第30話「若人は空気をよまない」

 缶ビールと乾き物。

 天幕の中で、我々――私、頭山、伊原――は缶ビールで乾杯をしていた。

 七月末の山はとにかく虫がすごい。

 人間の燻製みたいに蚊取り線香を炊いても、薄暗く光っている電球の周りでは、蛾やよくわからない虫たちがバタバタいいながら回っていた。

 白山の山中に今日は泊まっている。

 今度三年生の山地機動訓練があるので、その偵察がてらテント泊をしていた。

 夜は訓練というわけではないので、酒宴をするのが恒例。

 ビールもどきの缶を開け、乾杯をして、三人でわいわいと仕事の話から始める。

 酔いもいい感じにまわり、どんどん馬鹿話に花が咲き出していた。

 曰く、隣の中隊の真田中尉という女性は、その中隊の軽薄そうな軍曹とできてるらしいとか、うちの中隊長は飲むとただのエロオヤジになるとか、まあどうでもいい話だ。

 そんな中唐突に頭山が私に質問をしてきた。

陸軍大学校リクダイって行く価値あるんですかね」

 私は最期の一滴を搾り取ろうと、ちょうど顔を天井に向け、缶のお尻をトントン叩いていたところだった。

「陸大?」

「そうです」

「わからん」

 私はビールにも飽きたところなので、紙パック入りの焼酎を取り出し、自慢のチタン製シェラカップに半分くらい水を入れた後、焼酎を注いだ。

「俺は行ってないからなあ」

 そう言ってから、ゴソゴソとクーラボックスから取り出した氷を入れる。そして、焼酎に口をつけた。

 次に伊原があっけらかんな顔をして口を開く。

「総学生長が今更何を悩むんだ」

 頭山は統合士官学校の成績が優秀な者しかなれない総学生長をしていた。

「伊原、お前こそ陸大目指さなきゃならないだろう」

 少し口を尖らせて頭山は抗議する。

 総学生長……そんなレッテルでものを言われるのがいやなのだ。

「ボクが陸大? なんでだよ」

「そりゃ、親父が将軍……」

「おい、頭山」

 私は二人の会話を遮った。

 悪気はないのだろう。

 ついうっかり彼女の父親のことを口に出してしまったことに頭山自身も気付いたようだ。

 申し訳なさそうな顔をしている。 

 彼女の父、伊原元少将。

 先日、不祥事で退職した男。

 彼女はビールをぐびぐび飲んで、ぷはーとわざとらしく言った。

「父の事は気にするな、ごめんな、いじわるく言っちゃって」

 逆に謝る彼女。

 それ一つ取っても、彼との間に深い友情があることが窺い知れる。

 あくまで友情。

 頭山はゲイであり、彼女もそれを知っている。そして、私の予想では彼女はそのことを知っている上で彼に惹かれているはずだ。

 なんとも歯がゆい。

 可愛い部下二人を前にして、困った顔しかできない自分。

 できればくっついて欲しいものだが。

 ――元々そういうふうにできている。

 ふとエニシの声が脳内で再生された。

 そうだ、元々そういうふうにできているんだから、それは私の独りよがりな願望でしかない。

「いや、悪かった」

 律儀に頭山も謝った。

「ボクはあまり偉くなりたくないんだ、正直」

「そうだったな」

 ふたりで頷く。

「俺も」

 彼は缶ビールを飲み干して、それを器用に片手で潰した。

「俺を受け入れてもらえる組織じゃないから、この少年学校に配置になったのもそういう差し金だったと思う……士官学校時代にさ、信用できると思っていた教官に相談していたんだ、そのことを」

 彼女は無言でうなずいた。

「でも、そこから話が漏れたんだろうね……ある日、学校長に呼ばれて『治せ』って言われたんだ」

 士官学校の学校長はうちの学校とは違って陸軍中将。

 つまり相当なお偉いさんである。

「『頭を冷やせ、総学生長だろうが』だって……病気扱いをするんだよ、あいつら」

 伊原が、頭山の肩に手を置く。

「言いたいやつに言わせておけばいいんだ」

「ああ、経歴には書いてないようだけど、総学生長経験者が半分後方部隊みたいなところにいれば『何かある』と思われる、世間体で差別はできないから、そういう人事をしたんだろう」

