第15話
席替えが行われ、あたしの席は窓際の列の一番後ろの席になった。あたしの前が桃の席になり、あたしの右隣が尾上の新しい席になった。
休み時間、あたしは自分の席に座って頬杖をついていた。諦めるって決めたはずなのに、あたしの視線は気がつくとそうちゃんの方に向いていた。
隣の席に座っていた尾上が突然言った。
「大木さんは、宗一君のことが好きなの?」
あたしは大きく狼狽した。
「え!? な、なんでだよ!? そんなわけねえだろ!」
「だって文化祭の少し前から、宗一君のことをよく見るようになってるから」
「そうだよ。小鳥ちゃん最近、柊君の方ばっかり見てるからバレバレだよ」
桃がクスクス笑う。
なんてことだ。自分ではわからなかったけど、バレバレだったなんて。
「二人って、小学生の時の知り合いなんでしょ? もしかして、昔も好きだったの?」
桃が興味津々と言った様子で身を乗り出してくる。恋愛話が好きなのは女の性なのだろうか。
「うるせえよ。関係ねーだろ」
「やっぱり好きだったんだ。それで再会してまた同じ人を好きになるなんて、大木さんロマンチックな恋をしてるんだね!」
「羨ましい! わたしもそういう恋してみたい!」
「だから好きじゃないし!」
尾上と桃はあたしの否定を受け入れる気がないらしく、一方的にあたしがそうちゃんのことを好きだと思い込んでいる。まあ、その通りなんだけど。
「柊君の方から後夜祭に誘ってくれたんでしょ? 両思いなんじゃないの?」
「あれは違う。あたしと一緒に並んで立つのが嫌じゃないって、あたしにわからせるために誘われたって前も言ったじゃんか」
「それだけが理由だとは限らないじゃん。他にも理由があったって考えても、おかしくないと思うよわたし」
「もういいんだって。あたし色々考えたんだけど、諦めることに決めたんだ。あたしみたいなこんな大女、相手にされるわけないしさ」
「そんなのわかんないじゃん」
「もういいんだって。諦めるって決めたんだよ」
「ぼくは、なにもせずに諦めたら、きっと後悔すると思う」
「絶対フラれるってわかってんのに、アプローチなんかしても意味ないだろ」
「ぼくがみんなからミミズって呼ばれてて、気持ち悪がられてること知ってるだろ? そんなぼくが藤木さんに告白して、うまくいく確率は何パーセントだったと思う? 多分ゼロパーセントだったと思うよ」
「だったらなんで告白しようと思ったんだよ」
「自分の気持ちに区切りをつけたかったし、後悔したくなかったんだ。結局、藤木さんは体育館裏に来てくれなかったから、告白もできなかったけど、来てくれなかったってことが、ぼくとは付き合えないっていう答えだったと思うし。やるべきことはやったんだから、藤木さんに対する恋について、ぼくは後悔してないんだ。藤木さんがあんな酷いことする人だって知って、もう藤木さんのこと好きじゃなくなったけど、そのことは抜きにして、もしラブレターを書いて告白しようとしてなかったら、ぼくはいまだに毎日悶々としてたんだと思う」
尾上の言ってることはわかる。でも、やっぱりフラれるのは恐いよ。だからどうしても、フラれて傷つくくらいだったら、なにもしないでいる方がましって考えてしまう。
「わたし小鳥ちゃんの家に行ってみたい。遊びに行っていい?」
「別にいいけど」
ということで、桃があたしの家に遊びに来ていた。
「可愛い部屋だね」
「うん。まあね」
あたしは自分の部屋を、自分の趣味でピンクを基調とした女の子らしい部屋にしていた。昔からぬいぐるみが好きで、所狭しと部屋の至るところに大小様々な種類のぬいぐるみを飾っている。こんな部屋をもしも菱田たちに見られてしまったら、抱腹絶倒しながらあたしのことをからかうに違いない。あたしの部屋は、男子たちには絶対に見せられない部屋になっていた。無論、菱田たちを家に呼ぶことなんてないんだけど。
「ねえ、アルバム見せてよ。昔の小鳥ちゃんが見たい」
「いいよ。適当に座ってて」
アルバムは押入れの中に仕舞っていたはずだ。あたしは押入れの中を探し始める。
「あれ? おっかしいなあ。どこやったかなあ」
どうやらアルバムはかなり奥にあるらしく、なかなか見つからない。仕方なく、あたしはまず押入れの手前にある物を、押入れの中から外に出すことにした。
「これなに、日記? たくさんあるね」
あたしが押入れから出した物の中に、何冊ものノートがあった。振り返ると桃がそれを手に取ろうとしていた。
「あー! 読まないで、恥ずかしいから!」
「日記つけてるんだ」
「うん。日課というか、趣味なんだよ。お、あったあった」
あたしはようやっと、押入れの奥にあったアルバムを見つけ出した。それを部屋の真ん中のテーブルの上に広げる。
