第18話「エニシのお店」
「こんな可愛い子を連れてくるなんて、意外」
エニシはカウンター越しにそんなことを言った。
「え……その」
私の隣に座っている伊原は少し恥ずかしそうにうつむく。
いつもは笑いながら「あたりまえじゃないですか、美少女ですから」なんて反応をする彼女なのだが……私は彼女のそんな反応に正直驚いた。
スッと差し出される変わった象の絵のラベルのビール瓶。
ベルギーかどこかのものだったか……彼女は私があまり知らない珍しい銘柄のビールを注文していた。
私は彼女がグラスに瓶の中身を注ぐのを確認して、手に取った黒ビールのグラスに口をつける。
「このひとはいつも頭山くんとか男の子ばっかり連れてくるから」
エニシは少し口の端を曲げる。
女子を連れてくるなんて生意気。
彼女の表情はそう言っている。
まったく……勘ぐられても困る。
頭山含めて三人で来る予定だった。それでやつが「遅れるから先に行ってください」なんて言うから今はとりあえずふたりで飲んでいる。
「あ……そ、その頭山とは同期で……私は彼と同じ中隊の小隊長をやっています」
どうした伊原、なんでか細い声を出す。
「伊原さんね……このひとから聞いているわ」
エニシは私には見せたことのない、綺麗な笑顔を伊原に向け言葉を続ける。
「それにしても女性の将校さんなんて……やっぱり、かっこいい、んー、それにかわいい」
かっこいい。
かわいい。
そう言ったエニシ自身もお世辞ではなく十分綺麗だろう。しかも妖艶とまでいかないが、魅力的な雰囲気がある。
そんな女性に「かわいい」と言われれば照れるのもわかる。
現に伊原は顔を少し赤くしてもじもじしていた。
まったく、わかりやすい若人め。
おっさんは歳食った分、若い女子の気持ちが手に取るようにわかるのだ。
いや、照れるというよりも、エニシの笑顔にのまれているのかもしれない。
「あ、ありがとうございます、え……と」
「あ、うん……私はエニシ、その名前で呼んでもらうとうれしいわ」
彼女はニッコリ笑顔を崩さないままカウンターの奥へ行った。
伊原がさっきの残りをグラスに注ぐ。いつのまにか一杯目は飲み干していただようだ。
彼女が注いだグラスの中は、赤みがかった液体から泡が大量にでて、こぼれる寸前まで膨れていた。
彼女はじっとそのグラスを見つめ、こぼれないことを確認して口を開く。
「副長は常連なんですね」
「ああ、昔なじみかな」
この店も、エニシも。
「そう……ですか……それにしてもあの人……エニシさん、すごくきれいなひとですね」
またボソボソとした声。
らしくない。
そう思う。
彼女は鬱陶しいくらい元気で、無駄に声がでかい。
だが、外ではこうなのだろうか?
必要以上にその声は小さく、いつもの自信満々な感じは影を潜めていた。
今日の飲み会。
頭山が気を使って私たちを誘ったものだった。
先日の学校祭の夜以降――やましいことはしていない――伊原と私の関係は、どこかギクシャクしていた。
もちろん私が意識するようなことはない。
寝返りの結果、いや寝相が悪いせいで、まったく意識することなく彼女の胸にちょっとだけ触れてしまったが、私は全然気にしていない。
訂正。
……ちょっとではない。
それに、気にしていないわけではない。
正直罪悪感を意識してしまった。それでも何か決定的に変わったわけではない。
彼女自身、寝ていたようなので知るはずもないし。
だが、なんとなく前みたいに彼女と馬鹿話はできなくなっていた。
それぐらいの気持ちだったが、頭山によれば伊原と私はだいぶよそよそしい感じになっているようだ。
それにしても気まずい。
いつもの元気な伊原ではない。
……はやく、
その同期であり、この宴会の言い出しっぺであるやつがまだこないため、私はなんとなく気まずくなっていた。
きっと、彼女の性格からいくと
自分でもいい歳して、胸に触れたぐらいで何をしているんだと思うが、どうも勝手が違う。
ふたり。
どうしてこうなったのか……もう一度振り返る。
……わからん。
まあ、ふたりきりで酒を飲んだことが悪かった……そうかもしれない。
いやいや、なんとも気まずい。
一月前だったら、馬鹿っ話なんかしながらふたりで歩いて、乾杯もできたのだが……。
雰囲気が変わった。
私ではなく伊原が。
上手く説明ができない。
なんというか、服が違う。
ショートパンツにTシャツというのはいつもどおり。
