第45話「野中博三の覚悟」
九月の末日に転属。
慌しく身辺整理をして横浜へと向かう準備。
その頃にはロシア情勢は緊張感が最高度に高まっている一方、衝突には至らないだろうという評論も多くあった。
ソヴィエトは武力を使わず、国境付近の州を内面からの圧力で独立させ、実効支配を進める、そういう見方だ。
だが、双方軍事的圧力をかけ、国境の動向に対応できるべく、戦力を集中している状態。
臨戦態勢でもあるが、単なるパフォーマンスにも見える。
ソヴィエト得意の奇襲がすでにできない態勢。
かの国は相手が平和的外交で解決しようと動いた瞬間、武力で蹂躙するという奇襲を行うのが常だったからだ。
遠征旅団の戦闘序列は早々に発表されると聞いているが、帝国政府も派遣時期を慎重にしているということだ。
世論が遠征旅団の派遣を後押ししていないと判断しているからかもしれない。
そういうことで北の海が凍る時期までにという予定だったが、今は装備品は南側からの海路から陸路へ、そして人員は空路ということを考えているらしい。
なんにしても、当初予定していた時期よりも遅れ、国外への出発は十一月末から十二月末にかけて予定しているという。
それでもわたしは九月末には横浜へ行き、そこで訓練や出発準備に忙殺されることになるだろう。
このことはエニシにも話をした。
さよならを言わないといけない相手だから。
彼女に対し、ちゃんとさよならは言えたが、あれから連絡は取っていない。
……少しだけ話をしたいとは思っているが。
あと、三和は母親の絵里のもとに帰ることはなかった。
結局あの住んでいたアパートにそのまま三和が住むことになったからだ。
高校生にしてはあまりに間取りだし、やはり娘のひとりぐらしというものは心配でもあるため同居人を探した。
ちょうど引越したがっていた伊原が住みたいと名乗りを上げたので、嫌がるだろうと思いつつ三和に話したところ「別にいいよ」とそっけない返事もらい、ふたりで住むことが決まった。
伊原なら三和の面倒を見てくれるだろう。
なんだか、申し訳ない気がするが「アパート代もってもらえるんですよね!」というひとことに救われた。
彼女は私に気を使って、娘と同居する対価で満足しているとアピールしてくれたからだ。
賃貸は私持ち。
それだけで娘を見てくれるというのだからありがたい。
信頼できる部下だ。
それが娘の面倒を見てくれる形になったので安心して国外にでることができる。
そういう風に身を固め、九月末を迎えることになった。
その日は私を見送くるために少年学校全体の学生や職員が集まっていた。
ありきたりの紹介、そして私の挨拶。
最後は花道を作って、拍手で送られる。
お約束だが、まあ悪い気持ちはしない。
つながりの深い、学生や教官など数人と握手して私は花道を進んだ。
そんななか、ロシア帝国からの留学生であるゲイデンが「ロシアのためにありがとうございます」と言ってきた。
目をちょっと横に逸らし、やや赤面して。
あの授業でも生意気な女の子がそんな態度で言ってくるのが面白い。
「なんだそんなに礼儀正しいと気味が悪い」
と、ついからかってしまった。
「しょうがない、慣れていないから」
じっと私の目を睨みつけてそう言ってきた。
いやはや貴族のお嬢さんってもの伊達じゃない、大したものだと思った。
横浜についたら、覚悟していた通り多忙だった。
まず中隊百五十人の顔を覚えることから始まった。
それから装備を全部あたって、また人を見て、装備の状態を確認して、訓練、訓練、訓練……の繰り返し。
バタバタしている最中に九月が終わる。
正式に遠征旅団の戦闘序列が発表された。
そして、装備品を次々と輸送艦に送り込む作業。
そのひとつひとつの作業が、我々が近々モスクワに向かうことをいやでも実感させることになった。
この間、数度三和に電話をしてみたが、最後まで話をすることができなかった。
まだ、気持ちが整理できていないのだろう。
待つしかない。
私はしばらく電話をかけることをやめた。
そうしているうちに、夏は過ぎ、秋は終わりに近づく季節になっていた。
「同盟国のロシア帝国を防衛することは、直接本土で防衛に当たることに比べ、数倍の抑止効果があることは、みな散々聞いてきたことだから……割愛」
十一月三十日。
遠征旅団先遣隊出発の日。
私は横浜で訓示を行っていた。
事前に旅団長、大隊長が別の日に訓示をしている状態なので、今更私が話すことはないだろうと思っていたが、今日は家族を集めてのセレモニーだから苦手な訓示なんてものをやっている。
広報的な宣伝も含めて、軍隊というのはこういう形式的なものが多い。
それも仕事と割り切るしかない。
そんわけで私の部下である百五十人の部下が小隊毎に整列していた。
その列の外側には見送りに来ている兵士の家族。
私の見送りのために、大隊長や中隊長、それに頭山、伊原といった前の部隊の人々も集まっていた。
わざわざ私のために、金沢から横浜まで飛んできたというのだから驚くばかりなのだが。
頭山なんかは前日に飲んだ時「ちょうど横浜の中華街に行きたかったからついでです」なんて照れ隠しをしていた。
