第3章「お父さん、活躍す」

第15話「お父さんは正座する」

 三和の母親は、私が精神疾患で入院しているときにも手紙を送ってきてくれた。

 私が自分のあんな姿を見せたくない一心で、面会を拒否していたにも関わらず。

 見捨てることがなかった。

 そのことを思い出すたびに、彼女……絵里エリに対して謝罪の言葉が浮かぶ。そして、胃の中のものをすべて吐き出したくなるような罪悪感に襲われた。

 手紙。

 ――がんばらないで。

 わかっている。

 ――三和と待っているから。

 すまない……今は。

 ――あなたの苦しみを理解できなくてごめんなさい。

 謝らないでくれ。

 ――三和が寂しがってるんだよ。

 私が悪いんだ。

 ――お父さんに会いたいって。

 わかっている。

 でも……。

 ――私もあなたに会いたい。

 わかっている……。

 わかっているんだ……。

 当時の私は手紙を開いた後、ろくに読むことなく、すぐに机の引き出しに投げ込んだ。

 辛いのだ。

 見るに耐えない。

 情けない自分に向けて、優しい言葉が並べられいた。

 彼女の気持ちがちりばめられた、そんな言葉。

 そういうものが、たくさん、消化できないぐらいにあることがわかっていた。

 だから、苦痛だった。

 ただ、私が暴力を振るってしまった絵里に……あれだけ、ひどいことをしてしまったのに、それを許してくれていることに……耐えれなかったのだ。

 だから、目に入ってしまったあの言葉を反芻し、当時二十六歳の私は病室のベットの中で声を殺して泣いていた。

 ――愛してます。

 絵里の文字。

 手紙の最後に書かれているあの文字。

 絵里の肉声が聞こえる文字

 私は十年以上経った今でも思い出す。

 あれ以来、布団を頭から被るとあの文字が浮かび、そして絵里の声が聞こえる。


□■■□


 コツコツコツ。

 ソファーに座っている三和は、世間一般では親に決して向けることがないような視線――蔑みのまなざし――で私を見下ろしている。

 コツコツコツ。

 娘はテーブルをヒステリックに叩く、そして、その都度、左右に結んである髪の毛が揺れた。

 気まずい沈黙。

 気まずい空気。

 艶やかな木目の出ているテーブルの上には、端が切り取られた封筒と、数枚の便箋が置かれていた。

 そこに正対するようにして正座をする私。

 足がしびれてきたので、少しモゾモゾと動かす。

「で、説明」

 相変わらず、ぶっきらぼうに、主語や何語やらを抜かした言葉で娘は父親に問いかける。

 もちろん、毅然と答えるのが父親の務めであり、威厳である。

「あ、いや、ラ、ラブレターのような、た、たぶん冷やかしなんだけど……うん……お父さんもよくわからないなあ」

 コツコツコツ。

「いや、ね、そりゃ恋文だよ、捨てれないよ、申し訳ないよ、机の中に入れるよ……も、もちろんもらってうれしいとか、それに惹かれるとか、そういうのないから、うん」

 コツコツコツ。

「あー、いや、そりゃうれしいよ、なんだか若返ったみたいだし、いやだからといって隠していたとか、そういうことじゃなくてだな、書いた人も一生懸命な気持ちなんだから、無下に……」

「無下に?」

「捨てれないよね、三和だって、一生懸命書いた手紙を、クシャクシャぽいってしたら嫌だよね」

「私のメールはポイしたのに?」

 ……こいつ、まだ根にもっている。

 三ヶ月前、ちょうどこの娘がうちに来る前に私宛にメールを送ってきたのだが、それをスパムと思いポイしてしまった……そのことをまだ覚えている。

「あれは事故だ」

「ふーん」

 娘はコツコツテーブルを叩いてた指を止め、数枚おかれている便箋のうち、一枚を手に取る。

「昨日は野中大尉が、入り口のツバメの巣のために『頭上注意』(ツバメのヒナの絵が可愛かったです)という張り紙や、落ちているウンチを掃除していた姿を見て、とてもかわいらしく思いました。そのヒナに『よく食べて大きくなれよー』と声をかけていたのもほほえましく拝見しました。きっと、暇なんだと思いますが、そういう姿がとても好きです」

