第16話「隠れラブレター」

「副長、言いたくはないんですが我慢の限界です、失礼だと思いますが言ってもいいですか?」

 頭山は世間一般、子供から大人まで、まして大先輩に対してはありえない、そんな生意気を全部詰め込んだ態度で私に問いかけてきた。

 問いかけるというより、問いただすと言ったほうが正確なのだろう。

「……今日はなんなんだ?」

 面倒臭そうに私は答える。

 彼の我慢の限界はいつものことだ。

 週イチでそれが訪れるのも日常。

 まったく、堪忍袋がどんだけ小さいんだ、こいつは。

 だから、若いくせにおでこが広めなんだよ。

 そんな気持ちは一切こめることなく私は彼を見上げた。

 ばれてしまうと反撃が怖い。

「これは軍人としてではなく、人としての意見です」

 彼は人の目をしっかり見て話す。

 めんどくさい人間の類である。

 私はバツが悪くなったので、視線を斜め下方向へずらす。

「お願いですから、手紙を見てニヤニヤするのはやめてください」

 ……頭山よ、お前もか。

 なぜ、家庭で娘に言われたことを、こんなところで……職場でも言われなくちゃいけないんだ。

 ……まったく。

 ここは副長として、陸軍士官学校リクシの大先輩として、この若いぺーぺー少尉にガツンといってやろう。

 そんなくだらんことで、いちいち文句は言われたくない。

 威厳だ、威厳。

 先輩パワーだ。

「な、なんのことかなあ?」

 私はけっきょく視線を合わせることもできず、なんとか話をはぐらかそうとした。

 だって、決意を込めて頭山の顔を見たら怖かったんだもん。

 十中八九逃げるに如かず。

 いや、だって、頭山がすごくイライラした顔をしているもんだから。

 こういうときは、ヒステリックなんだ、こいつ。

 ああ、メンドクサイ。

 そう、私は逃げてない。

 余計なトラブルを避けるのが大人の務め。

 うん。

「机の中の便箋です」

 ビシッと私の机の棚を指さす頭山。

 いや、さすがキレがいい。

 陸士リクシでは儀丈隊クラブだったっけ、こいつ。

「び、便箋ってなんだろう」

「午前中に一回、お昼休みに一回、午後に一回、毎日見ているやつです」

 ……う……なんでそんなことを。

 バレない様にうまくやっているのに……。

 ちくせう、さてはこいつ、俺のストーカーか?

 私は両腕を米国人のように大げさに開いて首を傾ける。

 そうやってとぼけてみた。

「お前な、仕事の書類、メモ書き、普通に見てるだけだって」

 あ、めっちゃイラッてしてる。

 すぐ顔にでるのが減点……まだまだ大人になれない頭山くんめ。

「ふーん」

 まったく信用していないと言わんばかりのふーん。そう言いながら、彼は私を見下ろす。

 蔑んでいるよこいつ。

「机の引き出しを少しだけ開けて、そこにあるのをじっと見てはニヤニヤして、それでキョロキョロした後にそれを閉じて、肘をついて窓の外を見てはニヤニヤして、また、数秒間机を開いてニヤニヤする」

 おいおい、そんなことしていない。

 そりゃ、手紙が来た日は、ばれないように机の引き出しの中に広げて、仕事の合間に読んでいたが、そんな言うほどそわそわニヤニヤはしていない。

 もう三十九歳のおっさんなんだ。

 どっしりやっている。

 若いのとは年輪が違うのだ。

 私は悠々と構え、この若造の色眼鏡をどうやって矯正してやろうか考える。

「ラブレター、そんなにうれしいものなんですか?」

 ため息をつきながら言ってくる。

 くっそ、先手うつなよ。

 ……いや、そんなんで動揺はしない、私は大人である。

「ラ、ラブレター? 違う、断じて違う」

 はあ。

 彼はぼそっと、何でこんな人に俺たちは……と呟いた。

「将校室の掃除をしているときに、机の下に落ちている手紙を見たんです、伊原が」

 もったいぶって倒置法。

 伊原という名前が出て、私は血の気が引いた。

 ……なんか、嫌な予感しかしない。

「ちょ、ちょっと待て、そんな手紙が下に落ちていたなんて、ちゃんと机の中にあったぞ……いや、わかった、そうやってカマかけてきたな」

 いかん、自分でも何をいっているかわからなくなってきた。

 もうすでに、やっちゃったような……事実を認めたような気がする。

 いやまて……そんな、まさか。

「引き出しの中、しっかり片付けた方がいいですよ……たぶん、閉めるときに、その机の裏から押し出されて落ちたんでしょう」

「で、でも手紙が落ちているところを見ていない」

「だから、伊原が見て、ちゃんとその机の引き出しに戻してあげたんですよ」

 ……掃除機をかける伊原が私の机の下にハラリと落ちている手紙を拾って訝しげな、たぶん少し軽蔑した眼差しで中身を確認して、それから机にしまってくれた風景が思い浮かぶ。

