日常の一形態
暮準
美術品
ある休日、僕は大学の友人のひとりと共に現代アート美術館に行きました。
展示品をしばらく見て回ったあと、友人がふざけて部屋の一角でマネキンの様に立っていたら、彼を作品だと思ったのか他のお客さん達が写真を撮り始めました。僕はすこし離れた場所から笑いながらそれを見ていたのですが、一旦トイレに行くことにしました。戻ると、友人の周りにはロープが張り巡らされ、傍らには作品解説のプレートが置かれていました。そのプレートには友人の身長や体重、生年月日が書かれていました。彼は真顔を保ったまま、僕が「何してんだ、もう帰ろう」と肩を揺すっても反応しませんでした。しばらくするとお客さん達が係員を呼び、僕はそのあとにやって来た警備員2人に連れ出されました。
「次に作品に触れたら警察を呼びます」と彼らは言いました。
僕は仕方なく外から友人の携帯に電話しましたが、電話口からは「その番号は現在使われておりません」というそっけない機械音声が返ってくるだけでした。奇妙なことに、そのあと同じサークルの友人たちに訊いても、彼の実家に行ってみても、誰もその彼のことなんて知らないと言い張りました。僕は自分がおかしくなったのかと思いました。
やがて時は経ち、僕は彼のことを忘れてしまいました。夢でも見ていたのかと、彼と過ごした決して多くはない日々さえ、記憶の彼方へと追いやってしまったのです。
数年後、妻と行った新婚旅行先のフランスの美術館で、僕は彼を見つけました。
彼はあの時と変わらないようでした。僕はその友人……展示品の前に行くと、彼の瞳が僕を認めたことを悟りました。すると彼の唇が少し動き、僕にしか聞こえない声で「連れて帰って」と呟きました。
僕は首を横に振りました。また前のように、僕が彼に触れれば美術館の係員や警備員、果てはフランスの警察までが来て彼から僕を引き剥がすだろうことが分かったからです。彼はあの日からもう美術品になってしまい、僕は彼の歩むことのなかった「人」としての幸せな人生を歩み始めたところなのです。
僕は縋るような目で見つめる彼を背に、美術館をあとにしました。外では先に出た妻がベンチに腰掛けて待っており、その手には2人分のコーヒーがありました。僕はそれを受け取ると、もう二度と来ることのないだろうその美術館を去り、振り返ることはなかったのです。
了
日常の一形態 暮準 @grejum
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