第23話「お父さんふられる」

「それで、ラブレターの送り主にふられたんですね」

 笠原先生のカウンセリング。

 落ち着く個室で向かい合う先生と私。

「よくわからないんですよ……それが」

 私が密かな楽しみにしていたラブレターは、突然の幕切れとなった。

 あ、認めます。

 枯れたおっさんの楽しみでした。

 十代に戻った気分になりました。そして、悲しい思いをしました。

 最後の手紙。

 ――幻滅しました。

 ――格好が良いあなたは、私の憧れる人ではなくなりました。

「本当に意味がわからないんです」

 わからない。

 どうしてダメな男を好きになるのか。そして、私にラブレターをくれた相手とまったく接点を持つことなく、一方的に遮断されてしまった理由を知りたいと思っていた。

 先生はため息をつき「きっとダメ人間しか好きになれない人だったんでしょうね」と言った。

「助けたい症候群」

 聞いたこともない症例を先生は口にする。

「なんですかそれ?」

「ダメ人間を助けたいって思う……女性に多い恋愛の症候群のひとつですよ」

「はあ」

「ああ、私がいないとだめな人、うっとり」

 なぜか棒読み。

「はあ」

 自ずと私の「はあ」も棒読みになってしまった。

「そういう感じですかね」

「あの、それは私がダメ人間だという前提ですか」

「ええ」

 先生、ひどい。

 統合士官学校出た帝国陸軍大尉ですよ。

 一応……。

 いや、まあ同期はもう中佐になってるんだけど。

 ……うん、まあ、ダメ人間だよな。

 世間一般さまから見れば。

「ひどい人では、ご飯から排泄までぜーんぶ面倒みたいと思うぐらいの重症な人の例もあるんですよ」

 うんドン引き。

 だから正直に感想を言った。

「私は、そういう感情、理解できませんが……先生はどう思います?」

 もちろん先生も同意してくれると思った。

「少しわかる気もします」

 わかるんかい!

 私は少し意地悪な顔をして口をひらく。

「排泄の面倒」

 つい、そこだけ特出しして言ってみた。

「……野中大尉、わかっていってますよね」

 怖い。声が怖い。

「冗談です」

 ここは大人しく引き下がる。

 いや、言い過ぎた。

 反省しています。先生怒ると怖いから、ほんとマジごめんなさい。

 そういう光線を体全体から出してみた。

 すると先生はため息をつき口を開く。

「ただ、男の人のダメなところを垣間見てしまうのも、ちょっとした優越感に浸れるというか……そこを補完できる自分が存在することに快感を覚えるんですよ」

「はあ」

 薄い反応なので、先生は少し嫌な顔をする。

「男の人だって、そういうのありません?」

 困っている女性を助ける……そういうヒーローに憧れはあったかもしれない。

 目を覚ませ男なら、鍛えろ……そういうフレーズの歌を十代のころ聞いて、とりあえず腕立て伏せをした記憶はある。

「ドラマとかアニメとか、そこに出てくるヒーロって、困っている人を助ける、ダメな人を助ける、そういうのが盛り上がりません?」

 先生はそう言って私を正面から見つめた。

「なるほど」

 とりあえず、そんなことを言ってしまう私。

「でも、あまりいい例はないんですよ」

 先生は眉をひそめた。

「お互いに補完し合えるならいいじゃないですか」

「そういうのってだんだんと一方的になるし……人間って甘えだすと際限がないんですよ、しかもその甘えさせることに快感を感じてしまうからどんどん深みにはまって……負のスパイラルに陥っちゃうんでしょうね」

 ふと思う。

 私がPTSDがひどくなり、絵里に暴力を振るったことがある。

 それでも、彼女は私を愛し続けてくれた……私が拒絶するまで。

 いや、あの拒絶は私だったのか、彼女だったのか。

 そこは曖昧で覚えていないのだが。

 ……そもそもその境界が明確ではないのかもしれない。

 そう思うと、うまくいろいろなものが壊れてしまう前に別れることができてて、よかったということなのだろうか。

 負のスパイラルに陥る前に。

 まだ傷が浅いうちに。

 そう思った瞬間、あの『愛しています』という絵里の声が……今までは『怖く』感じてしまった、そして罪悪感に襲われるあの声が、すうっと頭に入ってきた。

「どうかしました?」

 すっきりした。

 乗っかっていた何かが消えたというか、ふわっと軽くなった自分に気付いた。

「あ、いや、先生、ありがとうございます」

「ん?」

 首を傾げる。

「今の話で、別れた妻との間にあった……わだかまりみたいなものが、私ひとりの身勝手なものなんですけど……なんというか、すうっと飲み込めました」

「助けたい症候群?」

「そう、それです」

 私はあの魚市場のフラッシュバックから始まったPTSD、それに続く私の暴力、入院先での絵里とのやりとり、それから別れ、ずっと私に乗っかっていた……いや、今も乗っかかっている罪悪感について話をした。

