第35話「接近するふたり」

 会議の後。

 ――よくもまあ、ぬけぬけと処分処分いいやがって。

 と副大隊長にわき腹を小突かれた。

 私の過失は上司の過失にもなる。

 昇任枠や昇給枠その他もろもろの査定が大隊全体として落ちる。

 それに懲戒処分の手続きをする副大隊長がとても面倒くさいことになることは間違いない。

 隠ぺいなんて組織ですれば問題だろう。

 だが、この案件にしてみれば規則に触れるのは「品位を保つ義務」ぐらいだ。

 そんなこと言ってみれば、エロ本が置かれている当直室や風俗行く兵隊も処分するべきだろう。

 そんなどうでもいいことで騒ぐのもなんとも軍隊らしいところなんだが。

 なにせ、部内をモデルにしたネット小説が問題になることなんてなかったから、どうすべきか誰も答えのないまま、上から下まで無駄に騒いだだけだと言える。

 ただでさえ、問題児――主に職員――が多い学校だ。

 こんなことで大げさにする必要はない。

 副大隊長としても、ある意味自首されてしまった手前、無かったこともできなかったんだろう。

 責任をとれる立場というのは指揮官のみ。

 そういう立場でもないので、あんな茶番の会議を開いたのだろう。

 大隊長の「隠蔽する」のひとことをもらうために。

 びびりと思われるかもしれないが、幕僚というのは責任がとれない。

 指揮官に判断してもらう必要があるのだ。だから、こんな茶番でも軍隊としては常識的な行動だった。

 まあ、そんな文化の違いについて先生と話している。

 あれから一週間ほどたって、私はいつものようにカウンセリングに来ていた。

「まあ、あれのおかげで私はバイだという噂が学校内に蔓延しているようですが」

「それは……」

 消え入りそうな声のごめんなさいが聞こえた。

「別に、恥ずかしいことじゃないので」

 私は両手を組んで肘をテーブルについた。

「勝手な事を言う奴なんか放っておけばいいんです」

「はい」

「だから、先生も知らぬ存ぜぬで押し通してくださいね」

「……はい」

 いかん。

 元気を出してもらおうとしているのに、先生はどんどん声が小さくなり涙目になっていっている。

「野中さんは、私のこと嫌いになりましたよね」

「え? いや」

「あんな風に野中さんを書いてしまったんですよ……」

「まあ、フィクションですよね」

「でも、それでも」

「た、確かに正直言うと、先生からこんな感じで見られていたのかと、少しだけショックでした」

 先生は俯く。

 まずい、余計なことを言ってしまった。

 元気を出してもらわなくては……。

「いやそんなに意外でもありませんでしたよ」

 先生は俯いたままだ。

「だって、意外と先生大胆だったりしますから……ほら、プールで」

 あの大胆な水着を思いだす。

 先生に好意をもった男なら眼福どころではない。

「セクハラです」

 よし、少しは元気がでてきた。

「しょうがない、男ですもの」

「……」

「私は目のやり場に困りましたから」

 はははっと笑ってまた言い過ぎたことに気づく。

 すると先生はまた俯いてしまった。

 やっちまった。

 あれ、何がだめだったの?

 なんか余計なこと言ったっけ?

