第47話「遅滞戦闘」

「たまらんな、これは」

 横尾がボヤキ気味に言った。

 通常の大隊長と中隊長の間なら、統率の問題になるので決して言わない台詞セリフ

 指揮官は孤独……とはよく言ったものだ。

 こういう厳しい状況に置かれた時こそ、責任を一人で負い、そして孤独になる。

 ただ同期である彼と私の関係は、その孤独を少しでも和らげる効果があったかもしれない。

「無事ではすまんだろう……」

 私も地図を見てため息をつくように言った。

 最初は遠慮していた。

 同期と言っても、大隊長と中隊長。

 中佐と少佐。

 ふたりだけであっても、他の誰かに聞かれていないという保証はない。

 だから私は当初敬語で話していたが、いつのまにか階級関係なくタメ口で話すようになっていた。

 横尾が「公式には上下関係、でも裏で同期の大隊長と中隊長の仲がいいところを知れば、兵士は安心する」と言ってそうすることを望んだからだ。

 それにしても。

 戦術のお勉強をそんなにしていない私でもわかる『やばい』現状。

 地図の上に乗っている赤い符号。

 モスクワ南部。

 ありえない状況が記入されていた。

 敵を示す赤い部隊符号――部隊を種類と規模をあらわしたもの――がありえない場所に、ありえない兵力で描かれているからだ。

 ありえない。

 そう思う時点で奇襲されていることになるんだが。

 本当にありえないから仕方がない。

 敵の空挺師団を示すマークが四つ。

 地図の上にどっしりと居座っていた。

 モスクワの南。

 ロシア帝国の領内に。

 そして横尾と私をますます不安にさせる青い符号。

 モスクワの周りにある、小さな符号たち。

 味方を示す青い部隊符号――師団の戦力に対して三分の一程度である旅団のマーク――がふたつあるだけだった。

 そのひとつが帝国陸軍の遠征旅団。

 五月五日。

 あの戦争と同じ日にソヴィエト連邦軍は東進を開始した。

 モスクワの五〇〇キロ東に流れるヴォルガ川を防衛線として準備していた我々――ロシア帝国及び反コミンテルン連合軍――との間で戦闘が始まった。

 国境より西の制空権は圧倒的に有利なわれ側。

 地上戦闘が主になろうとしていた時、連合軍は敵の主作戦正面がヴォルガ川岸からモスクワまでが最短距離の二〇〇キロで西に真っ直ぐ伸びるアフトダローガ・ヴォルガ道沿い突破を企図していると断定。