「かわいい~!」
あたしの子供の頃の写真を見た桃が歓声を上げる。自分が小さかった頃の姿を褒められると、なんだかむず痒い。
「小学生の時から大きかったんだね」
小学校の卒業アルバムの集合写真を見た桃が言った。
この頃は男子を含めたクラスの誰よりもあたしの背は高かった。みんなと並んで写っている集合写真の中で、あたしの存在感が際立っている。
アルバムのページを捲りながら、桃が言う。
「この前泣きながら教室飛び出して行ったのって、もしかしてわたしと柊君がファッションショーで腕組んで歩いてるのを見て、……その、傷ついた、から?」
桃が上目遣いであたしを窺う。
「本当は小鳥ちゃん、女子モデルとして出たかったんじゃない? 好きな男の子と花道歩きたかったんじゃ……。小鳥ちゃん、あたしたちの方を見ながら泣いてたよね」
あの時のことについて、そうちゃんだけじゃなく、桃までも心配させてしまっていたのか。
あたしは首を横に振る。
「違うよ。あたしが出てたら笑い者になってただけだろうし。出たくなんてなかったよ。諦めるって言ったじゃん」
「じゃあどうして泣いてたの?」
「それは、あたしみたいなでかい女は、そうちゃんの彼女に相応しくないなって思ったから。でも泣いてすっきりしたから、きっぱり諦めることにしたんだ」
「どうして諦める必要があるの? 小鳥ちゃん可愛いのに」
「あたしが可愛いって? どこがだよ。やめてよ適当なこと言うの」
「適当じゃないよ。あたし前に言ったよね。小鳥ちゃんの背の高さが羨ましいって。小鳥ちゃんって背が高くて、足まっすぐで長くて細いし、モデルみたいじゃない。なんでそれで自信が持てないかなあ? 文化祭のハンドメイドファッションショーに小鳥ちゃんがモデルとして出たら笑い者になるってさっき言ってたけど、わたしは小鳥ちゃんの抜群のスタイルの格好良さに、体育館が大歓声に包まれてたと思うな」
「そんなわけないじゃん。だったら男子が毎日のようにあたしのことからかってくるわけないし」
「あんな一部の声なんか気にしなくてもいいんだよ」
「一部じゃない。男子はみんなあたしのことを男みたいな男女だって思ってる」
「男子全員から男みたいだって言われたの? 言われてないでしょ。小鳥ちゃんの勝手な思い込みだよ。全員じゃないよ」
「あたしはそうは思わない。男子は全員あたしのことをバカにしてるんだ。直接言ってこない奴等も絶対に心の中であたしのことをけなしてるんだ。あたしに彼氏なんかできっこないし、あたしのことをバカにしてる男子のことなんか、あたしの方が興味ないし」
「そんなこと言ってるけど、男の子から女の子扱いされたいって思ってるんでしょ?」
「そんなのとっくに諦めてるよ」
「嘘だよ。いつも男子みたいに振る舞ってるけど、男子みたいな言動をすることによって、男のくせに女みたいなことしてるって風にからかわれることを防いでるんでしょ? 見てたらわかるよ。でもだったらどうして髪型を丸坊主とか男の子みたいなのにしないの? ロングヘアーにしてるってことが、やっぱり女の子として見てもらいたいっていうなけなしのアピールなんじゃないの?」
「違うよ。ロングにしてるのはなんとなくだよ。特に意味はない」
「だったら、わたしは女の子ですって言ってみてよ」
「え、なんで?」
「いいから」
「いきなりなんなの?」
「いいから言ってみてよ」
意味がわからなかったけれど、桃の真剣な眼差しに押されて、あたしは口を開いた。
「あたしは女の子です」
更に続けて桃が言う。
「わたしは可愛い女の子です」
「あたしは…………、あたしは…………」
それ以上、言葉が出なかった。どんなに言おうとしても、喉につっかえて出てこない。すぐに視界がぼやけて、瞳から涙がボロボロと零れ出す。あたしは嗚咽を堪えきれなかった。
「どうして言えないの?」
あたしは顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら口を開いた。
「言えないよ。だってあたし可愛くないもん。男子に可愛いって言ってもらったこと今まで一回もないし、男みたいだってずっとバカにされてきたんだよ?」
「じゃあどうして泣くの? 諦めたんじゃなかったの? 泣くっていうことは、諦めきれてない証拠だよ」
言いながら、桃の瞳からも大粒の涙が止めどなく溢れ出す。
そんなこと、言われなくてもわかってる。ずっと気持ちに蓋をして、押し込めてきたんだ。
あたしは更に涙を零しながら吐露する。
「あたしだって、男子から女扱いされてみたい。可愛いって言ってもらいたいよ。でもそんなこと願ったってしょうがないんだ。どんなに願ったって、男子は誰もあたしのこと女扱いしてくれないんだから」
