第17話「長崎ユキは真面目である」

 扉の向こうから「入ります」と落ち着いた感じの女子の声がした。

 私はとっさに身構える。

 声を聞いて少しがっくりした。

 苦手なのだ。

 この女子学生は。

「入れ」

 頭山が入室を許可するため、扉越しに聞こえる様、するどい声で答えた。

 さっきまでの怒気が少し残ってしまっているのは、まあ若いからしょうがない。

 そうしているうちに将校室のボロい扉が開いて、女子学生がひとり入室してきた。

「失礼します、第一中隊二年の長崎は第二中隊副中隊長に学生会副会長として指導受けに来ました」

 一応軍隊らしく、おじぎの敬礼をして私の机の前に来る。

 面倒な仕事。

 それがこれ、学生会の指導官というお仕事。

 自主自律を掲げるこの学校で、行事を仕切ったり、服務規則なんかを徹底したりする組織……外の学校でいう生徒会とまあ同じものと言っていいだろう。

 生徒会との大きな違いは会長や副会長は成績順や人物評価で指導部が一方的に任命するということ。

 世間一般様の学校はほとんど選挙だと思う。

 いわゆる封権的な組織。

 あくまで、学校職員の手の届かない仕事を学生会に押し付ける……そう言ってもいい。

 つまり、面倒くさいが私自身何かをやっているわけではない。

 押し付けるという簡単なお仕事。

 でも実際、頻繁に学生を相手にしなくてはならないので……まあ面倒くさい。

 私にしてみればどうでもいいことが多い。

 例えば先日あった学校祭をこうやりたいとか……あと規則の変更とまではいかないが、細かい躾事項の修正を要望してきたり、それをいちいち指導しなければならない。

 ――そんなことはだめだ。

 と言ってしまえば簡単だが、なんせ昨今の若者は口が達者で丸め込まれることが多い。

 ……まあ、大きく影響なければだいたい「わかった」で済ましているが。

 ま、そう考えれば面倒なことはないんだが……。

 問題はこの子。

 この目の前に現れた副会長がアレなんだ。

 この学校の全てを決めるのは指揮官で学校長たる大隊長だ。

 軍隊というのは、権限のある人間までしっかり指導を受けてから動かないと、まあいろいろと問題になる。

 だから、私が躾事項の変更に対して「いいよ」と言っても、それで決まりではない。

 私なんかは学校長にたどり着くまでの、通過点にすぎない。

 つまり、私にとっても学生にとっても幸せになる行動はひとつ。

 通過点は通過点らしく、如何に邪魔することなく印鑑を押すことである。

 だから、去年までは学生会のメンバーが書類をもってくればさらさらっと見て、ポチッと印鑑を押していた。

 しかし、この副学生長の長崎ユキは違う。

 成績優秀、一年の下半期には学生会に入っているような筋金入りの学生。

 ついでに真面目で困った性格。

 ……煩わしい子なのだ。

「ちゃんと見て、しっかり指導をしてください」

 と、よく苦情を言う。

 私はさっきまでワーワー言っていた原因である手紙を机の中にしまうタイミングを逸してしまったので、近くにある適当な書類をかぶせて隠した。

 学生に見られたら、いろいろと面倒だ。

 長崎はチラッと私の手元を見たが、まったく気にするような様子もなく話を始めた。

「先日の学生祭のご指導ありがとうございました」

「特に何もしていないが」

「お陰様を持ちまして、ほとんどの学生は楽しく祭を過ごせました」

「何か、問題は?」

 私の言葉に反応することなく。

「指導官に話すような内容ではありませんが暴漢対策が必要だと思います」

「暴漢?」

 きっと攘夷派とかぬかす、対外同盟破棄派の暴漢達がうちの留学生に手を出そうとしたことがあったので言っているのだろう。

 あれは、第一中隊長と民間人教師の小山先生が対応したから大事にはならなかったようだが。

「たぶん、指導官がやる気を出して、学生の面倒を見ていたとしても、何も状況は変わらないと思いますので、これは中隊長に話をしています」