 予備を含めその正面に戦力転用を図り、短期間のうちに決戦を行おうとした。

 緒戦で制圧した敵の航空機。そして、敵の地対地ミサイルや火砲といった遠距離火力を多大な犠牲を出しつつ空爆で破壊したという戦果も影響したのだろう。

 それにロシア帝国としては、決戦を早期に行い、努めて早く戦闘を終了させ、国土の戦火による被害を最小限に抑えるのが狙い……むしろ願望だった。

 そして、十日、モスクワ南部の対空火網を構成した対空部隊が次々と特殊部隊の襲撃により撃破されたという一報が入った。

 もともとソヴィエト側になびいていた州にあった基地。

 予備の航空部隊を投入したが、敵の最新鋭戦闘機部隊がその正面に集中しており、あっという間に壊滅した。

 こうして制空権を得たソヴィエトはその隙を最大限利用し、合計四個師団クラスの空挺降下がモスクワの南二〇〇キロの位置にあるヴォロネジ、クルスクの近郊に行った。

 連合軍に激震が走ったのは言うまでもない。

 それは我々の喉元に後ろからナイフを突きつけらのと同じことを意味した。

 制空権の獲得、レーダーと対空火器の発達している現代戦ではありえない、できるはずがない空挺部隊の投入。

 そういう油断が、大部隊の空挺降下を許してしまった。

 この時、それを迎い撃てる戦力はすでに無く、少なくとも敵の侵攻を遅滞ぐらい期待できる戦力――ロシア帝国の一個旅団とわが帝国陸軍の遠征旅団だけだった。

 この正面に敵を撃破できるだけの戦力を転用するには、少なくとも五日間の猶予は必要あった。

 そこで連合軍最高司令官が二つの旅団に与えた任務は、モスクワに続く二経路をそれぞれが押さえ、敵の空挺師団を五日間阻止することだった。

 遠征旅団――その隷下の我ら第三混成大隊も含め――は一五〇キロの縦深じゅうしんを活用して、敵を遅滞をすることになった。

 それは我々が嫌がらせのような襲撃、伏撃を織り交ぜた遅滞戦闘の日々を送ることを意味した。

 私の軽歩兵補助服――人よりも一回り大きいサイズで全身を覆う、動力アシスト付きの装甲服――化中隊は、その特性を活かし伏撃や襲撃を繰り返し、敵の足を鈍らせる役目。

 敵の側面に大きく回りこみ、ヒット&アウェイを繰り返す。そして、敵が準備をして攻撃したときには後方に下がって『スカ』させる。

 言うは易し。

 行うは……。

 時間を稼ぐために、一五〇キロという地形、そして兵士の血と汗を犠牲にする。

 だから横尾は「たまらんな」と言っていたし、私も同感だった。

 

 

 もともとそんなにうまくはいかないと思っていたが、そこまでひどい状態ではなかった。

 一応、予定の時間まで稼ぐことはできた。

 だが、五日間で転用できるという味方の反撃部隊の準備が遅延しているため、更に持久することが求められることになった。

 敵も馬鹿じゃない。

 西から南へ兵力を転用させないように、少ない兵力で死に物狂いの攻勢が行われているらしい。

 そんな事情はどうでもいいが。

 一五〇キロという地形をうまく使って時間を稼いでいたが、それも使い切ってしまった。

 もう物理的にあとがない。

 今までは損耗がでるような戦闘を避けつつ、敵の速度を落としてきた。

 だが、一五〇キロの地形を使いきった今は、それを使って時間を稼ぐことはできない。

 あとは本格的な戦闘によって時間を稼ぐしかない。

 それは、我々の出血を強要させられることを意味した。

 このだだっ広い平地では、どうしても防御正面幅を大きくすることを避けられず、縦深のない配置――三個大隊を並列――するという不利な態勢で、正面から来る敵を迎え撃つことになった。

 私は大隊の正面の守備と、遊撃部隊による敵の足止めの任務を与えられた。

 こうして二小隊を伏撃部隊として派遣していた。

 だが、敵の先端戦力と当たるころには前に出していた二小隊とは音信不通になってしまった。

 ――負傷者を見捨てるな。

 ――戦友の遺体を放置するな。

 そんな私の訓示に対し、中隊の兵たちはよくやってくれている。

 もう五人も死なせてしまったが、なんとか負傷者も含め後送できているのは彼らの言葉では尽くせない労力のお陰である。

 それに不思議と『絶対に見捨てない』という雰囲気は彼の士気を上げるのにも効果的だったようだ。

 こんな負け戦の空気の中でも活気があるのは、中隊長冥利に尽きると言ってもいいだろう。

 だが、あれから進展はない。

 二小隊とは音信不通のままだった。

「中隊長……二小隊は、無事でしょうか?」

 副官の上野中尉は独特の掠れ声で、その皺の深い顔を更に深くして聞いてきた。

「ああ、きっと戻ってくる、安井は大物を狙っているんだよ」

 二小隊長の安井中尉。

 遊撃、空挺、格闘なんでもできる下士官あがりの将校。

「大物?」

「敵の大隊長か連隊長あたりを狙っているんだろう……そうじゃないとこんなに遅くなることはない、必ず帰ってくるよ」

「見捨てはしない」

 銃声、砲弾の音が雷のように鳴り響く。

 いつまでそれに耐えれるか、正直言って不安だった。

 だが、決してそのような態度はとらないように、冷や汗をかきながら笑顔を向けるしかできなかった。

 根が小心者だからしょうがない。

 小隊長が顔面蒼白になって、逃げだした戦場を見た。

 そして、逃げ出した自分を知っている。

 中隊長が笑顔で踏みとどまっている姿を見た。

 逃げたくとも逃げれない自分を知っている。

 ……まったく……胃が痛いじゃないか。

 横尾、お前も辛いだろう。

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