「でもさ、同期でここにいれるんだから、よかったじゃないか」

 彼女は彼の肩から手を離す。

「ここはとても居心地がいいし、やりがいもある、それに勉強にもなる……それなのに、ここがそういうレッテルを貼られることが……俺がいることでそういうレッテルを貼られることが腹立たしい」

「それは自意識過剰だよ」

「お前だって、伊原、成績そこそこいいのに」

 伊原はちらっと私を見る。

「ボクは希望してきた」

 彼女は缶ビールに少し口をつけた。

「前も言ったけどさ、女のボクが第一線の戦闘部隊に入るとしたら、ここの半分学校の部隊しかないから……師団隷下の歩兵連隊には入れないのは知っているよね」

 彼女は一息つく。

「あの父親が望む、後方支援部隊で出世していくということをしたくなかったんだ」

「ああ、そうだな、そうだったな」

 何度も話したことなのかもしれない。

 確かめる様にふたりは言葉を続けた。

「ボクは心許せる同期と一緒に勤務できるから、十分満足」

 なんだこれ。

 おい、もうくっつんこしていいんじゃないか、このふたり。

 ……まてまて。

 落ち着け、おっさん。

 まあ、でも天幕内の空気がなんだか、しんみりしてきた。

 うん、あれだ。

 どうもこういう雰囲気は苦手だ。

 私は「もったいない」とオーバーに声を出した。

 空気を読まない選手権があったら、全国大会の石川県代表ぐらいにはなれるだろう。

「伊原はもっと上がれると思うけどなあ、何気に頭いいだろう」

「何気にが余計です」

 ぷんすかした顔をする伊原。

 大人になった方がいいと思うぞ。

「窓際の見本の私が言うのはなんだが、可能性があるんだから目標もってがんばった方がいいと思う」

 ああ、私はなんて模範的なことを言う上司なんだろう。

 ほんと、素晴らしい。

 完璧な諭し方。

 偉い、私。

 でもなぜか、そんな完璧な私を頭山が睨んでいる。

「……ボクは」

 少し遠慮しがちな伊原はそこで言葉を止める。そして缶ビールの新しいものを開けた。

「できれば、好きな人と一緒になって……それから一緒に勤務したり、いや……辞めてから家庭に入ってもいいとも思いますが、迷惑じゃなければ、働いたり……あ、でもそれは軍隊以外ですが」

 ちょっとうわずいた声の伊原。

 おいおい、どうした。

 伊原、君がもぞもぞ話をする姿なんて、見たことがない。

 私の研ぎ澄まされた第六感が働いた。

 なるほど、そうか、そうだよな伊原。

 あれだけ男っぽくしていたのはあの父親のこともあるんだろうけど、頭山の気を引くために「男」を意識していたと私は見ている。

 あの事件以来女の子してきたのは、正々堂々そっちで勝負をかけることだったということだな。

 今確信した。

 おっさん読んだよ、女の子の気持ち読んだよ!

 ならば、今宵は決戦。

「あーなんだ……そろそろ発電機の燃料終わりそうだから、入れてくる」

 どっこらしょ、そんな言葉を言って立ち上がろうとした。

 手で制する伊原。

「燃料なら自分がさっき入れましたが」

 伊原。

 空気を読め。

 私は君のために去ろうとしているんだぞ。

「酔いが回る前に満タンにいておけば安心」

 私は鼻歌交じりに言った。

 酔って機嫌がいいから先輩が燃料入れに行くんだぞーっとアピール。

「副長、そんなこと俺に任せてください」

 おい頭山、なんで邪魔をする。

 おっさんが若い二人の時間を作ってやろうとしているのに。

「いや、たまにはこういう雑用をすることが、おっさんのポリシーなんだ」

 自分で言っててよくわからない。

「副長にやらせると心配なんです」

 空気を読まない頭山がそんなことを言う。

「何が?」

「ガソリンと灯油間違いそうで」

「失礼な」

 おいおい、さすがにそこまで馬鹿じゃないぞ。

 昔、ペットボトルにいれたガソリン混合油の茶色いのをウーロン茶と間違えて飲んだことはあるが。

 もう、へとへとで。

 とにかく水分欲しくて。

 ラベルついたままのに入れるのが悪い。

 いや……そんなことはどうでもいい。

「まて、私が行くといったら行く」

「いいから年寄りは座ってて下さい」

 この野郎……。

「トイレついでに行ってきますから」

 そういうと私がつかもうとする手を払い――ぺシッてハエを払うかのようにして――のけた頭山は「漏れる漏れる」といいながら天幕から出て行った。


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