 私がどうしようどうしようと慌てふためいていたら、俯いた顔の下から小さな声が聞こえてきた。

「あれは、創作する上で別次元の人間で、野中さんとはまったく違って……」

「え、ええ」

「本当なんです」

「わかりました、わかりました」

「男性としての野中さんが……デートしてもデートって言ってくれないし……プールでも一緒に泳いでくれないし、いつも相手をしてくれないから」

 涙目の先生は立ち上がりテーブル越しの私に詰め寄ってきた。

「エニシさんは綺麗ですね」

「あ、え?」

「どうして、あんなに素敵な人とお付き合いされているんですか」

「いや、付き合うとかそういう次元じゃなくて友人なんです、ええ友人」

 『ちゃんとしたパートナーを作った方があなたのため』エニシの声が私の言葉に重なる。

 なあ、本当に私はパートナーを作ってもいいんだよな。

 そうなると、もうできなくなるけど。

「そうですか、よかった」

 さらに彼女は私に近づいてくる。

「ちょっと意地悪な気分で作っちゃったんです、あの話……なんだか、よくわからないんですが、野中さんにイライラして」

 また体が近づいた。

「落ち着きましょう、ええ、イライラするのはやめましょう、ええ」

 彼女の顔は赤い。

「こんな私でも、嫌いじゃないですよね」

 ――そろそろちゃんとしたパートナーを……。

 あの時、そう言われた瞬間の喉の渇きと喪失感よりも、更にひどくした感覚が広がる。

 喉の奥の乾いた粘膜に、直接風がかかり痛い。

 不意に襲われたその感覚から逃げるように、目の前の先生の肩を掴む。

 ほっそりとして、すぐにこわれそうな。

 でも女性的に柔らかいな感触。

「どうしてかばってくれたんですか?」

 彼女はじっと私を見ている。

「先生にはまだお世話にならないといけないから」

「カウンセリング?」

「カウンセリングも受けないといけません」

「も、ですか?」

 彼女の濡れた唇が目に入る。

 そしてまた、喉の渇きがひどくなる。

 ガタっ。

 テーブル越しに無理やり先生を引き寄せたため、先生の椅子が動いてしまい壁に当たった。

 お互い息が荒くなっているようだ。

 ――ちょっと意地悪な気分で作っちゃったんです、あの話。

 笠原先生の小さな声。

 ――私にああいう態度をとったのも、お前へのあてつけだと思う。

 あの伊原との夜、私が頭山に言った言葉。

 声が頭の中に響いている。

 違う、当てつけじゃない。

 私はそう繰り返した。

 だいたい、誰に対して私が当てつけるというのだ。

 私は邪魔なテーブルを横に動かし、彼女を自然に抱き寄せた。

「助けてくれてありがとうございます」

 先生はそう言って、目を閉じる。

 閉じた瞬間小さい雫が目尻に集まっていた。

 私は痛いほど喉が渇いている。

「先生……」

 私もゆっくりと目を閉じた。

 そして彼女の唇に、空気越しに温もりを感じるほどに近づいて……。

「ピンポーン! 入りまっす!」

 ガチャ。

 私たちは慌てて体を引き離す。

 お互いにおろおろ。

 私は無駄に髪の毛を整えてしまうぐらい。

 扉から顔を出したのは頭山だ。

「いやー、頭山どうした! お、元気か?」

 と私。

「どうしました、頭山さんっ!」

 と笠原先生。

「よかったー、なんか意識が飛んでいたから、いやーお昼のカレーのせいですね、食堂のカレー海軍に負けねえぞってぐらいスパイシーですから」

 と私は棒読みで言った。

 お昼がカレーだった場合、午後の仕事は眠くなる、でも美味しいからみんな大好き。

 これ軍人の常識。

「よかったー、ちょっと体が熱くてボーっとしてしまっていたから、やっぱりカレーのせいですよね」

 棒読みの笠原先生がうなずく。

 香辛料が体をぽかぽかさせ、幻想をみせるのだ、しょうがない、カレーだもん、麻薬だもん。

 そうだ、そうだ、昼食のカレーが悪いのだ。

 香辛料マジック、覚せいカレーである。

 体を離した勢いで私はすこしバランスを崩していた。

「俺も笠原先生にカウンセリングしてもらおうかと思いまして……あれ? 副長いらっしゃってんでしたか、いやーすみません、お邪魔して」

 こんなにしゃべるやつだったか、こいつ。

「ええ、もう先生俺のことは気にしないでください、例の件はさすがにショックでしたけど、ぜんぜん気にしないでください」

 笑顔の頭山。

 ぜんぜん気にしないでくださいを連呼。

「先生、俺ショックだったんですよ」

「す、すみません」

「あーでも、これでチャラにさせてもらいますから、副長をお借りしますね」

 ぐいっと私の腕をひっぱる頭山。

 ハッと息を飲む笠原先生。

 あ、ご趣味でましたね……なんとなくその瞳の奥に光るものを見てわかるようになりました。

「待て、まだカウンセリングが終わっていない」

「いいから」

 強引な頭山。

 先生、なぜそこで生唾を飲むんですかっ!

「あの、まだ野中さんと話すことが」

 なぜか葛藤した表情の先生。

 ぐいぐい引っ張る頭山。

「先生、これでチャラにするっていいましたよね……いや、ショックだったんですよ、ショック」

「あ……」

 私は羽交い絞めにされ拉致された。

 こうして無理矢理、カウンセリング室から出て行くことになった。


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