第10話「安いコーヒーの味」

「それで副長はどう叱ったんですか」

 どうして頭山は先輩の私に対してこうも高圧的なんだろう。

 昼下がりの将校室で私はふと思った。

 彼が聞いているのは、お間抜け二年生の三人組を伊原が鉄拳制裁しようとしたところを、ついつい私がおせっかいにも止めてしまったことである。

 あの三人組への説教の中身を聞きたいらしい。

 ひとの説教を聞きたいと思ったこともない私には理解できなかった。

 相当もの好きなのかもしれない、頭山という男は。

 うん、メンドクサイ。

 まあ、でも隠す必要もないからちゃんと話すことにした。

「あれだ、あれ」

「あれじゃわかりません、意味なく代名詞を多用するようになると、ボケの始まりらしいですよ」

 このクソ生意気な言動。

 いちいち怒らない私はほんと、聖人君子だと思う。

「あの戦争の時の話をした」

 私は温かいインスタントコーヒーを一口含む。

 まあなんというか、久々にいい分量で入れたインスタントコーヒー。

 それでも美味いとは思わない。

 安い、でかい、古い……三拍子そろった製品だ。

「後輩をいじめてると、いざというとき後ろから撃たれるぞって」

 私が英雄に担ぎ出された戦闘。

 分隊長でしかない私が、小隊長代行になった理由はそれだった。

「それ脅しじゃないですか」

「そう、脅し」

 あの戦場で見た生々しい光景。

 戦場に行くまでいきがって散々新参兵をいたぶっていた上等兵が、明らかに後頭部を撃たれて死んでいる姿

 ガミガミうるさいだけの小隊長が顔面をぐちゃぐちゃになっている姿。

 同様に殴る蹴るの常習者だった分隊長が、敵の砲弾から隠れるために入ろうとした掩蔽部から、一人蹴りだされた光景。

 実際に私が目にしたものをそのまま語った。

 もちろん、見てただけ……つまり見て見ぬふり、荷担した話を。

「で、なんて言ったんですか」

「いや、そういうこともあったなぁって」

「彼らに何か、目から鱗の格言とかは」

「んなもん、私が言えるわけないだろう」 

 私は大げさに両手を広げ背伸びをする。

 事務椅子がギシギシっと鳴った。

「それ、説教でもなんでもなく、面倒くさいじじいの思い出話じゃないですか! そんなの聞いても、へえーで終わりますよ!」

 いや、ごもっとも。

 恥ずかしい話だが、偉そうに伊原に「叩いちゃいかん」と言いながら、私も大したことはできていない。

 果たして彼らが私の話を聞いて、何か得たという感覚はない。

 そんなんで更生できるなら、警察はいらない。

「ま、学生のことは君たち小隊長にまかせてるから」

「中途半端に介入してそれですかっ!」

「副中隊長の任務は小隊長たちに立ちはだかる壁となり、君たちを鍛えることなんだよ」

「壁は壁でもただ邪魔しているだけじゃないですか」

「……そこまで言われると、ショックなんだけど……おっさん傷ついちゃうよ」

「迷惑です」

「まて、それ以上言うと、泣くぞ、副長殿を泣かすとか、お前、小隊長がそんなことやっちゃいかんだろう、な、悪かった、ごめん……私が悪かった、許してくれ」

 彼は私の言葉を無視したまま椅子から立ち上がる。

 電気ポットの前に立ち、自分専用の一袋タイプのドリップコーヒーを入れ始めた。

 ちなみに、勝手に一杯飲んだのがばれて「ゲスがっ!」とけなされたことがある。

「ところで伊原のことなんだが……」

 苦しくなってきたので話題を変える。

「男の子ってあだ名はないよな」

 伊原少尉のあだ名。

 彼女を称する言葉が『男の子』なのだ。

男の娘オトコノコ……最近の学生はひどいことを言いますね」

 頭山はドリップ殻から垂れる液体を器用にこぼさないようにしながら、ゴミ箱に捨てる。

「伊原も男言葉使ってたりするから、そう呼ばれてもしょうがないような気がするけどなあ」

 頭山は何寝ぼけたこと言ってるんだこのおっさん。

 と訴えるような目で私を見た。

 ……どいつもこいつも士官学校の大先輩に対する態度がなっていない。

 ま、身から出た錆なんだけど。

「おとこのこですよ」

「ボーイッシュだってことだろう?」

「……」

 彼は、しばらく私の顔を見て、一人で納得し、一人で頭を頷いている。

「副長、男の娘って知ってます?」

「そりゃ、ここにもいるし」

 私は自分を指差す。

「面白くありません、却下……やはり四十歳ですね」

「ばかやろう、まだ三十九歳だ、四十歳じゃない」

「はいはい」

 ……私大先輩、お前大後輩。

 ため息をつく頭山。

 彼は呆れた顔で私を見て、口を開いた。

「おとこのこ……男のむすめと書いて『男の娘』です」

「なんじゃそりゃ」

「女装する男子って事ですよ」

「伊原は女だ」

「あいつが女装する男子……って意味でしょう」

「……」

 一瞬、理解できなかった。そして、脳ミソの中を整理して、頭山がいったことを順に並べる。

 ……おい、まて。

 いや、それはいかんだろう。

 失礼だろう。

 女の子にそれはだめだだろう。

「いちいち、学生の気軽な一言に怒っちゃだめですよ」

 彼は意地悪い顔しながら、大先輩の機先を制した。

 なんか、ムカつく。

「怒っていない」

