第14話


 そして文化祭当日がやってきた。あたしたちのクラスの、クラス展示とハンドメイドファッションショーの衣装は、他の催し物の担当の人たちに手伝ってもらって、大急ぎで作業を進め、なんとか山下先生の許しを得ることができていた。

 文化祭は二日間かけて行われる。ハンドメイドファッションショーは二日目の午前中に行われた。体育館の床に緑色のシートが敷き詰められ、その上にパイプ椅子が並び、そこに全校生徒が着席していた。体育館のカーテンを全部閉め、ステージとそこから伸びる花道にだけ照明が当てられる。軽快な音楽が流れ出し、全校生徒が手拍子する中、一クラス二名のモデルたちが花道を歩き、行き止まりでポーズを取って、引き返していく。

 あたしたちのクラス、一年四組の出番がきた。モデルであるそうちゃんと桃が『お嬢様とそれに仕える執事』というファッションテーマをモチーフにした衣装を身に纏ってステージに登場した時、会場となっている体育館が大きく沸いた。モデルが美男美女だったからだ。

「あの二人、恋人同士かな?」

「だとしたらお似合いのカップルだね」

 近くから、そんな会話が聞こえてくる。

 腕を組んで花道を歩いていくそうちゃんと桃は、あたしの目から見てもお似合いのカップルに見えた。

 もしもあたしがモデルとして出ていたとしたら、あたしが出てきた瞬間にあたしは嘲笑されて、隣を歩くそうちゃんのイメージも悪くなってたに違いない。

 全学年の全クラスのモデルたちが花道を歩き終わり、ステージの上で授賞式が行われた。そしてなんとあたしたち一年四組は、見事金賞を受賞した。

 午前中のプログラムが終わり、あたしたちは昼食をとるために、体育館から一旦自分たちの教室へと戻ってきた。

 モデルのそうちゃんと桃は、まだハンドメイドファッションショーの衣装を身につけたままだった。そんな二人の周りにクラスメイトたちが集まり賞賛していた。

「さっきのファッションショー良かったぞ!」

「金賞取れるなんてすごいね!」

「この衣装よくできてるな! 二人ともすごく似合ってる!」

 あたしはそんな光景を、少し離れたところから眺めていた。それを見ながら思う。うん、やっぱり二人はお似合いだ。今、みんなから賞賛されて二人で笑い合ってる姿なんか、二人がカップルだって言って疑う人なんかいないだろうってぐらいにとても自然だ。

 よし決めた。そうちゃんのことは諦めよう。あたしじゃ無理だ。あたしなんかじゃ、そうちゃんの恋人にはなれないや。あんなにお似合いなカップルのお手本みたいな姿を見せられたら、諦めるしかないよね。

 みんなに囲まれて談笑していたそうちゃんと目が合う。すると不思議そうな顔になったそうちゃんが、あたしに歩み寄ってきた。

「なんで泣いてるんだ?」

「え?」

 自分の頬を触ってみる。手が涙で濡れた。指摘されるまで、あたしは自分が泣いていることに気づけなかった。

 泣いてる姿を見られたことが恥ずかしくて、あたしは教室を飛び出した。桃があたしを呼んだ声が聞こえた気がしたけれど、それを振り切ってトイレの個室に駆け込んだ。

 あたしじゃない。そうちゃんの隣に並んでいい女の子はあたしじゃない。並んでいいのは桃みたいな可愛らしい女の子だ。お前じゃない、お前じゃないんだ! だから泣くなあたし。泣くな! こんな男みたいな大女が恋したって、相手にしてもらえるわけないんだ。諦めるしかないんだ。諦めるしか。しょうがないんだよ。しょうがない。だからもう泣くなよあたし。泣くなって、言ってるのに……。

 何度自分に言い聞かせても、涙はあたしの瞳から、いつまでもいつまでも零れ続けた。


 午後のプログラムが全て終わり、放課後になった。今から後夜祭が行われるので、校内に残っている生徒の姿も、この時点ではまだあった。けれど、文化祭委員のあたしが後片付けなどの仕事を終えて、教室に戻ってきた時には、残っていた生徒たちは既に後夜祭に向かっていて、校内に人気はなくなっていた。