 げっそりした顔で抑揚をつけずに手紙を読む娘。

 括弧をカッコなになに、カッコ閉じと読むため、ますます機械的に感じる。

 そして、ぼそっと「気持ち悪」とつぶやいた。

「三和、一生懸命に書いた人の気持ちを、気持ち悪いなんていっちゃいかんよ」

 娘は例の顔のまま

「野中さんが、ツバメの世話をしているってとこが」

「そこかよ」

「もう、げっそり」

「……」

「おちゃめな野中大尉が好きです」

「……」

「いつも優しくてドジな感じの野中大尉が好きです」

「……ごめん、そろそろ許してよ、三和」

さちが薄そうな野中大尉が好きです」

「……それは書かれていない」

 しっかり読んでいるんだ。

 と、娘がつぶやく。

 そりゃ、なあ手紙は読まないと。

「で、誰?」

 娘は便箋をハラリとテーブルに投げてから、私の目を、じーっとみつめる。そして、ショートパンツから伸びた白くて細い足を組んだ。

「わからん」

 娘はソファーに足を組んだまま深く座り、水色と白の縞々Tシャツの前で腕を組む。

「あの大きな女の人」

「ない」

 伊原のような若い女の子――とても男らしいのも含め、私にラブレターなど書くはずがない。

「カウンセリングの美人な先生」

「ない」

 黒縁眼鏡の知的な顔をした笠原先生が浮かぶ。

 三十一歳で浮いた話も聞こえないというのも勘案すると、あれだ、きっと選り好みのレベルが高いせいだろう。

 ゆえに、その底辺にいるようなバツイチおっさんなんぞ眼中に入ることもない。

「初日に会った女の人」

「ない」

 エニシはこんなことはしない。タイプではない、それだけは間違いない。

「お祭りの時に見かけた、じーっと野中さんを見ていたおっぱいが大きな二年生」

「誰それ?」

 おっぱいが大きい女子。

 そりゃ、シャバで言う高校二年生の女子なら、胸が大きい子もいるだろう。しかし、私の中隊には、そういう子はいない。

「あの、後輩君」

「ない」

 私の即答に、なぜか残念そうな顔をする娘。

 そりゃ、頭山はゲイかもしれないが、著しく趣味から離れていると、本人からも聞いている。

「あのな、頭山は男」

「知ってる」

 娘の瞳の奥に怪しく光る何かを見てしまったため、私は目を背けてしまう。

 コツコツコツ。

 テーブルを叩く音が復活した。

「自作自演?」

「をい……」

「自分で書いて、自分で読んで喜ぶ三十九歳、超絶美少女の娘と同居中」

 相変わらず抑揚の無い声のまま、まるでアニメの予告の様にしゃべる娘。

「なんかヘンタイっぽいぞ」

「そう、ヘンタイ」

 親にそんなことをいう娘がどこにいる。

「三十九歳にもなって、ラブレターを娘に隠してこそこそ溜めて、にやにやしながら読み返す父親はヘンタイ」

 コツコツコツ。

 何故か私は床に正座、娘は深々とソファーに座っている。

「さては、妬いているな」

 ぶっ。

 娘は一瞬噴出して、すぐに口を押さえる。

 一瞬だけだったが、いつもの冷静ぶった顔が崩れ、変な顔になっていた。

 私は心の奥で意地悪く笑った。

 小生意気な娘から一本とった気分になれたからだ。

 ……どーだ、お父さんだって本気を出せば威厳ある行動ができるんだ。

「妬いてなんかいない」

 冷たい声。

「じゃ、なんでそんなにつっかかるんだ」

「同居人として、ヘンタイな行為は許せないから」

 さっきの私の反撃の喜びは一瞬で消え去る。

 それぐらい冷たい顔で見下していた。

「なんで手紙を読んだらヘンタイなんだ」

 私は少し困った顔をして娘を見上げた。

「ニヤニヤするから」

 ……ニヤニヤしながら読むわけがないだろう。

 大人だぞ、成熟した大人なんだよ私は。

 ラブレターの一枚や二枚でホイホイ喜ぶわけがないだろう。

「ヘンタイの野中さんが、この手紙を読みながらニヤニヤしているところを見る度に蹴りたくなる、生活の妨げ……はっきりいって気持ち悪い」

 あ、見られたんだ。

 そーですか。

 ばれましたか。

「いい歳して……気持ち悪い」

 娘は本当に気持ち悪そうに、かつ蔑むような眼差しをしたまま、吐き捨てるように言った。

 いいじゃないか、たまには「好き」とか言われてキャッキャされたいんだ。

 もう、ずっとそういう目にあってないんだから。

 ……ぐすん。

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