 私がムスッとした顔で言うと、彼はハハっと笑った。

「いやほんと伊原のことを可愛がってますね」

 私は馬鹿にされた気分になった。

 ……いや、馬鹿にされているのは間違いないが……なんか、ちょっとひっかかる。

 私はそのひっかかっることを確かめたくなったため、余計な質問をしてしまった。

「お前は怒らないのか」

 きょとんとした顔の頭山。

「士官学校のころから『ウルフ』とか『アニキ』とかあだ名がありましたから、今更あいつがどう言われても、驚きませんよ、まして怒ってどうなるってわけではありませんし」

 あーもう……。

「あのな、伊原のことをだな、女性として、そういう目でみてやらんと、何時までも学生のノリでやっていると、さすがに傷つくだろう」

「同期ですよ……ずっといっしょに馬鹿みたいなことやった仲間ですから、今更態度を変えるのもおかしいじゃないですか」

 頭山は笑っている。

 私は彼のその飄々とした表情に対して、イライラが積もってきた。

 そもそもだ。

 伊原はお前のことが好きなんだよ。

 お前は彼女を大切にできないし愛せないかもしれないが、女性として扱ってやらんといかんだろう。

 と、言おうとしたが飲み込んだ。

 エニシの顔が浮かんだからだ。

 今の私の考えはあまりに一方的なものだった。

 エニシにも釘をさされたが、元々そうだったものを変えろとは言えない。

 結果、だんまり。

 ……情けないが。

「副長、まさか伊原が変なのは私のせいだと思ってません?」

 頭山は笑うのをやめて、私を見た。

 いつもの、失礼極まりない態度ではない。

 私はどう言おうか迷った挙句に直球で行くことにした。

「思っている」

 ぬるくなってしまったコーヒーをぐいっと飲み、言葉を続ける。

「伊原が最近変なのは、お前と何かあったからだろう」

「鈍い」

 間髪を入れず彼は答えた。

 何度も言うが、十数年先輩で、しかも階級が上の人間に言うような言葉ではない。

 軍隊的に非常識である。

「副長、ほんとうにあなたは鈍すぎます」

「あのな、あの態度、どう見たって恋を始めた女の子の態度だぞ、そりゃ、普通は遅くとも高校生とかであるんだろうけど、伊原はああだから今であってもおかしくない……それに相手と言えばお前しかいないだろう……周りを見てみろ、私みたいなおっさんとか、中隊長みたいな既婚者しかいないだろう……まさか、学生に恋をしているなんて言うんじゃないだろうな」

 頭山の偉そうな態度が気に食わないせいか、私は一気に捲くし立てるように言葉を繋げてしまった。

「だから、鈍いと言ってるんです」

 頭山はため息をついた。

「私とあいつはそもそも対象外なんですよ」

 彼はコーヒーカップをわざと音をたてて、事務机に置いた。

 ゴン。

 狭い将校室にその音が響く。

「副長に話している事を同期の、しかも親友の伊原に話さない訳がないでしょう」

 ……打ち明けている。

 彼女の気持ちを無視して、ゲイってことを言ったということなのか。

 私の頭の中で妄想が広がる。

 告白する伊原、そしてそれを丁重に断る頭山……そんな場面が浮かぶ。

「お前、伊原の気持ちを知ってて……」

「とっくの昔、士官学校のころから私がそういうものだということを知っています」

 対象外です。

 と、彼はため息交じりに言うと、手元にあるコーヒーをすすった。

 じゃあ、なんなんだ、あの子の変わりようは。

「じゃあ、あれはなんなんだ」

「ほんと中途半端な人だなぁ」

 息混じりに言われた。

 失礼な大後輩。

 もう一度繰り返すがこいつは超後輩、私は超先輩。

 そんな口の利き方を例え天地がひっくり返ったとしても、帝国陸軍の常識ではやらない。

「伊原の父親は、あの壊し屋ってあだ名で有名な伊原少将ってことは知ってますね」

「ああ、噂は聞いている」

「あいつの価値観は父親が基準です」

「確かに……少将もお固くクソ真面目で厳しいという噂だ」

「あいつはファザコンです」

「それは知らん」

「小学生になったころに弟が事故で死んで、それから男みたい育てられた」

「そうなのか?」

「同時期に少将は離婚してて片親」

「……」

「本当に副長って人は」

 じっと私を見据える。

「人のプライベートに介入するわりには、あまり人のことをよく知らない……興味ないんですね」

 彼は続ける。

「この前のニュースのセクハラ少将」

 あの国営放送のニュース。

 単調なキャスターの声が蘇る。

「あれが伊原の父親です」

 私は絶句した。

 グググと右腕全体が強張る。

「あいつの正義は父親なんです」

 苦虫を潰すような。

 実際にそんなものを見たことないが、目の前の頭山はそんな表情で私を見つめた。

 伊原の父親。

 セクハラ少将。

 尊敬する父親。

「自分の正義……価値観がぶっ飛んでしまうってのはどんな気分なんでしょうかね」

 ぼそり、そう彼は言った。

 私は何も答えきれず、いつもよりマシだがクソ不味いコーヒーを口に付けた。

 冷めて、苦い。

 少し吐き気がしてしまった。

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