 桃とは別々になって文化祭委員の仕事をしていたから、今あたしは一人だった。

 各クラス二名いる文化祭委員の内の一名は、後夜祭の運営スタッフとして、後夜祭で仕事をしなければならない。桃がやってくれると言ってくれたので、あたしはもう帰るだけだ。

 帰り支度を整えたあたしは、人気のない廊下を歩いて下駄箱に向かう。下駄箱に到着すると、そこに男子生徒が一人いた。下駄箱に背中を寄りかからせて佇んでいたのは、そうちゃんだった。

「文化祭委員の仕事ご苦労さん」

「帰らないのか? あ、そっか。今から誰かと後夜祭に行くんだ?」

「ちげーよ。お前を待ってたんだ」

「なんで?」

「昼休みに泣いてただろ。だから気になって、待ってた。大丈夫か?」

 諦めようって、決めたのに。そんなことされたら、諦めきれなくなるじゃない!

 あたしは溢れ出ようとしてくる涙を必死に堪えた。

「おれのせいか?」

 あたしは首を横に振る。

「じゃあ、おれを避けてるのはどうしてだ? おれなんかしたか?」

 再び首を横に振る。

「なんでもない」

「なんでもないことないだろ。それじゃ納得できない。そんなことされたらおれだって傷つく」

 そうちゃんのためだと思って、そうちゃんの隣に並ばないようにしてたのに、そのせいであたし、そうちゃんを傷つけてしまってたのか。

「……あたしと一緒に歩いたりするの、嫌じゃない?」

「どういう意味?」

「自分より背の高い女の横に並ぶの、嫌じゃないの?」

「別に嫌じゃないけど。もしかして、それを気にしておれを避けてたのかよ」

 あたしは頷いた。

「そういうの嫌がる男もいるだろうけど、おれは嫌じゃない。ていうかおれが嫌がってるって、お前が勝手に決めるな」

「ごめん」

「泣いてた理由は? そのことで誰かになんか言われたのか?」

 そうちゃんのその推測は半分正解だ。でももう半分は不正解。本当の理由を言えるわけがないから、ここは肯定しておく。

「うん」

「そっか。そんなに気にしてたのかよ、身長のこと」

「うん。……ほんとに嫌じゃない?」

「嫌じゃない」

「ほんとにほんと?」

「しつけーな。だったらこれから二人で後夜祭に行こう」

「え?」

「もしおれが嫌だと思ってたら、お前と後夜祭に行くはずないだろ? さあ、行こう」

 そうちゃんがあたしの手を取る。

 あたしはそうちゃんに引っ張られながら、後夜祭が行われる運動場に向かった。


 運動場の真ん中に木が組まれていた。それに火が灯されると、運動場のあちこちから歓声が上がった。

 後夜祭参加者はその炎を囲むようにして並んでいた。

 今年は男女のペアじゃなければ参加できないというルールがあるせいか、行われるイベントの内容も、そういう類のものが多かった。

 一人一本、プリッツという棒状のお菓子を口に咥え、プリッツに引っ掛けた一つの輪ゴムを、手を使わずに隣の生徒に渡していくという、プリッツ輪ゴム渡しゲームというのをした。それぞれのペア間の並びは、男子の隣は男子、女子の隣は女子になるよう指示された。

 そうちゃんが隣の男子から輪ゴムを受け取る。そしてあたしに顔を向けた。

 あたしはそうちゃんに顔を近づける。まるで口づけするような距離にまで近づけないことには、輪ゴムは受け取れない。お互いの息がかかるほどの距離になる。

 そうちゃんの顔が近い! 近すぎる! 

 心臓が胸から飛び出しそうな勢いで、バックンバックンと脈打つ。

 輪ゴムを受け取ろうと顔を動かした時、超至近距離でそうちゃんと目が合った。炎に照らされたそうちゃんの顔が、目と鼻の先にある。自分の顔が紅潮していくのを感じる。恥ずかしくて急いで輪ゴムをプリッツですくい上げて受け取ると、あたしは慌ててそうちゃんから顔を離した。

 恋人同士がするようなイベントばかりが行われる後夜祭は大いに盛り上がっていく。そして最後に音楽が流れる中、ペア同士で手を繋いで腰に手を回し、社交ダンスを踊って、後夜祭はお開きになった。

