第20話「プールと水着とおっさん」
金沢の海岸沿いにある娯楽用プール。
これだけ海水浴場がある地域なのに大きなプールがある。
わざわざプールなんぞに行く必要性がまったく感じられない。
それでもこの日は大勢のお客さんで賑っていた。
天気も良く日差しが少々きつい。
家族会。
この前飲みにいった時、エニシから大量のタダ券をもらっていた。
なぜ持っているのかというのは聞いていないが、とにかく、使い切れないのであげると言われた。
さっそく次の日にこれをどうしようかと将校室で話し合って、伊原の発意で中隊将校の家族会をしようということになった。
一般企業から見れば、奇異な世界かもしれないが、家族ぐるみで……というのが軍隊の習わしだ。
それが良いか悪いかといえば、良いところもあり悪いところもあるとしか答えきれないが。
伊原が中隊長に話すとそれはいいと乗ってきた。
そういうわけで満場一致の家族会。
ついでに券をくれたエニシとか、ゲストで笠原先生を呼んだらどうだろうと中隊長が言ったので、声もかけたところ、ふたりとも来ることになっていた。
プールサイドを歩きながら、それにしても賑やかだと思った。
独身の伊原や頭山、笠原先生、それにエニシは単独で来ているが、中隊長や他の二人の小隊長は家族で来ていた。
ちょうど小学生ぐらいの子供たちが合計して五人。
子供がいるだけで賑やかになる。
溢れ出す子供のエネルギーは半端なく。さっきから、頭山や伊原がお兄ちゃんお姉ちゃんになって子供の相手をしている。
むしろ、引っ張りまわされていると言ってもいい。
逆に、いつもこの子たちを面倒みている小隊長の奥さんたちは、少しゆったりして安堵できているようだ。
私も家族同伴。
つまり、娘の三和が来ている。
娘も伊原とかに混じって、子供たちの相手をして、プールの中で水を掛け合っている。
まあ、来るまでにひと悶着あったのだが連れてきて良かったと思う。
水着を買ってくれ、と言う娘に付き合って水着売り場に行った。
父娘で買い物。
楽しくできると思っていたが大間違いだった。
苦痛以外何者でもない。
考えて欲しい、あのヒラヒラしたものや、際どいものまでが吊るされている売り場で、それを選ぶ娘を待つ父親の姿を。
まず目のやり場に困る。
それに周りの目も痛い。
おっさんはあの場では浮くのだ。
そんな中、ビキニタイプの水着を娘が見せてきたときは「まだ早い、やめなさい」と真面目に答え、娘にいじわるく笑われた。
それ以外は淡々と物色していた娘はセパレートタイプのシンプルな水着を選んで今に至る。
伊原は競泳用の水着でも着てくるんじゃないかと思っていたが意外と可愛らしい、タンキニタイプでパレオも巻いているやつ――こういう言葉はエニシがさっき教えてくれた――を着ている。
ちなみにエニシはシンプルなオレンジチェックのワンピース。
まあ、華やかなものだ。
最初、笠原先生や伊原に可愛い可愛いと連呼されて娘は赤くなっていたが、そのうち普通に話しをしていた。
学校のこととか……私の文句とか。
そのうち、子供パワーが炸裂してきて、若いものはみんなそっちに引っ張られていったが。
そうして今はひとりになっていた。
私がプールサイドに椅子を置いて、炭酸飲料を飲んでいる。
水には入らない。
どうしてもTシャツを脱ぎたくないからだ。
あの戦争で負ってしまった肩の銃創は生々しく、人様に見せるようなものではない。
そうしているうちに笠原先生が横に来た。
彼女は小さい花の絵柄が散りばめられた薄い配色のビキニに近いセパレートの水着を来ていた。
座る私に屈んでから話しかけくるのだが、胸の谷間が強調されるものらしく、どうも目のやり場に困る。
普段は、大人しめの服を着ている先生だが今日は何故か大胆だった。
女性というのは水着になるとどうしてこうも大胆になるものなのだろうか。
その違いについて私は理解できなかった。
「三和ちゃんって想像以上に可愛いですね」
「そりゃ、先生は私しか知らないんですから、この顔があんな娘を持っているなんて連想できないでしょう」
私は笑う。
「前の奥さん似なんですか?」
少し考える。
即答できない。
似ているといえば似ているが、もちろんそっくりではない。
唇、耳……それは違う。
目……たしかに似ている。
体系は娘がヒョロっとしているのに対し、絵里はセクシーすぎるぐらいだった。
「まあ、あの唇と耳は私に似ているが、他は母親似なんですかね」
奥さんはお綺麗だったんでしょうね、と先生は呟いて立ち上がった。
「私にはもったいないぐらいでした」
太陽光に先生の茶髪に伝わる水のしずくが少し反射した。
