扉
東達
扉
『貴方の望みをお見せします』
ビルに挟まれた僅かな空間に看板と扉が一つ。
よくある占いの店にある怪しさに比べて、とても質素なそれは道行く人の誰一人として目に留めることなく居を構えていた。
占いなどあまり好まないエフであるが、何故かその扉を開けてみたい衝動に駆られた。
扉を開くと、中は一面真っ白の狭い部屋。
殺風景なショールームというよりも、〝無〟というものを表しているようだった。
そこにあるのは、入口と同様の扉と看板がもう一組。
『中の物はご自由にどうぞ』
看板を設置する程の物があるのか、エフは全く理解が出来なかったがドアノブへ手を伸ばした。
ガチャリ、と至って普通の音を立てて扉は開く。
「ふざけるなよ」
扉の先には自身が勤めるオフィスの中であった。
望みを見せると書いてあったが、仕事が行き詰っている現在、最も見たくない光景である。
デザイナーとして勤務しているにも関わらず、アイデアは浮かばず、浮かんだものは尽くボツを食らう。
その理由も酷いもので、意図せずに同僚のケイと類似したものを後から提出していたというのがほとんどだった。
今では〝下位互換〟などと陰口も時折聞こえ、苦痛以外の何物でもなかった。
憤慨したエフがそのまま扉を閉めようとした時、机の上に小さな外部記憶装置が目についた。
「どうせだから持っていってやるか」
吐き捨てるように言うと、外部記憶装置を手に取り、そのままエフは部屋を後にした。
変わったショールームではあったが、『ご自由に』とあったのだ。何を持っていっても問題ないだろう。
それに、自身を咎めるような係員もいなかったのだ。警備など必要ない程度のふざけたショールームだったということにした。
帰宅したエフは何気なしに、先程ショールームから持ち去った外部記憶装置をパソコンに接続をした。
一瞬、ウイルスが入っているのではないか、と警戒もしたが、その時はショールームの管理人にでも文句を言えばいいかと自身に言い訳をしながら。
「これは……」
開かれたフォルダの中にはいくつものファイルが収まっていた。
ただのファイルではない。現在、エフが行き詰っている業務の完成データや今後利用出来そうなデータが山の様に詰まっていたのだ。
不愉快な感情になった先で、思わぬ拾い物をしたエフは夢中でデータの確認作業に没頭した。
それから程なくして、エフの社内地位は飛ぶ鳥を落とす勢いで向上。
〝下位互換〟などと囃し立てられていたのも、既に別の人物になったようだ。
報われない努力に手当てのつかない残業のせいで転職も考えていたが、今では時間内勤務で業績に応じた特別手当が支給されるほど。
エフは〝望み〟が詰まった物を手に入れたのだった。
---
『貴方の相手をお見せします』
以前通り掛ったショールームの入口に、前回とは異なる看板が掛かっていた。
もし人がいるならば、話でもしよう。そう思いつつ、エフは、再び、扉へと手を伸ばした。
扉を開くと、相変わらず〝無〟の世界が広がっていた。
そして、扉とまたもや前回とは少し異なる看板が一組。
『中の相手はご自由にどうぞ』
相手、ということは、係員でもいるのだろうか。
エフは柄にもなく軽く身嗜みを整えて、ドアノブをゆっくりと回した。
軽い音を響かせ、するりと扉は開く。
またしても、扉の先には自身が勤めるオフィスの中であった。
ただし、今回は実際の社内と同じ配置で、それぞれの社員のマネキンがある。
決して精巧なものではないが、ウィッグや服装、大まかな髪型で大体誰なのかが検討がつく程度のものだ。
部長、後輩、他部署の事務員、お局様、落ちぶれた窓際族。
何故そのようなものが展示されているのかと疑問もあり、いくらか薄気味悪さも感じる。ただ一人を除いては。
「アイさんにそっくりだな」
意中の相手に似せられたマネキンは目は彫られていないものの、口元がうっすら微笑んでいるようにも見えた。
