第12話「野中さん」
伊原の父親がセクハラで懲戒処分を受けてからひと月。
五月もいつものように過ぎ、六月も半ばに差し掛かっても何も変化はない。
そう……伊原が少しだけ身ぎれいになったというか、女性っぽくなったというか。
……まあ、この話をエニシにしてみたら皮肉な表情で「その伊原という子に失礼ね」と言われ、女性の気持ちがわかっていないとか、そういう説教を受けた。
――今まで女性ぽくなかったと言っているのといっしょよ。
そうも言われた。
確かに、それじゃあ失礼だったかもしれない。
――博三のことだから、口に出さなくてもそういうのって相手に伝わっているんじゃないかな、あーあ。
ととどめも刺された。
大丈夫、そこまで私も馬鹿じゃないから、伊原に失礼なことをしていない。
……いや、あの父親の件でなんとなく話し辛く、そして別の意味で気を使ったひと月を過ごしていた。
だが、あの件についていえば、帝国陸軍内……身内とはいえ、セクハラ少将の名前は伏せたままだし、こんな地方都市のしかも小さな部隊だ、ひとりの将軍がどうなろうと、あまり関係ないし、もちろん話題にもあがらない。
それでもなぜか、いつものように振舞う伊原を危うく感じていた。
そんなことで学校は新年度が始まって二ヵ月以上が過ぎ、学校祭というイベントの時期を迎えていた。
年に一度のお祭り。
学校……駐屯地が一般人に開放される一日。
軍人たちが出す屋台、学生達の文化祭のような出し物、そして装備品の展示などで賑わっていた。
このお祭りは昼と夜の部がある。
昼は今言ったような内容だが、暗くなってからは体育館でダンスパーティーをする学生と、その裏で焚き火をしながら酒盛りをする大人に別れる。
なかなか地域でも人気のイベントで、家族ずれ、それから周辺の高校生などが遊びに来ていた。
高校生は間違いがあってはいけないので「高校の制服」限定であるが。
そういことで私も娘に「せっかくだから遊びにおいで」と誘ってみたが、言うまでもなく断られた。
――お母さんの手伝いをするバイトがある。
とか言っていた。
せっかく家族割引券を使って、
家に来て三ヶ月が過ぎたが、まだまだ父親と娘という関係にはほど遠い。
そんな祭りの当日、私はぶらぶらとイベント会場を巡回していた。
一応、肩書だけだが「学生会指導官」という名目がある。
何かイベントがあればその計画書にぽちっとハンコを押すだけの役目だが、イベントがうまくいっているか確かめるため、一応まわっていた。
もちろん、何もやっていないが。
大通りにでると、いわゆるコスプレをしている学生が私の隣を通り過ぎていく。
パタパタと走っているのは金髪の留学生。
サーシャ=ゲイデンとかいう、ロシア帝国の貴族の娘。
まあ、日本という国はひどいもんだと思うのは、そんなばりばりのロシア正教信者に神社の巫女さんの服を着せているのだ。
しかも、狐耳つきで。
その後を追っているのは、戦国武将のような格好をした男子。
落ち武者なんだろうか、ハゲのカツラを被ってるし、無駄に甲冑に矢とかが刺さっている。
ひとごみを駆け抜けるふたり。
「こらっ! 学生! 大通りで走るな!」
鋭い声で指導が飛んでくる。
「すみませんっ」
落ち武者男子がそう答えるが、サーシャを追っかけて行く方を優先してその場を去っていった。
「……ったく、
指導を無視された気分になっているのは伊原少尉だった。
「まあ、お祭りだから、な」
私がそう言って近寄ると、訝し気な目つきで私を見下ろしてきてため息をついた。
……何度も言うが、私より数センチ背が高いとはいえ、彼女はペーペーの少尉である。
私の様な古手大尉に向かってやるような態度ではない。
帝国陸軍伝統の鉄の上下関係もここには存在しないようだ。
「副長は甘いと思います」
「そうかなあ」
「そうです」
「まあ、ほら、まわりの目もあるし」
ぐいっと右腕を突き出す伊原。
腕の赤い腕章には『指導員』という漢字が書いてある。
「毎年、高校生間のトラブルだってあるんです、私たちがしっかりしないと、浮かれた学生達が何をやるか……それに部外者も、ほんの少しですが、ナンパ目的とかそういうことで来ているのもいますし」
「まあ、ナンパぐらいいいだろう、夜のダンスパーティーなんて公認合コンみたいなもんだし」
「そーゆー表現はやめてください、なんか卑猥です、特に副長がいうと」
「……傷ついた」
「傷ついてください」
私ががっくりと首を落とすと、彼女はクスっと笑った。
「言い過ぎました」
少し柔らかな声。
「だろ?」
「やっぱり言い過ぎてません」
「……」
「副長、暇ですよね、というか暇で間違いないですよね、巡回指導の手伝いしてください」
彼女はそういうと、クルリと回って私に背を向けて歩き出す。
私の返事なんてそもそも必要ないらしい。
まったく、先輩というものに対して最近の若い奴は。
だがそんな悪態をもちろん口に出しても言えず、とぼとぼと私は付いて行くことにした。
それにしても……ふと気づいたが、彼女の後ろを歩いていると甘い香りが漂ってくるのだ。
去年はいっさいそういうものはなかった。
まあ、女性特有の香りはあったが、それに付け加えるものはなかった。
なんの香りかは詳しくないし、あまり興味もないのでわからない。
だが、二〇代前半の女子が付ける様な、そういう類の香水か何かであることはわかった。
そんなことを考えながら歩いていると、少し人気がなくなった一角に、ここの学生達の制服ではない男女が何か揉めているような光景が目に入った。
女子一に男子二。
いや、一方的に男子が言い寄っているような。
まあしかし外の高校生たちどうしのもめ事だ、さっき伊原がやったような指導はできない。
だが、困っているとしたらひとりの大人としてあの女子を助けないといけないだろう。
私は目を凝らす。
金澤中央女子高校の制服。
そういえば、娘の三和も同じ制服だ。
女子の特徴ある髪型。
いわゆるツインテールといわれる……そう三和もそういう髪型。
そういえば、三和はバイトがあるから来ないとか言っていたが……まて、あれが三和で、父親とに嘘をついてまで来ているということは……ひ、秘密のデート!