「あ、でも先生の方がずっと美人ですよ」
いつものように軽く言う。
「セクハラです」
先生の常套句。
「褒めてるんですよ」
「伊原さんも、すごく女性っぽくなってきたし、あのエニシさんもすごく美人だし……」
ため息をつく。
「野中さんは冴えないおっさん」
普通は傷づくようなことを平気で言う。
「どうして、そんな女性が取り巻いているんですかね」
「そりゃ、仕事でいっしょなだけで」
「……はあ、もう……わかって……」
ぼそぼそと聞き取れないぐらいの小声で何かいったと思ったら「泳ぎましょうか」と私の手を引っ張っていった。
プールサイドで引っ張られる途中、込み合った中でビキニの女性とぶつかった。
私はやわらかい感触があったので、飛びのくように離れ、あわてて「すみません」と侘びを入れる。
「あ、指導官」
薄緑色の縞々の柄のビキニ、笠原先生以上に目のやり場にこまる大きな胸。
いつもの制服姿からは程遠い姿の長崎ユキだった。
「セクハラです」
笠原先生のそれとは大きく違い、軽蔑と嫌悪感が入り混じった声だった。
「まて、私が何をした」
「いやらしい目で、今見ました」
「あのなあ」
長崎は私を無視して、先生に「学校の二年、長崎ユキです」と自己紹介をする。
「今日は友達とプールに来たんですが、中隊の方がお揃いですね」
「家族会をやっている」
「そうなんですか」
興味もなさそうに長崎は答える。
社交辞令で聞いているだけです、そんなことはどうでもいいんですが……そんな感じで淡々としたしゃべり方をしていた。そして、長崎は先生の方を向く。
ちらっと先生の胸を見てニヤッと挑戦的に笑った……ような気がした。
長崎のそれに比べると笠原先生はやや控えめなのだが、そんなもので張り合うのだろうか。
いや、わからんが、とりあえず空気が悪くなった。
先生もムッとした顔をしたので、なにやら女の戦いが始まってしまったのかもしれない。
「笠原先生は普段地味な感じがするのに、水着はエロいんですね」
「な……」
先生はパクパクと口を開いたり閉じたりするが、声がでない。
いや、確かに。
私もそう思ったけど、ここでいうなよ。
ああ……。
なんとも緊張した空気が重い。
「副長ー、ばさっと泳ぎませんか? いやー子供が元気でちょっとのんびり水に浸かりたいんですよー」
元気な声いっしょに伊原の長身が現れる。
パレオから伸びた筋肉質の細長い足。
タンクトップのようなものを着ている上半身もすらっとしている。
「お、長崎じゃないか」
「こんにちは」
ペコリと長崎が頭を下げる。
「伊原少尉も来られていたんですね」
「今日は、中隊の家族会だからな」
「はあ」
私は友達と泳ぎに……などそういう会話があって「暑いから早く水に入りましょう」と私の手を引っ張る。
なんとなく、伊原と先生の間に何か目配せがあったような気がする。
ようわからんが。
「こんなに冴えないおじさんのどこがいいんですか?」
長崎は伊原に話かける、そして彼女の全身を見た後に少し笑った気がした。
「良いも悪いも、自分の上司だからな」
うん、上司とのスキンシップだ。
と伊原は言った。
「わかりません」
長崎は私をちらっと見て「だって、学生の水着姿をいやらしい目で見るような人ですよ」と言う。
そんなにおじさんをいじめないでくれ。
「あのなあ長崎、それは自意識過剰っていうやつだ、副長は大人だから、子供を見てもなーんとも思わない」
そうだそうだと私は首を縦に振る。
「そうですか、それは失礼しました」
彼女はそう言った後に、じっと年上の女性二人を見てため息をつく。
「では友達も待っているので行きます」
そう言うと踵を返した。
「あ、また月曜に別の案件で指導受けに行きますので、よろしくお願いいたします」
あれだけ私を馬鹿にするようなことを言ってて、ぬけぬけと仕事の予約までとるとは、たいした学生ではある。
「なーんか、刺々しい学生ですね」
先生が、遠ざかる長崎を見ながら言った。
「まあ、学校でもそういう感じだから、慣れてはいるんだが」
「まったく、優しいから学生になめられるんですよ、副長は」
伊原が呆れた声を出す。そして、私のTシャツの袖を引っ張る感覚があったので、そちらを見てみると、先生の手だった。
そして目が会う。
「で、どっちと泳ぎます?」
意地悪そうな顔で先生が言った。
そりゃみんなで……。
仲良く遊びましょうよ……と私は言おうとしたが、躊躇してしまった。
だって、なんか逃げたら殺す。
そんな脅しを受けているような気がしたから……。
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