『ご自由に』とあったが、流石に持ち帰るような趣味を持ち合わせていないエフは苦笑しながらマネキンに語りかける。
「今の私ならきっと貴方を幸せに出来るから」
望みが叶った例もあるのだ。少しくらい夢を見たっていいだろう。
だが、こんな小恥ずかしいところを、他人に見られるわけにはいかない。ショールームの管理人へのお礼はきっと後日でもいいだろう。
ちょっとした願掛けなのだと自分に言い聞かせながら、エフはいそいそと部屋から退散した。
そんな帰宅途中のエフに一本の電話が掛かった。相手は偶然にもアイから相談の連絡だった。
業務で行き詰り、人間関係に不安がある。エフがよければ一緒に食事をしたい、と。
まさに渡りに船である。エフはすぐさまアイの元へ向かった。
---
『貴方の未来をお見せします』
数ヶ月前、エフの人生を大きく変えたショールームは、また新たな看板が掛かっていた。
アイとは食事をきっかけにとんとん拍子に事が進み、今では自分と未来を共にするパートナーとなった。
そんなエフにとって、これ以上の未来を望む必要はないのかもしれない。
だが、少しでも未来を垣間見て、よりよい幸せを掴む事が出来るのなら、扉を開ける以外の選択肢はなかった。
三度目となると、この何も無い空間でさえ、どこか愛しく感じる。
この先に広がる新たな未来へ向けて精神統一するには、真っ白なである〝無〟の世界も丁度いいくらいだ。
ちらりと看板を見遣ると今までと同じような一文が記載されていた。
『中の貴方はご自由にどうぞ』
エフは確信した。
この先に広がるのはエフが思い描いているより素晴らしい未来なのだ。
未来の為にすべきことが展示されているものだと。
その思いを胸に、エフは意を決して勢い良く扉を開いた。
「……は?」
目の前にあるのは、オフィスでもアイのいる家庭でもない。
真っ白な部屋に人が一人納まる大きさの長方形をした蓋の開いた空の木箱。
それはまるで、
「棺じゃないか……」
確かに『未来』とはいっていたが、何もそんなに先の未来を見たい訳ではない。
今までと同じように、幸せな未来を垣間見たかっただけである。
これ以上の幸せを望んでいないと言えば嘘になるが、自身の死に様を拝むなんて御免蒙りたい。
部屋の不気味さに後ずさりをしたところ、背中に何かの温もりを感じる。
ここの管理人だろうか、あまりにも笑えない冗談に文句を言おうとエフは振り返ろうとしたところ、エフの頭部に激痛が走った。
「ごゆっくり」
どこかで聞き覚えのある声を残し、何者かは去っていった。
この痛みは何からなのか、相手は誰なのか。相手を引き止める間も無く、エフは自身の意識を手放すこととなった。
---
どれくらい気を失っていただろうか。
頭はまだ重たく、目を開く事すら億劫に感じる。身体も全く力が入らない。
確か、気味の悪い部屋から出ようとしたことだけは覚えているが、その先の記憶は途絶えている。
誰かが病院に運んでくれたのだろうか、それともアイが迎えにきてくれたのだろうか、馴染みのある声が少しずつ耳に入る。
「さぞ、お辛かろう」
あぁ、辛いさ。何故あのような気味の悪い部屋を展示したのか。
「これからと言うときに、どうして……」
そうだ、まだ自分には仕事が山積みだから、一刻も早く帰らねば。
「短い間だったけれど、幸せでした。ありがとう」
アイの声だった。その声は今まで聴いたことがないほど、涙交じりで力のない声だった。
「エフとは長い付き合いだった、自分でよければ力になるから」
アイの声に寄り添うようなケイの声が響く。
社内では一度も聞いたことが無い力強さで。
(一度も……?)
違う、一度聞いていた。
あれは、ショールームの――
扉 東達 @azm106
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