第4章「お父さん、奇襲さる」

第28話「野中教官の授業」

 第一〇九少年学校という場所で勤務する将校は出世と無縁な者達が多い。

 直接学生と接する少尉や中尉はまだマシな人間を連れてきているが、大尉以上は何かしら、経歴に傷を持っていると見ていい。

 私なんかはそんな窓際のお手本的存在だ。

 だから統合士官学校で総学生長――成績優秀者が選抜される――に選ばるぐらいに成績優秀でピカピカな頭山少尉が、ここに存在することはとても不思議なことだった。

 陸軍大学校りくだい選抜試験に一発合格して、エリートコースを歩むと見られている男だ。

 同期のライバルたちは、優秀な中隊長や大隊長に囲まれ、陸大受験の心得を教授され、仕事の合間――中には仕事もせずに――試験合格のために勉学を励んでいることだろう。

 しかし彼はまったくその素振りを見せない。

 本当の上澄み液はたいして勉強もせず陸大に合格すると耳にするが、まさに頭山はそういう人間だった。

 彼の机の上には陸軍教範のかわりに、私なんかには読めない分厚くて難しそうな本が必ず一冊置かれていた。

 それが一日から二日足らずで新しい本に変わる。

 かと言って、その勤務態度からすると、その本をいつ読んでいるか分からないぐらい朝早くから夜遅くまで学生教育に真摯に取り組んでいる。

 もしかしたら出世なんて考えず今を一生懸命生きているだけなのかもしれない。

 ただ単に私が彼の努力に気付いていないだけかもしれない。

 上澄み液特有のそういう『らしさ』を見せることはない。

 とにかく自然。

 彼が偉くなったら部下になっていいと思う。

 そういう男。

 頭山浩一という男は。



□■■□



 少年学校の学生たちの日課は普通の高校生とは違う。

 午前中は一般的な高校生が受けるものと同等の授業があり、教鞭は一般の教師がとっている。そして午後に軍人として必要な教育や訓練をしている。

 単純に一般高校生の半分しか勉強をできていないのだが、学生の偏差値は私立公立合わせても北陸トップレベルだった。

 もちろん、元々偏差値の高い子供たちを選抜して学校に入れているというのもあるが、他の理由もあった。

 寮生活で自習、食事、起床も消灯も時間が決まっているような規則正しい生活。

 睡眠時間を削って夜中に勉強することは規則違反になるため勉強は夜の自習時間のみ。

 一般の高校生に比べ勉強時間は少ない。

 だが、別の見かたをすれば学生が集中して勉強できる環境と言える。

 ダラダラ勉強するよりも効果的なのかもしれない。

 そういう環境の良さも影響していると言われる。

 そしてもう一つ。

 午後の訓練で『座学』と言われるもの――軍人としての知識を入れる教育――まさに今私が行っている『戦術教育』の学生たちの態度が一番の要因だと言われている。

 私が教壇から見ているその光景。

 机に突っ伏した頭、頭、頭。

 一学年の子供達の頭。

 睡眠。

 しっかりここで休んで、自習時間の勉強の準備を整えているのだ。

 七月末、野外での訓練とは違い冷房が効いて寝やすい環境。

 私はそういう子供たちに対して、自分でも面白くもないと思う『いくさ』の原理原則ついて教えている。

 さっきから、首がカックンカックンしている女子。

 たまに開く目。悲しいかな死んだマグロの目をしていて、私が話す内容にまったく興味がないというのが一目で分かる。

「戦というものが終わるのはどちらかの戦意せんい破砕はさいしたときだ」

 そこの女子、あくびをする時は口を抑えなさい。

「意志と意志のぶつかり合いだからこそ、人、物、金が多ければ多い方が有利になる……まあ、当たり前のことなんだが」

 首、折れない? 一人バックドロップでもするんじゃない? そう心配になるような眠り方をしている男子。

「こちらが劣勢れっせい……つまり、人、物、金がなくても勝つために重要なのが『集中』、戦力というものは以前話したが、火力、機動力、防護力といった有形の戦力と、個人、部隊の士気や能力といった無形の戦力を合わせたものだが……もちろん限りがあるので、大事なところ『決勝』で、ドカーンと敵より強くなるように集中すれば、敵に勝てるわけだ……まあ、当たり前のことなんだが」

 カクン、ガシャン。

 白目を剥いたカックン女子が机上の『中村』と書かれたネーム札を勢いあまって落とす。

 ……とりあえず、落とした名札は起きて拾おうか、中村風子ふうこくん。

 私はホワイトボードに青丸のマグネットを八個、赤丸のマグネットを十個面と向かうようにして、それぞれを縦一列に貼り付けた。

「それじゃ、青組が『集中』って観点で赤組に勝つ方法を考えてくれ、だれでもいいから発表」

 ずらっと目の前に並んだ、やる気の無い頭。

 まあ、こんなこと知らなくても高校生はやっていけるからどうでもいいけど。

「それじゃ、上田」

 首折れ男子の首が心配なので、カックン男子の上田次郎くんにちょっと起きてもらおうと思った。

「は、はい」

 すたすたと前に出てきて、青組のマグネットを赤が並んだ上に被せるように動かし『T』の字にした。

 これだから、この子達はすごい。

 日露戦争で連合艦隊が行ったT字戦法と同じ考え方だ。

「横に並んだ青が八で赤の先端が一になるような態勢にして各個撃破するってことだな」

「はい」

「素晴らしい」

「は、はい」

 あったまいいなあ、やっぱり。

「他」

 しーん。

「中村」

 カックン女子に当てる。

「わかりません」

「早っ」

 まあいいよ。

 そういうのお父さん嫌いじゃない。

 じゃ、次行こうかな。

 すっと挙がる白い手。

 たぶん、ロシアからの留学生のゲイデンちゃんだったか。

 おかっぱ金髪のおでこは赤丸がついている。

 さっきまでうつぶして寝ていたからついたのだろう。かわいい顔が台無しである。

「ゲイデン、じゃあ答えてくれ」

「人をアラワして形すことければ、スナワちわれはアツまるも敵は分かる。我は専まりて壱と為り、敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て壱を撃つなり」

 孫子かよ。

 君、ロシア人だよね。

「お、おう……そうだな、孫子の勢篇セイヘンにあるものだな」

虚実篇キョジツヘンです」

 青い瞳に侮蔑の色が入っていた。

 ついでに腕を組み教官に向かって勝気な態度である。

「具体的に説明してくれますよね、教官」

 流暢な日本語、それがより一層この子の生意気さを引き立てる。

 面倒くさい。

 私はダメ教官らしく困った顔で誤魔化そうとしたが、青い瞳が許してくれそうになかったため、大人しく説明をすることにした。

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