第6話「笠原先生のカウンセリング」

「娘さんが、お家に、ですか?」

「ええ、急に」

 目の前にいるのは、私のカウンセリングをしてくれている笠原梅子カサハラウメコ先生だ。

 ひらひらした茶髪に黒縁眼鏡。

 真面目な人間が無理して冒険をしてみた感じがする髪形。そして、一五〇㎝あるかないかの身長。

 全体的には三十歳ぐらいの落ち着いた感じの知的な女性なのだが、髪型と身長とそれがどうもアンバランスで、浮いて見える印象がある。

 もともと三年前までは男女一人づつのカウンセラーがいて、私は男性カウンセラーに診てもらっていた。

 その先生が転勤でいなくなり、新人さんが女性だったため女性二人になってしまい、しょうがなく新人の先生――つまり笠原先生に診てもらうことになった。

 できれば同性の先生にお願いしたかった。

 プライベートな面を話すのは抵抗があったからだ。

 しかしそんな抵抗も今はない。さすが、先生もプロだと思う。

 私はここ数日あった出来事を、特に娘に関わる話をしていた。

「どうするんですか?」

「いや、どうもこうも」

「前の奥さん」

 じっと私の目からそらさずに話す。

 きっとカウンセラー的にはよくない行為だ。

「え? ……あ、やっぱり娘のためにはよりを戻した方がいいんですかね?」

「それはダメです」

「いや、ダメって……先生」

 先生はいつも真正面に向ける目を背けた。

「きっとよくない影響があります、せっかく今は良い状態なんですから」

 珍しく強い口調。

 この茶室のように狭く、そして静かなカウンセリング室。

 今のように強く言葉を発すると、余韻が残るぐらいに響く。

「よくない影響」

「そうです」

「家庭円満になるのが、ですか?」

 先生は、ちょっと考えるように間を置く。

 毎度のことだが、私の周りの女性の話になると、こういう間が多くなる。

 例えばエニシの話でもそうだ。

「恋をする、結婚をする、子供ができる……そういった環境が変わる事象も、例えば仕事がクビになるとか、身近な人の死とかと同じぐらい、心の負担になりますから」

「はあ」

 こういうときの先生は、いわゆる説明キャラ的な言動で、どもも胡散臭い。

 妙齢の女性に対して失礼極まりないことを思ってしまう。

 きっとこういうのが災いして独身なんだろうと。

「まあ、そっちの方向はぼちぼちしますよ」

「ぼちぼちというのは心にとてもいいことなんですけど」

 先生は眼鏡にかかった髪の毛を払う。

「女性関係は気をつけて下さいね」

「バツイチですから、そこは臆病なぐらい」

「あまり臆病になってもらっても困りますが」

「いつもいっているように、やわやわですよね、やわやわ」

「その、離婚した女性を未練たらたらで思い続けるとか、友人か何かわからない人と長くいるとか、そういうのが、ちょっとよくないんじゃないかと思います」

 相変わらず、ずけずけと言う。

「例えば、新しい、その気になる女性とか、そういう人と恋をしてもいいと思います」

 相手がいたら、さっさとしてますよ。

 最近の先生のお勧めはこれなのだ。

 そんなことは百も承知、二百も合点ですが……。

 椅子を深めに座りなおして態勢を変える。

「ところで先生」

「え、ええ」

 ここからは私が先生をからかう時間になる。

 先生もそれをなんなく感じ取り、身構えるように答えた。

「先日、香林坊で男と歩いていたでしょう」

 たまたま車を運転して見かけたが、たぶん彼女だ。

「お、弟です」

 私は吹き出した。

 先生に弟がいるというのは、三年目にして初めて聞いた話だ。

「やっぱり、お世話になっている身としては、先生も幸せになって欲しいというか、ほら、ねえ」

 だんだんオヤジ化する自分。

 まあ、しょうがない。

 恥らう女性をからかうのは楽しい。

「先生の感じからすると、きっと年上好きだと思っていたんですが、違うんですね」

 単純に彼女の背が低い、だから年上好き、そう思ってしまっただけだが。

「違うんです……」

「弟と手は繋がないでしょう」

「……」

 赤面する。

 私が主導権をとったときは、先生ではなく女性の側面になる。

 小さな声で彼女は「お見合い」と言う。

 さては、うちの大隊長あたりの差し金なんだろう。

「そりゃあいい」

 私はそういう彼女のそぶりを見て、心からそう思ったことを口に出した。

 毎日私を含めて鬱屈した人間の話を聞いているのだ。

 心労もすごいだろう。

 私も救ってもらっている。

 そんな彼女に浮いた話がずっと無かったことをずっと心配していたのだ。

 できれば今よりも幸せになって欲しい。

 先生と患者の関係だが、どうも父親的な気分になってしまう。

「その……付き合いでお見合いをして」

「あの大隊長あたりが『先生は綺麗だから僕が相手したいぐらいだけど、怒られちゃうから……悔しいけど、知り合いを紹介するよ』なんて、いつもの調子で言ったんでしょう」

「あ、ほとんどそのまんまです」

 歯の浮くようなことを平気で言う定年前のダンディ大隊長。

 私もあのレベルまでは……なりたくない。

 ぜったいに無理だ。