そんなわけないだろう。
まあ、相変わらず憎たらしい男である。
そういえば伊原は三和をつれて来ようとしてくれたらしい。
だけど娘は「学校があるから」といって連れてこれなかったらしい。
伊原は心底申し訳なさそうにそのことを教えてくれた。
「違う、それは私の責任だよ、親としてやれなかった結果なんだから」
と私は逆に伊原に謝った。
そんな昨晩の出来事をふと思い出しつつ、整列している兵士達を見る。
少年学校の下士官や兵士達には悪いが、ここに並んでいるものたちは意識も能力も比べ物にならないくらい高い。
横浜に赴任して二ヵ月が経とうとしていたがそのことを実感していた。
訓練ひとつとっても意識も高く、全員が自分の役割をしっかり果たしている空気。
ひとりひとりの探求心がすごく、活発な議論が上下左右で行われていた。
命がかかっているからということもあるかもしれないが、さすが虎の子の遠征旅団というだけあって、優秀どころを集めているようだ。
そんな部下たちを前に私は訓示を続ける。
まったく、そんな優秀な兵士たちをひきいるのが、こんなロートルで申し訳ないを通り越して、恥ずかしいぐらいなのだが。
「ロシア帝国を守るという我々の任務は、ここにいる君たちの大切な家族を守ること、この国を守ることに直結するということは承知しているだろう」
人から見られているというのもあるのだろう。
兵士たちは緊張した面持ちで私も見上げている。
「ただ、君たちの命も大切なことも変わりない、君たちの生還こそが家族の皆さんの今ある幸福であることは間違いない」
だいたいこういうところで最後に話すのは大隊長なんだが、横尾は『そんなもん、直接
「事が起こったら」
私は会場を見渡す。
もちろん探しているものは見つからない。
「私がここで君たちに絶対という約束ができないことを謝罪させて欲しい」
息を大きく吸った。
「ここにいる全員がもう一度この地に立つことはないかもしれない……任務を考えれば、簡単には約束できない」
三和にも謝らないといけない。
「君たちの命を保障することを私は約束できない、必ず不幸な家族ができることは間違いない、今ここでそれについて謝罪する」
そう、私も含め。
兵士達は覚悟できているのだろうか。
いや、今は大丈夫かもしれない。
覚悟していると思いこんでいるのかもしれない。
実際にあの血と鉄に圧倒される……あの場に行ってから初めて覚悟ができているか、できないか……それが、やっとわかることになると思う。
それにしても、そんなことを口にする自分に呆れてしまう。
何が謝罪だ。
そんな軽いものをだれも欲しくないだろうに。
「ただ、これだけは約束をする」
――逃げるな、臆病者。
――なんだ、あんた生きていたのか。
両方の耳元で囁く声。
「私は君たちとともにその場に立ち、君たちの誰よりも最後に帰ってくる」
――な、臆病者。
――た生きていたのか。
「戦場という極限状態にあって、君たちに相応しい指揮官であり続けることができるか、私はわからない」
兵士たち以外からざわざわという声が聞こえる。
そりゃそうだ。
そんなことを言うやつはいない。
だが、私は正直気持ちをここで言っておく必要があると思うのだ。
格好つけることなんて、言葉だけなら、いくらでもできるから。
私の覚悟。
そんなもの、あの鉄と泥にまみれる場所にいけば消し飛ぶかもしれない。
消し飛ばないかもしれない。
それは、行ってみなければ、その場に立ったときにしかわからないこと。
覚悟もできず逃げ出した。
逃げ出した自分を知っている。
「だからこそ、みなの前で覚悟を伝えたい」
ひとりひとりの兵士の目を見た。
出会ってたった少しか経っていないが、彼らはこんなダメな私にもついてくるということはこの二か月でようようわかっていた。
「誰ひとり見捨てない……もう一度言う、私は最初に行って、最後に帰ってくる、これだけは約束する。」
頭山、伊原。死にたがっているわけではない。
笠原先生。
死ぬことよりもきつい道を選んだのかもしれません。
でも、お父さんはただ任務を遂行して、そして生き残るよりも難しいことを約束してしまったんだ。
だから、三和とした約束は破るかもしれない。
彼氏を追い払えないし、孫に大量の小遣いをあげれないかもしれない。
それを謝りたかったんだ。
エニシ。
もう一度、話しをしたい。
もう一度、君を抱きたい。
君があんなに感情をあらわにして泣いて……そのことを謝りたい。
「繰り返すが、モスクワでの任務は我々の命よりも重い」
血と鉄の匂いがした気がする。
「それでも……」
全員が生還することはないだろう。
それでも……。
――臆病者。
――生きていたのか。
私はまた大きく息を吸った。
「またいつか、ここに集まろう」
全員が立つことができなくなっていても。
たとえ、違う何かになっていたとしても。
誰ひとり見捨てない。
ここに集まるために。
それが私の今ここでできる覚悟なのだから。
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