第34話「魔女裁判」
「まいったな」
私は誰にも聞こえないような声で呟く。
会議場には、大隊長、副大隊長といった大隊の幕僚と本部と三人のナンバー中隊長がそろっていた。
そしてゲスト席のようなところに私は座っている。
そんなことはあまり驚くことはない。
正反対の席にいる人物。
まるで詰問を受けるような位置に笠原先生が座っていたことに、私の心は乱れていた。
魔女狩りは急展開を見せた。
まず伊原から「笠原先生が書いたらしい」という噂を聞いた。
どうも学生達の間で噂が流ているらしい。
そういうフリーマーケットの販売会に彼女がいたという目撃情報があったようだ。
それからカウンセリングの日に正直に彼女に聞いた。
――趣味で小説かかれていますか?
と。
あの表情は、まさに奇襲を受けた時の顔。
人によって受ける衝撃は違うものかもしれない。
あの日私が経験した、敵の声が陣地の後ろから聞こえてきた時にしてしまった、そんな表情だった。
一瞬にして血の気が引いていた。
目が開かれ、口が半開きになる。そして唇は一瞬でカサカサに。
数秒後彼女は「はい」と答えた。
――例の流行しているお話ですよね。
と彼女は確認した。
それからどうして書いたのかを聞いてみた。
――小説家志望なんです。
――BL……そういう趣味が若い頃からあって。
――遊び心で書いた小説の評価が高くて……ずっと続きを書いてしまった。
私は確認のため、ひとつ気になることを聞いてみる。
――頭山は、カウンセリングに来たことありますか?
と。
彼女は「頭山さんは来たことありませんが」と答えた。
私はてっきり彼女が頭山がゲイであることを知っているものだと思っていた。
内容は読んでいないが、きっとそういうものを題材にしたんじゃないかと。
すると察しのいい彼女はみるみる顔が青ざめてきた。
――まさか、頭山さんは。
と絶句したあと、みるみる塞ぎこんでしまった。
――あの、今さらですが……わたしだけかもしれませんが、そういう妄想なんです……ないってわかっていて、でもそういう風に妄想して……そういうのが楽しいというか、確かに実在するひとがそう見られてたら嫌悪感があると思いますし……まして、それが気にしていることだったら……。
泣きそうな表情をみせまいと彼女は顔を伏せた。
私は情けないがおろおろするだけで、何もできず見守ることしかできなかった。
ギュッと結んだ口。
彼女は「カウンセラーとしての資格はない」と言った。そして、この一連の騒ぎの原因は自分にあると、自ら副大隊長に名乗り出ていた。
そういう経緯で、この件をどう処分するか。
副大隊長の発意で詰問会議が開かれることになった。
会議はこのBL小説の内容が少年学校とその人物を特定できるかどうかというのが焦点になった。
その点は全国に陸軍少年学校は五ヵ所あるということ。
内容を確認した一中隊の副官であり女性将校である日之出中尉からすると、地名などは入っておらずこの学校だと特定はできないという結論に至った。
ただ、お堅く気難しい副大隊長は実在の人物をモデルにしたことも問題視していた。
そう笠原先生が自ら告白していたから。
「軍内部の人間がモデルの人間に対し、無許可で文章を出していたことに問題がある……しかも猥褻な部分もあるそうだが」
副大隊長が口を開いた。
「しかし、規則上なにも問題はないんですよね」
口を開いたのは坊主頭の第一中隊長である佐古少佐。
「こうやって騒ぐことの意味がわかりません」
と言葉を続けた。
「倫理上の問題だ」
「倫理上ってなんですか?」
副大隊長と中隊長は同じ少佐。
だが五〇代の少佐である前者の方が大先輩であり、力関係は三〇代の中隊長の方が弱い。
「猥褻な話を、しかも学校をモデルにして、内部の人間が書くことだ」
「……ですが」
「上が……参謀本部が騒ぎ出している」
参謀本部が騒ぐ?
それは大げさだ。
どうも参謀本部に「軍隊内を風刺した猥褻な読み物が出回っている」というタレコミがあったらしい。
まあ、最近は軍もSNSといったネットには神経をとがらせているご時世。
だが、批判とかそういうものじゃないから、たいして騒ぐことではない。
軍隊をモチーフにした小説なんて、そこらへんにゴロゴロしているし。
参謀本部もそんなことをいちいち気にするはずもない。
とりあえずこういうことがあったんで注意してね、ぐらいの気持ちで文書を出したぐらいだろう。
ああ、この副大隊長のことだ。
お上の文書を金科玉条のように持ち出して騒いぐタイプなのだ。
組織の中で確かにそういう役回りは必要なんだが。
このじいさんは、どうも引っ掻き回す癖がある。
そんなの黙殺でいいじゃないか。
……といっても、私はまわりにいる少佐クラスを差しおいて、ここでしゃしゃり出るのもおかしいので、今は静観。
「仰々しくこういう会議を開くとか……無駄だと思います、」
「口が過ぎるぞ、佐古少佐」
少し怒気を含む声で言ってから副大隊長が佐古少佐を睨みつけた。
会議室が静まりかえる。
嫌な緊張感だ。
「申し訳ありません……私がこの学校を辞めることが責任を取ることになると思います」
笠原先生は力強く、ゆっくりとしゃべった。
先生、それは困る。
いなくなると困る。
中隊長たちが口を開こうとするまえに、私は声をだしていた。
「あのー」
私は手を上げる。
「実は私も協力したもので」
できる限りいつものように軽々しく言った。
「私も処分して頂いてよろしいでしょうか」
笠原先生ははっとした顔で私を見る。
一番奥の、深々とした椅子に座っている大隊長であり少年学校長であるダンディーなじじいがニヤっとした。
まったく、そういうことか。
じじいにやられた。
「私の願望がですね……いや、まあ、そういう性癖もありまして……それを満たすために先生に依頼をしたところ、このようなことになりまして、ああ私、書いていませんが原作者ということで」
「お、お前」
副大隊長の禿頭に血管が浮く。
悪い人じゃないんだけど、すぐ怒るだよね。このじいさん。
「ですから、元々そういう猥褻ものを要望したのは私ですので、どうぞ処分して下さい」
大隊長がフムゥと独特のため息をついた。
先生がいなくなるのは困る。
なぜか、エニシの「……パートナーを作った方が博三のためだって思うんだけど」という声が聞こえる。
あの、何気ない一言。
喉がカラカラと渇く、あの一言。
私は、そういう感覚とは別の緊張感も感じながら大隊長をじっと見た。
ほんの数秒。
でも長い沈黙に感じた。
「隠蔽する」
大隊長はそれだけ言って立ち上がった。
立ち方が妙にダンディーな五十歳。
副大隊長とは対照的に白髪混じりの髪はふさふさしている。
「現役の軍人がそういうことに関わっていた……まして清廉潔白な人物が必要とされる教官職にある将校が」
清廉潔白。
そんな建て前の言葉に場が白けた。
実際この学校にいつ教官陣はポンコツの巣窟である。
「めんどくさい、それにどうでもいい」
ニヤッと笑う大隊長。
「副大隊長、すまんが忘れろ、もしこれが揉めたらすべては私の責任だ……まあ、上はもうどうでもいいことにしているだろうし……ああ、副大隊長が大人しくしていれば、騒ぎにはならない」
ははっと爽やかに笑う大隊長。そして副大隊長の肩を叩く。
「それに、まかり間違って野中大尉がゲイだから処分した……と誤解された場合、今のご時世クビがぶっとぶ案件だ、いらんリスクは回避したほうがいい」
そう言って、なんだかよくわからない会議は終了した。
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