第32話「女子高生とBLと私」
「野中さんは、男の人好き?」
何を血迷った、わが娘。
ふたりの夕食。
私が作ったタラコクリームのパスタを器用にフォークでくるくるしながら食べている娘。
ちなみに私は箸。
「パスタをうどんみたいにずずずって吸わない」
怒られた。
食べ方の作法で怒られた。
十六歳の娘に三十九歳の父親が怒られた。
「いや、だってそのクルクルするのは面倒くさいし、それに、麺はやっぱりずずずっていかないと」
「気が散るし美味しくなくなるから」
「はい、すみません」
私は箸にクルクル巻く。
「で、さっきの質問」
「なんだっけ」
彼女は私をじっと睨みつける。
「男の人は好き?」
頬が少し赤い。
「さすがに友達はいる」
「そういう意味でなく」
「どんな意味だ?」
「性的に」
ぶほ。
パスタが鼻に入った。
げほげほっとむせる。
……考えてほしい。
高校一年生の娘に「性的に男の人は好きか」と質問される親の気持ちを。
「ちょっと三和……私はそんなはしたない女の子に育てた覚えはありません」
「育てられた覚えはない」
そりゃそうでした。
まだうちに来て三ヶ月だもんね。
お父さん君を十年間ほっといたもんね。
ということで、私はちゃんと問いに答えることにする。
「……それはない」
「ふーん」
「なんでそんなことを聞く?」
「さあ」
人に聞いててそれはないだろう。
クルクル、パク。
クルクル、パク。
三和は唐突に会話をやめ、食べることに集中している。
「ところで三和……その左手の怪我はどうしたんだ」
そう、娘の左手首から小指にかけて、包帯がぐるぐるに巻かれていた。
「お母さんのお手伝いで、ちょっと怪我した」
「どんなバイトなんだ? なあ、その怪我は尋常じゃないぞ」
「クリーニングや配達業、重たいものを持ってて痛めた、大したことはない」
淡々と話す。
いや、あの母親だ……なんか実家の稼業である忍者のお仕事なんてやらせてんじゃないだろうか。
「そんなことより野中さん」
「ん?」
クルクル。
まわる箸に巻き付くパスタを私は見ていた。
「Bixivって知ってる?」
「知らん」
「小説をネットにアップしたりできる」
「へー」
「女子高生の間で流行っている」
「ふーん」
「四十歳のダメおやじと、部下のオフィスラブ」
「へー」
この高校一年生の娘から「オフィスラブ」なんて言葉がでてくるなんて。
「そのダメ親父はバツイチで、息子がいる」
「お、おお」
「アマアマラブラブのお話」
「よくある話じゃないか」
「そんなBL」
「初度携行弾薬――Basic Load――か」
「部下は男、ボーイズラブ」
まあ、無視された。
「……」
「すごく野中さんに似ている、この絵以外」
娘はスマフォをちゃちゃっと触れる、いやー女子高生の操作は早いと言うが本当だなあ。
片手でこんなことができるなんて。
「なんじゃこりゃ」
その画面には、なんだか無駄にキラキラした美形の男三人。
なぜかその内二人が軍隊の制服の前がはだけているのと、小さい男の子が学校の制服なのに上半身が裸なのが写っている。
そして抱き合っている。
題名のようなものがあり『四十歳バツイチ子持ちを好きになったら』と書いてあった。
「今、学校でも大人気」
「じょ、女子高ってのはこういうのが流行るのか?」
「一部だけど」
「お、おう」
「この前、プールに来てた頭山さんって人に似てるし、この四十歳は野中さんに似てるし……もちろん絵は全然似てないけど。でもあまりにも似すぎているから、なんだか本当のことみたいな錯角があって」
じーっと娘が私を見る。
いつになく饒舌。
私は背中がぞくっとした。
□■■□
何度見上げても、不機嫌そうな顔をした黒縁眼鏡の少女が立っていた。
その眼鏡娘は長崎ユキという。
二年生で学生会副会長の彼女は、私の机の上にどっさりと学生会の案件を持ってきた。
なんだか先日プール以来、とても不機嫌な顔になっているのは気のせいだろうか。
私はパラパラとめくり、ぽちっと「学生会指導官」と書かれた四角の欄に印鑑を押してゆく。
百円印鑑だけあって『野中』という朱印はなんとも弱々しい。
「ちゃんと見てください」
「そんな、ちゃんと見たら時間がかかってしょうがない」
「仕事してください」
「これぽちっと押すのが私の仕事だろう」
「ちゃんと指導して下さい」
「うん、じゃあ、よろしく」
ぽち。
「環境美化、ゴミ分別当番について……」
「はい、ゴミの分別が悪いので持ち回りで監視役を置きます、そのローテーションは公平性を重視し……」
ぽち。
「無責任」
「無責任じゃないよ、だって、私が口だすことじゃないし、しっかり考えて組んでるんだろう?」
「……はい」
「君を信用しているんだ……えっと、女子寮の環境美化点検について」
ぽ……。
おや? え?
