第25話「20年前の臆病者②」
「よくやった野中、さすが士官学校の学生だ」
連隊長から肩を叩かれた。
俺はちょっとした英雄になったようだ。
「この逆襲の成功には、この野中の挺身精神がなければ成し得なかったことである」
連隊長はそう言った。
もちろん俺がやったことはたいした効果はなかったが、兵士の士気を上げる材料にされているのだろう。
「壊滅した陣内に敢闘精神を絶やすことなく、約一日間敵中に潜伏し、敵の
べた褒め。
連隊のお偉いさん方が拍手をする。
俺は照れ臭くなりながら連隊長と握手をした。
「お前が逃げ出したことは不問にする」
中隊長はそう言った。
「すでに、お前のところの逃げ出した小隊長は憲兵に引き渡した、銃殺だ」
彼の目の下のクマが黒さを増している。
そのせいだろうか、すごく皮肉たっぷりの笑みを浮かべるように見えた。
「俺は、逃げようとする奴の足をぶち抜いて、逆襲の時は先陣を切った……だからお咎めはない」
そう言いながら、手入れ中の拳銃を組み込んだ。
天井に向けて空撃ちを一回。
カチン。
安っぽく鉄と鉄がぶつかる音が聞こえた。
「奴といっしょに逃げ出した者は逆襲の時に死ぬか、怪我して後送されるか……すでに全員が消えた」
そして、弾倉を拳銃に突っ込んだ。
「あの陣地から逃げなかった奴らは、みんな殺られた」
俺はコクリと頷く。
「なあ、俺達はここで死ぬのが仕事なんだ」
彼は拳銃の銃口を自分のこめかみに当てた。
背中に変な汗が沸くのを感じる。
「俺はお前達をここで磔にするのが仕事だ……緒戦でピカピカ歩兵連隊や機械化連隊が壊滅して、今は予備役だ、倉庫番、お前らみたいな学生を集めた連隊じゃ、そんなことしかできない……だいたい、俺自身、春まで学校教官していたような奴だ」
中隊長はニヤりと笑ったが、目と口が震えていた。
「どっかの馬鹿野郎が言ったらしい、東京を捨てて箱根の線まで退いて戦線を立て直すだと」
俺は頷くことしかできない。
「奇襲を受けた今、もちろん時間が欲しい……しかも北陸正面の線も押されている、下ることは戦術的合理性はある……お前は士官学校行ってるから言っている意味はわかるな」
「……はい」
「まだ、逃げ切れていない、二千万人近くの住民を巻き込めば、そりゃ時間稼ぎもできる」
「……」
「そんなことをすれば、この帝国陸軍は終わりだ」
彼は拳銃をテーブルに置いて、一瞬胸ポケットに手をやった。
「住民を捨てて逃げるような軍隊に未来はない、二千万人……捨てられた住民だけじゃない……帝国の市民が敵にまわる」
「だから、ここで死ぬしかない」
「……そうだ」
中隊長は立ち上がり肩に手を置いた。
「成り行きかもしれんが、お前は中隊に死ぬ覚悟を与えてくれた、感謝する」
そう行って、手の平を上げた。
「明日から逃げるような奴はいなくなる」
出て行けという合図だ。
一方的に話して安心したのだろうか。
中隊長はそれから口を閉じ、目を瞑った。
俺は失礼しましたと言ってテントの外に出る。
同期のあいつは死んでいた。
思ったよりも汚れていなかった。
首と胴体は離れていたが、顔の傷はほとんどなかった。
たぶん、榴弾の小さい破片が飛んできて首をぶった切ったんだろう。
勇気ある同期の首を俺は拾った。
なあ、俺は臆病者か?
そう聞いたが、何も答えない。
ああ。
わかっている。
何も言わなくても。
臆病者。
でもな、今はもう臆病者じゃない。
大丈夫だ。
ちゃんと戦場で生きている。
人もちゃんと撃てる。
殺せる。
もう逃げずにやっていける。
だって、あの時は何も考えず、敵に向かって走っていけたんだから。
俺は次の戦闘で怪我をした。そして後送された。
その戦闘で中隊長は戦死。
一週間後には連隊が壊滅して部隊交代をしたらしいと師団の野戦病院で聞いた。
矢板市丘陵部での陣地の取り合いは続いた。
ひとつの丘の取り合いで彼我の一個中隊が一日単位で消滅するような戦い。
敵が攻撃して丘を取ると、帝国の部隊が逆襲して取り返す。
次の日の朝はまた攻撃され、取り返した部隊はそこで消える。
そういう戦いが六月の中ごろまで続いたらしい。
俺が前線に復帰するのは、米国が介入して制空権を完全に掌握した七月だった。
復帰した歩兵第一〇二連隊は連隊長以下将校は戦死又は負傷で全員が入れ替わり、まったく新しい部隊と言っていい状態だった。
だが、その連隊も夏の盛りには消滅。
軍旗は折れ、どっかに埋められ、生き残った兵隊はバラバラになった。
俺は幸か不幸か『決』第なんとか連隊とかいう軍旗もない急造部隊に入れられ、また戦場に行くことになる。
――逃げるな臆病者。
逃げてなんかない。
俺はまた戻ったんだから。
逃げていない。
なあ。
そうだろう。
お前を置いて行ったかもしれないが。
俺は逃げていないだろう?
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