違うのはそれがいつものスポーツタイプではなく、どことなくひらひらしたものがついている。
あと髪型と化粧。
前より少し伸びたショートを整えているし、唇にはピンク色のツヤツヤしたもの……グロスとかいうやつ? を薄く塗っている。
世間一般の女性と同じようにしていた。そして、アクセサリーなんかもつけていたりする。
あの父親の事件以来、妙に女の子っぽくなっているのだ。そして、それも気楽に話すことができない一因でもある。
「今日はみんなで飲む予定だったのに、残念だったな」
私は当たり障りのない会話を始めた。
さあ、こい。
「はい」
「最後に飲んで騒いだのは学校祭の夜か」
「はい」
「今は七月だからもうひと月以上開いてるな」
「はい」
……会話が続かない。
おーい、伊原さん。
いっしょにいつものように会話をしよう。
私はそう思いながら、小皿に入っているナッツを口に入れてぼりぼり噛んだ。
そして沈黙。
しばらくお互いに自分の目の前にあるグラスを見つめている。
ふと横目に見ると、あっという間に伊原はグラスもビール瓶も空にしていた。
私が自分のグラスに手をつける。
やや強めに息を吸い込む音が聞こえた。
「あ……あの」
伊原が言葉を詰まらせる。
「ん?」
私は彼女の方に顔を向ける。
「あの夜は……酔っ払って変なことを言ってすみませんでした」
学園祭の夜のことだろうか。
父親に対するコンプレックスの告白があった夜。
「……まあ、そういう日もある」
自分で言ってて、とても軽薄な受け応えだと思った。
自己嫌悪したため、黒ビールをあおる。
もう少し、なんかうまいこと言えないのか、わたしは……。
「自分は……いや、ボクは変わったと……思いますか?」
その唐突な彼女の問いに対して、即答ができなかった。
どうして、彼女が変わらなくてはいけないのか?
何を変えたのか?
……それがいまいちわからなかったからだ。
例えば彼女の父親から押し付けれれていた弟の代わりとしての伊原なのか。
父親から愛され過ぎていた娘としての伊原なのか。
それから必死に逃げるためにできた、男っぽい伊原のことなのか。
結局、何から変わろうとしていたのか、それはわからないが、一つだけ思い当たることがあるので、正直に私は答えた。
「そうだな……前より綺麗に、というより可愛くなった」
父親が娘に言いたい言葉である。
三和に言ったら「きも」のひとことで終わりそうなので、こわくて言えない言葉。
年の離れた後輩には思ったことをとりあえず言ってみた。
すると伊原はなぜか、空になったグラスに口を付け、垂直になるまでグラスを立てて少し残った液体を口の中に強制的に垂らす。
しばらく、その格好のまま固まる伊原。
「……お、おい、大丈夫か?」
なんだか心配になったので、私はそんなことを言ってしまった。
「新しいの頼もうか?」
続けてそんなことを聞くと彼女は「そんなんじゃありません」と言いながら顔を振る。
顔が赤い。
まあ、一気に飲むからそうなる。
そんなやり取りをしているとエニシはカウンターに戻ってきて、伊原の目の前に炭酸水のチェイサーを置いた。
「あら、部下を口説くのはあまりよろしくないんじゃない?」
笑いながら、エニシが口を挟む。そして「同じビールでいいの?」と聞いて伊原がコクンとうなずいた。
「口説くなんて、人聞きが悪い……まるで私がエロオヤジみたいじゃないか」
「ふ、副長はそういう意味で言ったわけじゃないと思います」
さっきまでのボソボソ声は吹き飛び、いつのも声でかぶせる伊原。
なんで興奮しているのかよくわからないが顔が赤い。
「ふーん」
エニシは美しい顔に笑みを浮かべたまま、また奥のほうに行った。
「あ、あの」
「ん?」
だいぶ会話が弾みだしたか。
「あの手紙の相手はエニシさんですか?」
ぶほっ。
奇襲かよ。
私飲んでいたビールが鼻から逆流し、激しく咽る。
涙目のまま「失礼」と言おうとしたが、せき込んで何も言えない。
むしろ言葉の代わりに鼻からビールが出てくる始末……もちろん、そんな醜態をみせないように、慌てておしぼりで鼻を抑えたが、ああ、たぶん見られている。
それにしてもあの手紙。
……まったく、あの手紙と言えばあの手紙だ。
私はため息をつくこともできず、しばらく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます