第4話「ふたりの後輩」
朝出勤して、上司の中隊長に「別れた妻についていった娘が市内の高校に入ることになり、私の自宅に下宿することになりました」と報告した。
噂というのは恐ろしい。
昼食の頃、その噂はランチのお供になっていた。
この狭い空間。
面白そうな話はすぐに尾ひれはひれついて噂として駆け巡る。
「あー、ども」
隣の一中隊で副官やっている日之出中尉という女性将校なんかは敬礼してきたとき目が蔑んでいた。
おいおい、いったいどんな噂になっているんだよ。
まあ、お堅い女子で有名なので、ちょっとしたことでもああなるのかもしれない。
そう言い聞かせて、自分を落ち着かせる。
でも、さすがにショックで頭を抱えていると、あのカミングアウトした男が近寄ってきた。
「とうとう、見知らぬ十六歳の女の子を教育費と引き換えに養子にして、夜な夜なご奉仕させていることになっていますよ」
「
私はたぶんげっそりした顔で後輩を見上げた。
「いやー、副長はいつも若手将校に仕事振って、自分は適当にサボっている人だから、なんかざまー見ろって感じになったんで」
副中隊長というのも長いので、みんなは略して副長と私のことを呼ぶ。
「おいおい、そんなにひどい奴なのか私は」
「若手将校からすると、もう、極悪非道ですよ」
確かに、最近は若手にいろいろ振っていたが……いや、それにしても酷いだろう。この噂。
「まあ、一中のあの真面目そうな日之出中尉は、空気読めずに本気にしているようですが……いつものようにみんなで副長をいじって楽しんでいるだけですけどね」
やだやだ、お堅いお局さんってのは、と頭山は手をひらひらさせる。
二十四歳の割にはおでこが後退していて短く刈り込んだ黒髪が特徴。
細く鋭い目つき、一七〇前後の無駄のない筋肉質の体。
正直、あの話を聞いた今でも、彼の恋愛対象が「男性」ということにピンとこない。しかし、こんな若いのに言われっぱなしもくやしいので少し反撃をする。
「そんな頭山こそ、今度入ってくる学生を襲うなよ」
ちょっと笑ってみた。
「人を強姦魔みたいに言わないで下さい、本気で怒りますよ」
思ったよりも彼の癇に障ったようだ。
私は「冗談冗談」と笑ってごまかそうとした。そして、結局その重圧に耐えきれず「すまん」と謝る。
「……だからカミングアウトしたんです、そうやって馬鹿にする奴らがいるから……確かに、階級とかそういうものがこの組織にはありますから、そういう趣向をもったのが、無理矢理部下をっていう例もあるってことは知っています、そういう目で見られますが、それは男の上司が女の部下にするよりは遥かに少ない例ですよ」
「本当に言葉が過ぎた、すまん」
冗談でも言っていいことと悪いことがある。
軽率だった。
そういう訳で、私はどんどん立場が弱くなっていった。
「……例えば学生の中に好みの子とかいるのか?」
私は空気をかえようと明るく言ってみた。
「副長は学生に手を出しますか?」
「……いや、ない」
「同じですよ」
怒気が増した。あ、いかん。
じーっと私を頭山が見る。
女の子にもてそうな顔なんだがなあ、と思う。そうしていると彼はくすりと笑った。
「すみません、上官に対して当たりすぎました」
彼はちょっと別の方向を見て。
「私は隣の中隊の林少尉みたいな寡黙な人が好きなんですよ」
「あ、そりゃ」
「そんなにびっくりしないでください」
私はため息をついた。
届くことがない思いを持っている目の前の男。
「忍ぶ恋だなぁ」
「それがいいんです」
彼は笑顔で言葉を続けた。
副長はいい人ですね、誰もあなたのことを悪く言わない。ぼそっと言う。
まあそんなことはないと思うが。
未だに副中隊長なんてやっている。あんまりがんばらないから、表面的には部下受けがいいだけだ。
私は立ち上がり、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、一個を彼に投げた。
「ありがとうございます」
と、彼は律儀に頭を下げる。
そんな中、私と頭山だけがいる将校室の木製の扉が勢いよく開いた。
私は扉に向かって「おいおい」と言葉を投げかける。
「ボロなんだから、その馬鹿力で壊すな」
入ってきた彼女は一瞬むすっとした後、口を開いた。
「副長、隠し子って本当ですか?」
アニメの女の子のような声で、ギャップの激しい男言葉を使っているのは
名前も「まこと」と男の子っぽい。だが、その顔は目が大きくクリっとして、唇はぷっくりアヒル口の女の子。
背は私よりも高く、一七〇後半ぐらいだと思う。
ベリーショートの無造作な髪とレスリングで鍛えられた肩幅の広い筋肉質の体、それと女の子な顔がなんともアンバランスな印象を与える。
私の感覚からすると少し、危ういアンバランスさだ。
「なんか、わざと私を貶めるような言い方していないか?」
「いや、なんか、そういった方が面白いんで」
「上司を
「自分のような可憐な女子に弄ばれるなら本望じゃないですか?」
「なあ、その言葉、どこから修正すればいいんだ、伊原」
「言っている意味が自分にはわかりません」
くそう。
最近の若い奴らは年上への口の聞き方がわかってない。
頭山は隣で笑っているが、関係ないというそぶりでPCに向かっていた。
「頭山、女子高生を見物に行こう?」
「副長の家に?」
伊原と頭山は士官学校同期、同い年で仲がいい。
あのカミングアウトがあるまで、ふたりは付き合っているんじゃないかと勘ぐっていたぐらいだ。
「俺はいいけど、副長の元奥さんとか出くわすかもしれないけど、伊原いいのか?」
おいおい。
「なあ、なんでそこで、私の元妻が出てくるんだ」
「そうだよ、副長はだいぶ前に離婚したって聞いてるし」
頭山は楽しそうに続ける。
「あのな、伊原、副長の娘さんが来る理由はなんだろうと考えたら、よりを戻す以外に他の理由を思いつけるか?」
「う……そりゃ、そうだけど……」
まったく、ふたりでひとの家庭を好き勝手言いやがって。
張本人は目の前にいるだが、会話から外されている。
「俺たちが行って、副長と元奥さんがラブラブしているところに出くわしたくないだろう」
「……うう」
頭山の言葉に伊原が後ずさる。
たまらず私が口を開く。
「ない、ない、ない、ない、ない……あのな、十年だぞ、十年、それに一度壊れたものってのはそう簡単に修復できないの」
「副長は、復縁したいと思っているんですか?」
意外と、伊原が乗ってくるので、なんだかびっくりする。
「そりゃ、娘のためを思えばしたほうがいいんだろうけど、それは私の問題でなく向こうの気持ちの問題だからなあ」
「……お母さんが必要だという、必要性で話をしているんですよね」
「まあ、そうだが……未練とかそういう話ではなくて」
何を言っているだ自分。
いや、ちょっと混乱しているのは間違いないが、ぼろっと本音がでた。
「情けない」
「は?」
「男だったら、新しい奥さんをもらうぐらいの甲斐性があるべきです」
伊原がなぜか仁王立ちになって力説している。
指を突き立てて私を叱るように。
なんか知らんが十五も年下の女の子に説教される自分は情けない。
「相手がいればいいんだがなあ」
自分でも馬鹿みたいに情けないことをつぶやいてしまう。
いや、とにかく面倒くさい空気になったので、軽く濁したつもりだったんだが。
中途半端に「一応おっさんも、まだまだがんばれるぜ」というニュアンスを込めて言おうとしたら、こんな発言になってしまった。
「相手はいない……」
ぼそっと伊原が言って少しだけ口が曲がったのと、頭山がニヤニヤしているのを確認した。
この若い二人が、更に上司の弱みに付け込んでくることを予期して、とっさに身構える。
「伊原、そろそろ準備にいくぞ」
「あ、うん」
私はどんな相手の攻撃にも必死に耐えようとした覚悟をスルーして頭山はさっさと伊原を連れて将校室を出て行った。
エセボクサーのようなそんなファイティングポーズを取って固まっている私。
ため息をつく。
だらんと肩が落ちた。
しょうがないので、少しぬるくなったさっき冷蔵庫から取り出した缶コーヒーをすする。
「若いっていいなあ」
頭山は難しいかもしれないが素敵な出会いがある可能性がまだまだある。
伊原も同じだ。
若くて可能性もある。女性将校として、母親として両立できる人材だろうと私は思っていた。
それに比べ、もう私には時間もなければ気力もない。
口にしたぬるいコーヒーはねっとり甘くて……どう考えてもまずいものが口の中に広がるが、なんだかふたりのことを考えると悪くない後味だと思った。
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