 こんな恋人みたいなことしてたら、諦めようと思ってた気持ちがどんどんしぼんでいく。それに反比例して、どんどんそうちゃんのこと好きになっていく。あたしのことを嫌がらずに後夜祭に参加してくれたってことを都合よく、そうちゃんの彼女候補に自分も入れてもらえてるんじゃないかって考えてしまう。そんなわけないのに。そうちゃんはただあたしと並ぶことが嫌じゃないってことを、あたしに証明するために、あたしと後夜祭に参加しただけなのに。あたしなんかが女として見てもらえてるわけないのに。早く諦めた方がその分傷つかなくて済むってわかってるのに。

 あたし一体どうすればいいの?

 後夜祭に参加していた生徒たちが、運動場から下校していく。その中をあたしもそうちゃんと並んで歩いていく。辺りはすっかり夜の帳が下りていた。

「今日はありがとう」

「家まで送るよ」

「え、いいよ別に送ってくれなくて」

「おれがお前の隣を歩くのを嫌がってないって証明するために、お前と並んで歩いて家まで送らせてくれよ」

「うん……」

 校門を出ると、生徒たちはみんなそれぞれ帰り道がばらけていく。そして暫く歩いていくと、いつの間にかそうちゃんと二人っきりになった。

 そうちゃんはあたしに合わせて、ゆっくり歩いてくれていた。沈黙が苦しくて、なにか言わなきゃと思ってあたしは口を開く。

「こうして歩いてくれてるんだから、そうちゃんがあたしと並ぶことを嫌がってないことはわかったよ。でもあたしおっきくなったから、女に見えないだろ?」

「そんなことない。さっき手繋いだ時、お前の手、昔と一緒でおれよりも小さかったし、ダンスの時に腰に手を回した時、腰が細かったし、お前は女の子だ」

 そうちゃんがあたしのこと女の子だって言ってくれた! 嬉しい!

「こんな暗い中、女の子を一人で帰らせると危ないから送ってるんじゃないか」

 瞬間、胸が甘く締めつけられる感覚。

「あたしと並ぶのを嫌がってないって証明するためじゃなかったの?」

「それは理由の半分だ。もう半分は心配だったから」

 なんで、そんなこと言うの? そんなこと言われたらあたし、勘違いしてしまう。

 あたしはもう一つ訊いてみたいことがあった。『そうちゃんはあたしを恋愛対象として見れる?』けれど言葉にするのが恐かった。『見れない』って言われたらどうしようって考えると喉につっかえてしまい、結局訊けなかった。そしてあたしの家の前に到着した。

「もう、おれがお前と並ぶのを嫌がってるなんて言うなよ」

「うん。送ってくれてありがとう」

「誰もいないのか?」

「今日みんな出かけてて、帰りは遅くなるって言ってたから」

 無人の家の窓から明かりは漏れておらず、暗くなっていた。

 あたしは鞄から家の鍵を取り出す。そしてそれを玄関の扉の鍵穴に入れる。そこではたと気づいた。あたしはこの家の鍵に、昔そうちゃんとゲームセンターに行った時に貰ったキーホルダを付けている。何年も前にそうちゃんから貰ったあのキーホルダーを、いまだに使ってるなんてそうちゃんに知られたら、なんか恥ずかしい。

 このキーホルダーがあの時の物だと、そうちゃんはもう覚えてないかもしれない。けれど一応隠した方がいいと判断したあたしは、さりげなく体の位置をずらし、あたしの体を壁にして、そうちゃんから鍵が見えなくなるようにした。

 見られてたとしても、暗いし多分、よく見えてなかったはず。だから多分大丈夫。

 鍵を開けたあたしは努めて平静を装いながら振り向く。

「今日は本当にありがとう。それじゃ、おやすみ」

「おやすみ」

 そうちゃんが踵を返して帰って行く。

 不審に思ったあたしは訊いた。

「どっか寄ってくの? 家そっちじゃないじゃん」

 あたしは昔そうちゃんとよく遊んだから、そうちゃんの家の場所を知っていた。

「今は昔とは違う家に住んでるから」

「あ、そうなんだ」

「それじゃあ」

「うん」

 今度こそ、そうちゃんが帰って行く。

 あたしてっきり昔の家に戻ってきたものだとばかり思ってたけど、違ってたんだ。

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