りの椅子に座って腕を組んだ。

 私も同じように座る。

「これ以上は退がれないというのが、大隊の考えでいいよな」

「ああ、そうだ」

「なら、明朝の攻撃はできる限り抵抗するが、今の陣地も二日目だ……敵もだいぶ偵察しているようだし、配置もばれている、明日あたり真面目しんめんぼくな攻撃が始まると思う」

「そうか」

「預かっている兵士を八人も死なせてしまった……それに、ほとんど帰ってきたが、まだ一部行方不明の分隊がある」

「ああ」

「あと、負傷とかで退げたのも合わせて戦力は八割を切ってしまった」

 横尾は寝ていないのだろうか、目のくまが酷い。

 私は立ち上がり手を差し出す。

 彼は私を見上げた。

 そして気づいたのだろうか、神妙な顔になった。

「さよならだ」

「ああ、さよならだ」

 血管が浮き出るぐらいに強く握り締めた握手。

 私はもぞもぞと体を動かし、装甲車の狭い空間で体を出口に向けた。

「……野中」

 私はどうしたと言う顔をして振り向く。

「いや、お前のところは……怪我人をすぐに後送して、遺体もしっかり回収できている……ありがとう、よくやってくれた」

 私は軽く頷くと、小さく敬礼をして外に出た。

「潮時か……」

 厚手の外衣の襟を閉じる。

 星が輝く五月の寒空を見上げ、日本のことを思い出した。

 三和ごめん。

 こればっかりはどうしようもない。

 スーパーお父さんなんて言ったけど。

 自分ひとり生き残るわけにはいかない。

 電話でもいいから、話がしたかった。

 君に謝りたい。

 笠原先生は元気だろうか。

 頭山や伊原は元気しているだろうか。

 伊原。

 好きな人はできただろうか。

 ちゃんと、できているだろうか。

 あの日の夜。

 君は一歩でも前に進めたんだろうか。

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