 相変わらず、ずけずけと言う。

「他には?」

「学生の清掃当番のローテーションの変更案です」

 私はチラッと書類を見て、ぽちっと印鑑を押す。

「ちゃんと読んでください」

 冷たい声の長崎。

 クイッと黒縁眼鏡を人差し指で上げると、座っている私の目線の高さになる胸が揺れた。

 学生のくせに揺れるほど胸がある。

「学生間の不公平とか小さいことはよーわからんから、まかせたよ」

「……」

 書類を受け取り、彼女は不満そうな顔をしている。

「あー、そうそう、今月一年生の遠泳あるだろ、毎年やっている激励……それさ、今年からは学生会主体でやってもらおうと思っているんだが、どう?」

「どうって」

「悪い、もう時間がないのもわかっている……職員でやってたんだけど、なかなかいいのが浮かばなくて、ぎりぎりだけど君たちにふっちゃおうかなって」

「あの、ひとつ……いいですか」

 彼女は少し怒りを含んだ瞳で私を見下ろす。

 さっき頭山にされたが、どうしてうちの若い者は私にそんな視線ばかり……。

「それ、無茶振りって言いませんか?」

「ああそうだ」

「……」

「まあ悪い、なんかごめん、これ私の仕事なんだけど、なんか面白いことも浮かばなくて……ほら、どうせやるなら、君たち優秀な学生会がやったほうが面白いと思わないか?」

「もう少し早くふっていただかないと」

 あ、断られるかな、と私は思う。

 ピクピクと口の端が痙攣するぐらいイラついているのがわかった。

「ごめん、頼む」

 私は両手を合わせて拝んだ。

 神様仏様副学生長様である。

「……わかりました」

「え、いいの? お……あ、ありがとう」

 私は調子に乗って立ち上がると、椅子の後ろに棚から書類をゴソゴソと探し出した。

 ついで、ついで。

「あ、と、これとこれも、集めておいてくれ」

 A4の封筒に入った分厚い書類を二部渡す。

 学生に対するなんとかアンケートというやつ。

 彼女は案の定、封筒の外にある提出期限日を見て訝しげな視線を向けてくる。

 痛い。

 めっちゃ刺さってる。

「……期限、今週中って」

「ごめん、忘れていた」

「……」

 書類を持つ手が震えている。

「あの、もう一ついいですか」

「うん」

「私が今日来なければどうしていたんですか?」

「ここに通りかかった学生に、渡しといてってお願いするかな」

「……」

 彼女は口がわなわな動いている。

 ……あ、今日はここまでかな。

 この子は本当に短気。

 とりあえず、その限界点まで仕事を持って帰らせるようにしている。

 もう少し気が長ければ、ここまで気も使わないんだけど。

「このっ! ダメ指導官っ!」

 それは重々重々、合点承知の助である。

「おうよ」

「ダメ人間!」

 怒鳴る長崎は黒ぶち眼鏡をクイッと持ち上げる。

 真面目な顔してまあ怒ると怖い。

 そしてクルリと回ると、制服の上からもしっかりわかるくらいの大きい胸が揺れた。

 さすがに、そこを見ると犯罪――気持ち的に――になるので、目を逸らす。

「副学生長長崎ユキは、学生会指導官に要件終わり、帰りますっ!」

 ちゃんと決められた退席の要領をこなし、彼女はズカズカと音を立てて出て行った。

 やれやれ、真面目な学生を相手するのは面倒くさい。

 もう少し気楽にやればいいのに。

 ふと私は頭山を見る。

 ……うわ、こわっ。

「本当にダメな人ですね、副長」

 蔑みを通り越して呆れた眼差しを私に向ける彼。

 だから、先輩にそういう顔向けたらだめだって。

 ……そう思ったが私は言葉にはださない。

 言えば言うだけ反撃されるのは目に見えていた。 

 まあ、彼も学生の前で言わないだけ、色々と遠慮してくれていると思う。

 一応そういう気遣いができる男なのだ、頭山は。

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