「相手は、やっぱりうちの同業者?」

 恩人に対する気持ち、親心兄心というのが混じって複雑な心境だが、できれば軍人以外の人とできて欲しい。

「富山の連隊の将校さんなんですが、年下で、エリートさんで、おばちゃんの私とは不釣合いというか」

「そんなことはないですよ、先生、お綺麗というよりむしろかわいいですし、おばちゃんというにはまだまだ若いじゃないですか」

 そんなこと言ったら私はおっさんどころかおじいさんである。

「初日に、その、夜も……ってなったので」

 おいおい、若いの。

「ちょっと酔ってたので」

 まさか。

 いや、ちょっとまて、私の恩人がそんな軽く、いや、おいおい。

 私の笠原先生を、おい。

「むかついて殴ってしまい……」

 脱力。

 そうなのだ。

 酒癖が悪い子なのだ。

 噂に聞くので、飲みに行こうとは一度も誘っていない。

 少々お礼のランチを奢ったことがあるぐらいだ。

 彼女は赤面して俯いた。

 にしても、殴ることはないだろう。

「私は、ファザコンなんですよ」

 口調が先生になってきた。

「だから、娘さんの気持ちはなんとなくわかります」

「ファザコンの娘にはまったく見えませんが」

「べったりするだけがファザコンじゃないんです……あの、小学生の男子がやる、あの好きな女子にちょっかいを出そうとするのと同じタイプというか、わかります?」

「んー、好きだけど気恥ずかしい、いやー、でも先生、それはないですよ……一週間近くなりますが、湯船に触るな、コップは同じもの使うな……ってどんどん嫌われて」

「本当に嫌いなら、家を出ています」

「はあ」

「嫌いって言えば、そうすれば野中さん……困るでしょう? あわてるでしょう? 何かしようとするでしょう?」

「ま、まあ」

「構ってもらえるじゃないですか」

「素直に、お父さーん、むぎゅってしてもらった方が……もっと構うんだが」

「それができればしてますよ」

「私は父親的にオープンなんですが」

「野中さんの問題じゃなく、娘さんの問題です」

「……子供のころと同じように……もう忘れているのかなあ」

「案外、幼稚園ぐらいのことは覚えているもんです、特に肉親との間は……だからなんですよ、昔とのギャップが激しいからどうしたらいいかわからない」

「そんなもんなんですかねえ」

「そんなものです」

 私はため息をついた。

 なら、父親として今のままで、彼女の行動に振り回されるのが一番いいことなのか。

 十年してやれなかった。

 わがままを聞くことを今、すれば。

 それであの頃を取り返すことができるのだろうか。

「今のままでいいと思います」

 あまりに考えていたことと、先生の言葉が繋がっていたので、頭の中をのぞかれたような気分になり急に顔の目と鼻の間辺りが妙にむず痒くなった。

 先生はとても素敵な笑顔だ。

「娘って面倒臭いものなんですね」

「はい、女の子は面倒ですよ、だから大切にしてください」

 私は笑った。そして、いつものように思いついたことをついそのまま言葉に出してしまった。

「先生みたいな人がお母さんでいてくれれば、娘と上手くできるんですがね」

 先生は驚いた顔になり、俯く。

 私は自分の言った言葉の意味をもう一度振り返り、あまりに軽く、本当に軽く言いすぎたことを後悔した。

 他意はない。

 他意はないのだ。

 彼女は顔を上げたときは怒った顔だった。

「野中大尉、その発言はセクハラです」

 私は土下座する勢いで他意は無いことを説明し続けたが、彼女は何故か説明すればするほど不機嫌になってしまった。



□■■□



「三和、座りなさい」

「……」

「あのな、鍋は一人で食べるものじゃないんだ」

「……だから」

「今、目の前にあるのはモツ鍋だ」

 カセットコンロの上でぐつぐついっている、表面には濃い緑色をしたニラと、薄い緑のキャベツ、そしてコントラストで真っ赤な鷹の爪が乗っていて見た目は美しい。

 あくまで自画自賛だが。

「出汁はなあ、能登のいしるを入れたんだ、コクが出てるぞ、それに今日は贅沢して国産ホルモンが入っている」

 これで、モツ鍋を食べないという人間はいない。

 いないはずだ。

「三和、いっしょに食べよう」

 鍋を見つめていたが私の言葉を聞いてぷいっと横を向いた。

「直接鍋に箸を入れないって約束するなら、食べてもいい」

 私は少し長めの新品の箸を取り出した。

 そして、どうだー! と言わんばかりに鍋の上にかざし、包装のビニールを剥ぎ取る。

 ふふふ、我が三十九年の人生にしてみれば、十六歳の娘が言うことぐらいは三手先まで読んでるんだよ。

「……うざい」

 うざくて結構。

 娘は黙々と無言で食べる。

 それでもいい。

 二人で同じものを食べるというのはそれだけで十分幸せじゃないか。

 取り戻そうとは思わない。

 今をどうするか、そう考えれば自然とこういうことができる。

 私はチラッと娘の不機嫌そうな顔を見て、なんとも言い表せない感情に包まれていた。

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