私はぐるぐると脳ミソを回っていった。
ってことは、父親にも言えないような濃い関係!
三和ひとりに対し男ふたり。
……な、なんですとっ! 男がふたりとか! そ、そんな乱れているのか昨今の女子高生は!
まさか、我が娘もそんな乱れた関係をしているとか。
私は気付いたら走っていた。
お父さん、小学校の運動会で必死に走る。
まさにそんなダッシュである。
「……こんのっ! エ……」
ロませガキがっ……と叫ぼとしたところでやめた。
むぎゅ。
三和は私の腕に抱き着いてた。
「パパ」
確かに娘はそう言った。
しかも、そこそこ甘い声で。
「は?」
私は気が抜けたような声をだす。
「パパと来てるから」
三和がそう言うと、男子高校生ふたりは「なんだ、家族づれかよ」とか言いながらその場を去っていった。
ふたりの姿が見えなくなった瞬間、私を弾き飛ばすように三和は距離を置いた。
パンパンと制服の袖を叩いて埃を払っている。
ばい菌でも付いているような仕草で、必死に叩くその姿を見て私は流石に傷ついた。そんな傷心の私に気を使うこともなく、袖に鼻を当ててクンクン匂いを嗅いで点検していた。
それを何回か繰り返すうちに、ある程度して気が済んだのか、いつものように冷たい視線を私に向けてきた。
「勘違いしないでね、野中さん」
「ん? ああ」
「バイトする前に、騒ぎを起こしたらまずい」
確かに私を軽々と投げ飛ばすぐらいの腕っぷしだ。
あの達人級の武術武道を習得している母親の娘である。
相当仕込まれているに違いない。
それでも、あの男子から言葉だけで追い払おうとしていたのは、何か理由があってのことなんだろう。
「あれ? お母さんといっしょじゃ」
「いっしょだけど、今は別々」
「……そうか」
娘は相変わらず無表情のまま、でも少しだけ眉をひそめたのがわかった。
「お母さんに会いたい?」
私は即答できなかった。
ちょっと首を傾げる。
でも、無視できる質問ではない。
「できれば会って話はしたい、三和の事を聞きたいから」
だが、学校に来てても会わないということは、そういう意味だとわかっている。
「ふーん」
謝りたかった。
許してもらえるとは思えないが、ここまで三和を育ててもらったことを、何もしなかったことを謝りたかった。
「あの、副長」
伊原が申し訳なさそうな声で話しかけてきた。
「あ……すまん、勝手に動いて」
「いえ、いいんです、お身内の方だったんですね」
さすがに高校生とはいえ、部外者を前にすると、外行きのしゃべり方と声になっている伊原。
「野中さん、このひとは」
三和があの日女性ものの下着やゴムの箱を見つけたのと同じような声色で質問してきた。
「同僚の伊原少尉、同じところで勤務している」
「ふーん」
興味があるのに興味がなさそうな声を出しているが、三和は伊原の姿を下から上まで遠慮なく観察していた。
「あの、例の娘さんですか?」
「ああ、春からうちで下宿している娘の三和だ」
私がそう言うと伊原はペコリとお辞儀した。
「はじめまして、伊原真といいます、お父様の後輩で、いつもご指導していただいてます」
三和はギュッと口を閉じた。そして、少し唇を震わせながら返事をする。
「……はじめまして、野中さんがいつもお世話になっています」
ペコリとお辞儀を返した。
「ほんと、可愛い女の子ですね、こんな子が娘にいるとか、うらやましいですね」
にっこり笑う伊原。
「ま、私は父親らしいことは何もできていないんだが、な」
私は三和の頭に手を置こうとしたが、軽く右手で払われてしまった。
たぶん、すごく情けない顔を私はしてしまったと思う。
「そういうことするから、父親は女の子に嫌われるんですよ」
伊原が笑った。
私は口を尖らせ、何か言い返してやることにした。
「……べ、別に、そういうこと気にしないし」
私は強がることで精いっぱい。
三和は相変わらずムスッとした表情で、私を見上げていた。
まだまだ野中さんは続いてしまうようだ。
私はそう確信していた。
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