「勝手に自分で決めつけてるだけじゃない。柊君が自分とは並んで歩きたくないって思ってるって、勝手に思い込んでた時と一緒だよ」
「さっきからなんなんだよ! わかった風な口きいて。いつも男子から女の子扱いしてもらってる桃に、あたしの気持ちがわかるわけない!」
「わかるよ」
「嘘だ! 適当なこと言って共感してるフリするなよ!」
「わたしね、昔太ってたんだ。ちょっとどころじゃなくて、超がつくほどの太りようだったんだ。それでクラスのみんなからデブとかブタとかデブりっ子とかって毎日毎日言われてたの。あの頃はわたしも今の小鳥ちゃんみたいに、わたしは可愛い女の子ですって言えなかった」
桃の瞳から再び大粒の涙が零れ出す。
「だから、わかるんだよ」
桃にそんなことがあったなんて、あたし思いもしなかった。
「そうだったんだ。ごめん」
「気にしてないよ。諦めきれてないんだったら努力しなきゃ」
「でも、どうすればいいのかわかんないよ」
「そんなの小鳥ちゃんの可愛いとこ見せたらいいんだよ。そのスタイルは武器だよ。柊君をデートに誘って、その時に可愛く決めた小鳥ちゃんを見せつければいいんだよ」
「あたし、化粧もしたことないし、ファッション雑誌も読まないし、できないよ」
「そんなのわたしが教えてあげるよ。とりあえず持ってる服見せてよ。クローゼット開けていい?」
あたしが首肯すると、桃がクローゼットを開けて中を見る。
「これって、全部男物?」
「サイズがないから」
「あ、そっか。でもスカートがないのはどうして? スカートだったら丈の長さが多少合わなくても穿けるのに」
「あたしは、スカートを穿いたらダメなんだよ」
小学六年生だったある日、スカートを穿いて学校に行ったら、男子たちにからかわれた。
「男女がスカート穿いてやがる!」
「巨人のくせにスカート穿いてんじゃねえよ!」
「そうだそうだ! 男女はスカート穿いたらいけないんだぞ!」
あたしを囲んだ男子たちは、あたしのスカートを引っ張って無理矢理脱がした。そしてあたしは、クラスメイト全員の前で、下半身パンツ姿を晒すことになった。あの時みたいなあんな思いはもう二度としたくない。
今通っている森山高校の女子の制服の下はスカートだから、仕方なくスカートを穿いて通っているけれど、本当は穿きたくなんてなかった。
「あたしが女みたいな格好してたら男子はバカにしてくるから、スカートもそれ以外の女物の服も、サイズがあっても買わないんだ」
「小鳥ちゃんがスカートを穿いたらダメなわけないよ。女の子には自分を可愛く着飾る権利がみんな平等にあるんだから」
「でも、やっぱりあたしには無理だよ。諦めるしかないと思う」
「本当にそれでいいの?」
「うん」
「だったら昔柊君に貰ったっていうキーホルダーはもういらないよね」
桃があたしの鞄の中から勝手に家の鍵を取り出す。そしてキーホルダーの、なんのキャラクターなのかわからない人形の、細くて壊しやすい手の部分をへし折ろうとする。
「やめて!」
あたしは桃からキーホルダーをひったくる。
「未練たらたらじゃん」
諦めたいのに、諦めたくない。どうすればいいのかわからなくて胸が苦しい。
「そんな状態で諦めたら、絶対に後悔することになるよ」
『なにもせずに諦めたら、きっと後悔すると思う』
尾上も言っていた。
後悔という言葉に触発されて、あたしの手が昔書いた日記に伸びていた。数ある日記の中から一冊を抜き取る。ページを捲り、そしてその手を止めてあたしが開いたのは、昔そうちゃんが突然転校したと知った日のページだった。そのページには乾いた水滴の痕がいくつもいくつも残っていた。
バレンタインデーにそうちゃんにチョコレートをあげた時に、どうして好きだと言わなかったんだろう。どうして言えなかったんだろう。そうちゃんがいなくなる前に、好きだと伝えとけばよかった。伝えられなかった。日記には後悔の言葉が延々と綴られていた。
そうだった。あの日の夜、あたしはこれを、泣きながら書いたんだった。好きだっていう想いを伝えなかったことを、ものすごく後悔しながら書いたんだった。あたしあの日から、ずっとずっと後悔してた。あんな後悔、もう絶対にしたくない。
あの時のことを思い出すと、あの時抱いていた想いが涙となって瞳から溢れ出した。
伝えたい。好きだってこと、あたし、今度こそそうちゃんに伝えたい。
「あたし諦めない。今度こそ、そうちゃんに好きって伝えるよ」
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