第19話「友情とは」

 しばらくして気を取り直した私は伊原の方を向いた。

 ……おっさんをそうやっていじめて何が楽しいんだろうか。

 きっと頭山とタッグを組んで、今日はけっちょんけちょんに大先輩である私を貶めようと画策していたのかもしれない。

 我慢できずに攻撃するとは……どんだけいじめっこなんだ、伊原よ。

「まず、あの手紙って、あれ? なんだ?」

 とぼけてみる。

「副長がこそこそ読んでいる手紙です」

 少し落ち着いた声。

 なんだか急に元気がなくなった。

 やっぱり……この前、頭山が言ってたやつか。そうだ、伊原が落ちているのを拾って机にしまってくれた、そういう話。

「……あまり人の手紙を読むのはよくない」

「掃除の時に落ちていたのでつい、重要な書類と思って」

「いや、あの便箋はどうみても、重要な書類って感じじゃないだろう、なんか可愛らしい模様入っているし」

 まて、おっさん。

 すっごく乗せられた気がする。

「嘘です! あんなに可愛い便箋が落ちていたらふつう気になりますから! バツイチ子持ちの三十九歳の上司の机の下ですよ、怪しいし、犯罪の匂いもしますし、見るしかないですよ」

 伊原、とってもひどいこといってるぞ。こっの。

 なんだか雰囲気も職場と同じような感じに。

 重い雰囲気がぶっとんでうれしいような悲しいような。

「……犯罪って」

 悲しい部分、そこだけは声が漏れてしまった。

「で、エニシさんなんですか」

「それは違う」

「じゃあ、誰なんですか? あんなに嬉しそうに、そして情けないぐらいのニヤけ顔だったら、彼女さんとか……付き合っている方ですか?」

 引き続き容赦なく、失礼なことを言われた。

「違う違う」

「笠原先生」

「私の周りの女性を一人づつ言っていけばいいってものじゃーない」

 カウンセリングの先生、彼女のような才女が私になんかラブレターを出すわけがない。

「デートしてたのに」

 ――ほんとこの狭い町だったら誰かに見られてすぐにうわさになるんですよ。

 伊原がぼそりつぶやいたのが聞こえた。

「デートじゃない、お世話になっているから、ランチをおごっただけだ」

「それをデートっていうんです」

「あのな、そもそも笠原先生とは筆跡が違う」

「一応分析したんですね」

「……」

 墓穴とは。

 とりあえず言い訳を考えるために、私はグラスの中身を飲みほした。

「例のラブレター?」

 カウンター越しに首を突っ込むようにしてエニシの介入。

 ボソッと私の顔の近くでそんなことを言う。

 煽るなエニシ。

「エニシさんも知っているんですか?」

「ええ……もう、笑っちゃった」

 ケタケタと笑うエニシ。そして少しずれた赤い縁の眼鏡を人差し指で押し上げた。

 私は少々むすっとして口を尖らせた。

「あのな、書いた本人は、きっと一生懸命な思いを入れて書いたんだ、笑っちゃいかんと思う」

 とぼけても無駄なら、説教おじさん。

 エニシは私の言葉を無視して笑い続けている。「おかしい、このひとにラブレターなんて、もう、どうかしてる」なんてひどいことを言う。

 ……しかし、どうして私の周りの女性は、こうも口が悪いのだろうか。

 もう少し優しい世界に包まれたいと切に願う。

「私の予想じゃ、伊原さんが書いたものだと思ってたけど」

 伊原はタイミング悪くビールを飲んでいたため、ゲホゲホと咽てしまい涙目のまま顔を赤くした。

 エニシは意地悪そうな表情で私を見ながら笑った。

「おいおい、そんな冗談は失礼だよ、伊原だって年頃の女の子なんだから」

「伊原だっては余計です」

 彼女の特徴的なアヒル口が尖った。

 抗議するときはそんな感じになる伊原。

 なんで怒っているのかよくわからないが……別にいいじゃないか、年頃の女子と言っても。

 本当のことだし。

 エニシのチョップ。

 もちろん私の脳天に。

「これは女子を愚弄した報い」

 そんな意味不明な解説をいれるエニシ。続けて彼女は伊原に顔を向け口を開いた。

「気をつけてね、枯れた枯れたっていいながら、けっこうエロオヤジだからこのひと……あんまり飲み過ぎないように、危ないから」

「……あのね、そういうこと言わないの」

 と言って、私も笑ってしまった。

 ふと、隣の伊原に視線を向ける。

 彼女はビールのグラスを両手で抱え込むようにして、カウンター越しのエニシを見上げた。

「エニシさんみたいに綺麗になりたいです」

 私は笑って「歳とることだな」とエニシの代わりに即答した。

 彼女は例の微笑を作ったまま腰に手をやり、カウンター越しに顔を近づけ、上から見下ろす。

「ねえ、次はスピリタス? あなたウォッカ好きよね? グラスになみなみしてあげようか」

 いやいや、ウォッカは苦手、しかも九五度ぐらいあるあれを飲んだらしゃれにならない。

「それとも、やっすい焼酎で割った、オレナミンG? 脳に栄養足りてないみたいだし」

 たたみ掛けるエニシ。

 大きな声ではないが、淡々としゃべるため、よくわからない迫力があった。

「ごめんなさい」

 私はカウンターに額を付けた。

「謝ってもだめ」

「すみませんっしたー!」

 私は頭を下げたまま、頭上に両手を合わせた。

「テカテカしてるおでこ……ねえ、そんな汚いものをテーブルに押し付けて……おじさん油がついちゃうからやめて」

 チラッと彼女の表情を伺いながらわたしは顔を上げる。

「今日は隣の中隊にいる先輩に少し手伝ってもらったんです」

「若いし、もとがいいんだから、そのくらいの薄い感じがいいと思う」

 グラスと氷が触れる音を聞いて、少し口につけるようにして飲む。

 女子同士、化粧の話で盛り上がるのを横目で見ていた。

 その話題を横で聞いた私が感想を言うとしたら、女性は面倒で大変ですね……ということぐらいかもしれない。

 まあ、なにせ化粧品の名前などは聞いても頭に入ってこないから。

「ところで、あの手紙を出したひと……本当に誰なのかわからないの?」

 改めて聞いてくるエニシ。

「わからない」

 本当にわからないためスパっと答えた。

 そんなスッキリ回答をしたというのに、エニシと伊原はふたりそろって訝しげな目を私に向けた。

「いや、本当だって、ただ一生懸命書かれているし、たぶん、三十前後の人だと思うんだが」

「やっぱりエニシさんじゃないですか?」

 ――だって、こんなに仲がいいのに。

 と言葉に続けて伊原がつぶやく。

「違う違う」

 私は大げさに否定した。

 エニシは笑顔でうなずき「友達よ」と言った。

「そう、少年漫画とかに出てくるような友達」

 言い得て妙だ。

 ……私たちふたりを表すちょうどいい言葉。

 私のエニシの不思議な関係は、深い友情。

 少年漫画の主人公とその周りの男たちとの友情に近いものがあるんじゃないだろうか。

 戦友。

 何かを分かち合ったふたり。

 体は触れ合っている。

 もちろん心も触れ合っているつもりでもある。

 でも、それは世間一般の彼氏彼女とかそんなものではない。

 まして、夫婦とかそういうものでも。

 やっぱり、友達という言葉がしっくりくる。

 ……しっくりこなくてはならない。

 そう私は思うことにした。

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