「苦労されたんですね」

 先生は目を細めて言う。

「苦労させたのは私で、苦労したのは絵里の方なんですが」

「違いますよ、ずっと自分を責めていることに対して……苦労されてますね、と言ったのです」

 ……。

 ふと感じる。

 なんで、私はやったことを自分自身で許しているんだ、と。

 絵里に、三和に、あんな思いをさせたのに、自分だけ救われているのか……と。

「そんな野中さんは心のため池があふれそうで怖いんです、だって、ため池にどんどん水を溜め込もうとしているから」

 自責。

「……こういうのは絵里に悪いと思っています、でも、私は今、なんとなく晴れました……うん、なんというか勝手にというか……一方的に」

 池の水は溢れる前にひいた。

 でも、私がやったことは、今、ここで、ひいてしまっていのだろうか。

 すっきり、忘れて、自分の罪を……なかったことにしていいのか。

「まだ、あの戦争のことは晴れていませんし……野中大尉は、逆にひどくなっているときもありますよね」

 肩の傷がチリリと痛む、そして胸の入れ墨が痒くなった。

「慌てずに、治しましょう」

 私は窓の外を見る。

 なんだか、朝日を受けた朝のように日差しを眩しく感じた。

 自分を責めながら、でもなんか救われた。それが、許せない自分をなだめつつ、煽りつつ。

「ただ、私はそういう痛みは消さない方がいいと思うんです……生き残ってしまった人間、無駄に部下を殺してしまった人間なんですから」

 私は思ったことをそのまま口走る。

 逃げるな。

 忘れるな。

 自分の罪を。

 何かが覆いかぶさってくる感覚。

 いつもの。

 いつものあれが、やっぱり出てきた。

「野中さん」

「だから……」

 いいんだ、このまま飲み込まれれば。

 私はそれくらいのことをしたんだから。

 同期に、戦友に、妻に、娘に。

「野中さん」

 強い口調で、じっと先生は私を見つめた。

「もう、いいじゃないですか」

 先生は私の手を握っていた。

 少し震えているのかもしれない。

「何年も、何年も自分を責めているじゃないですか」

「でも」

 先生は掴んだ手に力を入れる。

 それとは対照的に、とても優しい声でゆっくり言葉を紡いでくれた。

「わかりました……慌てず、ゆっくり、ゆっくりと、やっていきましょう、ね、ゆっくりと……」

 私の手の甲に乗っている彼女の暖かいその手は、蒸し暑い室内にも拘わらず、むしろ心を落ち着かせてくれた。

 数分だろうか、いや、数十分そのままの状態が続いた。

 発作を起こしたような呼吸をしていた私。

 冷静に、それが落ち着いたとわかったとき、私は立ち上がった。

 大丈夫です。

 それをいうために、私は帰る間際にはいつものように馬鹿話をする。

 だから、同じように今日も軽口をたたいた。

「ところで、先生は大丈夫なんですか?」

「何がですか?」

「ダメ男」

「ダメ男?」

 訝し気な顔をする先生。

「先生は助けたい症候群にはまりそうなので」

 私は笠原先生の彼氏になりそうな人の顔を浮かべる。

 ダンディでそれでいて隙のある……でも、彼女をしっかりリードしそうな男性を。 

 こういう才女には、それにふさわしい男性が付くんだろうなと少し羨ましくなりなった。

「……さっきも言ったように、その気持ちはわかります……もしかしたら、私はまっちゃうタイプかもしれませんね」

 先生は少しうっとりとした口調で言う。

 彼女の想い人は少々ダメ男なのかもしれない。

 この人が惚れるような男……。

 それがいったいどんな人なのか……私はなんとなく興味が沸いた。

 反作用的に、彼女はほんとうにダメな男にひっかかりそうだと思う。

 その時は、なんとかまともな男とくっつけるようにするのが、おっさんの責務なのだ。

 少々おせっかいでも。

 それが、この恩を返す機会なんじゃないかと私は思った。

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