第16話
そうちゃんに想いを伝えると決心した次の日。登校したあたしは、昇降口の前でそうちゃんの背中を見つけた。駆け寄って横に並ぶ。
「おはようそうちゃん」
「おはよう」
今すぐ伝えるってわけじゃない。今から色々アプローチして、それからタイミングを計るつもりだ。
二人で昇降口に入り、下駄箱で靴を履き替えようとしたところで、そうちゃんが言った。
「ん?」
「どうしたの?」
そうちゃんが自分の下駄箱の中から封筒を取り出した。やけに可愛らしい封筒だった。
あたしは驚いて目を瞠る。
「それってもしかして、ラブレター!?」
そうちゃんは封筒を開けて、中から手紙を取り出して広げる。見てはいけないと思いつつも、気になって手紙の内容に目がいってしまう。そうちゃんが隠す素振りを見せないことをいいことに、あたしは手紙を横から覗き込んだ。丸っこい文字を読んでいくと、やはりラブレターだった。差出人は、あたしたちと同じクラス、一年四組の保健委員の倉町さんからだった。
そうちゃんって女子から人気あるから、こういうことがあってもおかしくはない。
そうちゃんどうするつもりかな? まさかOKしちゃうんじゃ……。
内心ドキドキしながら、そうちゃんの様子を見守る。するとそうちゃんは鞄から筆箱を取り出した。そして中からペンを取り出すと、鞄を下敷きにして、手紙の余白のところに「気持ちは嬉しいけど、彼女作る気ないから君の気持ちには応えられない」と書いた。手紙を封筒に戻すそうちゃんに問いかける。
「断っちゃうんだ?」
「ああ」
その答えにとりあえず胸を撫で下ろす。
「倉町さんの下駄箱ってどこ?」
「ここだけど」
あたしが教えると、そうちゃんはラブレターを倉町さんの下駄箱の中に入れた。それからペンを筆箱に仕舞い、筆箱を鞄に仕舞う。
「あのさ、なんで断っちゃったんだ? 彼女作る気ないからっていうのはやっぱ嘘だよね?」
あたしたちの年頃で、ついこの間までのあたしみたいに恋愛に興味がないなんて思ってる子って、男子にも女子にもほぼいないんじゃないかと思う。あたしが特殊なんだと思ってた。
「嘘じゃない。おれは彼女作る気ないんだよ」
「なんで?」
「お前には関係ない」
冷たく言い放つと、そうちゃんは廊下を歩いて行った。
なにそれ。せっかくそうちゃんに自分の気持ちを伝えるって決心したのに、そうちゃんに彼女を作る気がないだなんて……。
◆◆◆
おれが小学二年生になった頃から、次第に父親があまり家に帰って来なくなっていった。どうやら不倫をしていたらしい。たまに帰ってきても、家では酒を飲んでばかりでろくに父親らしいことをしなくなった。そして酒に酔うと母親に難癖をつけて度々暴力を振るった。
おれは子供ながらに両親の仲が悪くなっていっていくのを感じ取っていた。まだ両親の仲が良かった頃、おれがテストで良い点数を取ったり、運動会で活躍すると、両親はおれのことを褒めてくれて、二人とも笑顔になった。おれは両親の関係を楽しかったあの頃に戻すために、勉強と運動を頑張ることにした。そのおかげでおれの成績は体育を含めて、クラスでトップになった。けれど両親の仲が元に戻ることはなかった。
小学二年生のバレンタインデーに、おれは小鳥からチョコレートを貰った。それを持って家に帰ると、父親が母親にいつも以上の暴力を振るっていた。後になって母親から聞いた話では、この日競馬で大損した父親は、家に帰ってきた時から機嫌が最悪だったらしい。父親はおれがなにかを持ってることに気がつくと、母親に暴力を振るうのをやめ、おれに近づいてきた。
「なに持ってんだ?」
おれは恐くて萎縮しながら答えた。
「……チョコレート」
「おれが馬に大金持ってかれたっていうのに、ガキんちょが、いっちょ前にチョコレートなんか貰いやがって!」
この日初めて父親はおれに暴力を振るった。おれをかばいに入った母親もろとも長い時間、暴力を振るわれ続けた。
命の危機を感じ、耐えかねた母親は、次の日の朝、父親がどこかに出かけて行ったのを見届けると、必要な物だけを急いで鞄に詰め込んで、おれの手を引いて家を出た。そしておれはこの町を去ることになった。突然のことすぎて、引っ越すことを友達に言う暇なんてなかった。父親に引っ越し先を知られることを恐れた母親が、学校に引っ越し先を教えなかったから、森山小学校の友達から連絡が来ることはなかったし、母親から連絡するなときつく言われていたので、おれから友達に連絡することもしなかった。それから暫くして両親の離婚が成立した。
おれと二人暮しになり働き始めた母親は、毎日仕事に追われて忙しく日々を過ごしていた。
おれが中学生になった頃、母親に恋人ができた。それから母親は朝帰りしたり、数日家に帰ってこなくなるようになっていった。ただでさえ仕事で忙しくて、親子で過ごす時間が取れなかったのに、更に親子で過ごす時間は少なくなった。
忙しい母の姿を見て、おれは将来自分が働けるようになった時に、良い会社に就職して、母親に楽させてあげたいと考えるようになっていた。恋人ができてからの母親が、自分に対して興味を失っていっているのをおれは感じていた。学校で良い成績を取ることで、昔みたいに褒めてくれていた母親に戻ってくれるんじゃないかという想いもあり、おれは勉強と部活に力を入れた。引っ越す前、両親の仲を元に戻そうとして、うまくいかなかった時と同じ方法だったけど、子供のおれにはこれしか思いつかなかった。
おれが高校生になった頃から、日に日に母親の機嫌が悪くなっていった。なぜ機嫌が悪いのか訊いても教えてくれなかったから、理由はわからなかった。
おれは機嫌の悪い母親を、少しでも喜ばそうと考えた。高校生になってアルバイトができるようになったおれは、高校生になるとすぐにバイトを始めていた。おれはバイトで貯めたお金を使って、母親の誕生日である八月三十一日にプレゼントを贈ることにした。おれのバイト代のほとんどは、おれの学費や生活費にあてられるから、お金に余裕はなかったけれど、おれは母親のために花束とケーキを買った。
そして母親の誕生日、その日も母親は機嫌が悪かった。テーブルにケーキを用意して、おれは母親に花束を差し出した。お祝いの言葉は最後まで言うことができなかった。花束を鬱陶しそうに手で跳ね飛ばした母親は、憎悪のこもった目でおれを睨みつけ、こう言った。
「子連れとは結婚できないって言われたじゃない。お前がいるから再婚できないのよ! お前のせいでわたしが幸せになれないんだよ! お前なんか生むんじゃなかった!」
おれに生涯忘れることができないであろう言葉を吐き捨てると、母親はすぐにどこかへ出かけていき、そして二度と帰ってくることはなかった。そしておれは母方の祖父母に引き取られることになり、小学二年生の頃まで住んでいたこの町に戻ってきた。
恋愛をすると人間は恋愛に心が支配されて、周りが見えなくなって自分勝手になり、自分の子供のことすらもどうでもいいと思うようになってしまう。それを目の当たりにしたおれは、絶対に恋愛はしないと決めたんだ。
◆◆◆
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