 なんだか変な汗が出てきた。

 七月の暑さだけではない。

 副中隊長である私が、女性からもらった手紙をこそこそ読んでいることを……部下の、小隊長二人は知っている。

 わかった、ここまではわかった。

 そうなるとだな、私がニヤニヤしているというのは置いといて……コソコソ手紙を読んでいるということがばれているということだ。

 つまり、あれだな。

 きっと、こいつら私を軽蔑している。

「ちょっと待て、わかった……これはラブレターだ、私に想いがある女性からの手紙だ……丁重に読まないといけない、ここまでは認める……いいか、ただ、私が知りたいのことがある、なんで伊原が拾ったのに、頭山が知っているんだ?」

「だ、か、ら」

 そんなに言葉に怒りを入れて言わなくてもいいだろう。

「伊原と俺は同期で親友です」

 そんなことはわかっている。

 きっと私は腑に落ちない顔をしているんだろう、彼はあきれた顔で言ってきた。

「彼女からは相談を受けました」

「ラブレター?」

「そう、ラブレター」

「ニヤニヤしている原因見つけた、こんな上司気持ち悪い、クビにしてくれ、いや転属か……転属願いか? そういうこと?」

 どうせ、そんなことだろう。

 若い奴らは私の加齢臭を消すのに、芳香剤なんか置いたらどうだとかも相談しているのを知っている。

 どうせ、お前らもあと十年たてばなあ……伊原は……ないけど。

 もう少しさ、もう少し上司をいたわってくれないものか。

「そのラブレターの相手とは付き合っているんですか?」

 少し怒ったように頭山は聞いてきた。

「付き合うはずがない、相手がだれだかもわからないのに」

 彼は深く肺の中のものを全部吐き出すようにため息をついて、オデコの生え際を掻いた。

 私はその仕草と態度を不思議そうに見つめた。

 さっきから、なぜそんなことを聞くのかがさっぱりわからないのだ。

「なんで聞いたのか? という感じですね」

 今度は小さくため息をつく。

 あのね、上司かつ大先輩に対してそういう態度をとるもんじゃないよ……だいたいため息をつくたびに幸せも逃げていっているよ。

 親不孝だよ。

 もう……と、言おうとしたが頭山が言葉を続けたため、私は口を開けなかった。

「伊原がこの部屋を出て行ってから、話しをはじめたんです」

 ……。

「まさか」

「そのまさかです」

 ……。

 私は一息おく。

 そうか。

 ああ、すまない。

 私は異性専門なのだ。

「気持ちはうれしいが」

 こういうときなんと言えばいいのか。

「私は、どうしても同性を好」

「違っ! 馬鹿!」

 あまりに大きな声だった。

 私は情けないがビクッとしてその迫力でのけぞった。

「馬鹿だ、あんたは馬鹿だ、絶対馬鹿」

 絶対馬鹿って……おい。

 先輩にそんな口を聞くとは……どうであれ、ここは毅然とした態度で臨まないといけないだろう。

 好意に対して、しっかりと受け止め、断るのが大人の務め。

 いいんだ、それぐらいの器はある。

「ま、まて……勇気をもって愛の告白をしたことに応えられないことは申し訳なく思うが、大先輩で上司であり、かつ君たちが尊敬しても尊敬し尽くせない私に、馬鹿はないだろう、しかも二回」

 二回を強調するために人差し指と中指を立てる。

 なんで怒られながら私はピースしているんだろう。

 だんだん泣きたくなってきた。

「いいですか! 野中大尉のような人はまったく眼中にありません! 俺は同年代が好きです、おっさんは趣味ではありません、臭いのはだめです、特に加齢臭とか無理です」

 いくら私が同性愛者ではなくとも、部下に趣味じゃないと力強く否定されるのは寂しい。

 なんか傷ついた。そしてごめん。

 冷房効いていても定期的に部屋をちゃんと換気するね。

 ……ちょっと加齢臭に気をつけよう。

 耳の裏はしっかり洗おう。

 うん。

 それにしてもなんだか、よくわからない。

 なあ、なんで怒ってるんだ、何が言いたいんだ、頭山よ。

 怒る彼と、考えても考えても何を言いたいのかさっぱりわからん私が沈黙していると、コンコンと将校室の扉がノックされた。

 ちょうどいいタイミングで学生が入ってきてくれたようだ。

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