あ、っぶねええ。
「なあ、なんだこの男性教官による点検って」
ちっ。
あ、今、舌打ちしたぞこの子。
「女性教官だけでは大変であり目が届かないので、男性教官にも点検をしていただこうと」
「誰がするの?」
「暇で、かつ間違いを起こしそうに無い枯れたおっさん教官」
「私?」
「そうです」
「他は?」
「いません、あとの同じぐらいの年の方はみんな忙しそうですし」
「ねえ、それ学生がやること?」
「そこに押していただければ指導官の発意になりますので」
「私にそんなに仕事させたいのか」
たまったものではない。
ただでさえ、女子学生の取り扱いは神経を使うのに、そういうことまでされたらたまったものではない。
なんだか、私を冷やかそうとしているのかもしれない。
「肝心なところはちゃんと見ているんですね」
「一応、こういうのは匂いでわかるんだよ」
「ちっ」
「……いま、舌打ちしただろう」
「していません」
彼女は困った顔をした私を無視し、次の案件の書かれた紙を差し出して言葉を続ける。
「風紀の問題です」
「なに? 『少年学校に酷似したBL小説の対策について』」
「BLご存知ですか?」
「ああ」
「初度携行弾薬ではないですからね」
「わかってる」
「これです」
さきほど彼女が差し出していたA4に印刷された文書をもう一度ゆっくりと読んでみる。
「ん? なになに――「ああ、こんなにも口移しの水は冷たく感じるものなのか……」「お父さんはそのまま横になっていてよ」私は息子のほっそりした背中に手を伸ばし――なんじゃこりゃ」
「はい、四十歳バツイチ子持ちの少年学校っぽいところに勤務する軍人と、その息子、それから細マッチョな部下の小隊長との三角関係を描いた、一部で
チョーになぜか力が入る長崎。
「ええと、ここの
読んでいる時の長崎の目が怖い。
あれだ。
恍惚というのだろうか。
「わかった、わかった、感情を入れて読むのはやめてくれ」
「まさに、指導官と頭山少尉、それからあのプールにいた娘さんを息子さんに変えただけのシチュエーションなんです」
「そ、そうか?」
「きっと、この学校のだれかが書いたものだと思います」
「それはないだろう」
「そこで、聞きたいことがあります」
長崎は黒縁眼鏡の真ん中を持ち上げ、座っている私を見下ろす。
「指導官が自分の願望のために、このネット小説を書いていませんか?」
この子が何を言っているのかわからなかった。
どうして、そういう風になるんだろう。
まさに奇襲。
「あ、あのな」
まずは落ち着け私。
「私はネット小説ってものを知らない」
もっとまともな言い訳できないのか自分。
「でもBLの事は知ってましたよね」
「ちょうど同じもので娘から言われたんでね、どうも一部で熱狂的なファンもいるらしいな」
こほん。
わざとらしく長崎は咳払いをした。
「何にしても、これだけ学校内でも、外の学校でも流行っているものが、こうしてモデルが一部の人間を断定できるとなれば、まずいんじゃないですかね?」
私と娘のことはいい。
まったくもってフィクションだから。
ただ、頭山。
頭山がゲイであることを、私や伊原以外に知られてしまっているのか? もしかして、そのネット小説を通じて公表されてしまったら、いや噂になってしまってもまずいんじゃないだろうか……。
私はそう思うと、脳の裏のあたりがズーンと痛む感覚がした。
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